第二章 めまぐるしく変わる日常
1.
走り回るお針子たちを前にして、セレスティはぼんやりとしながらそれを見ていた。 「生地見本は?」 「あっちよ。それよりもリボンがないわ」 「まあぁ、殿下は足がお小さいんですのね。ありあわせじゃムリね。いそいで作らせないと間に合わないわ」 ばたばたと走り回っているお針子たちを目にしていると、パワフルだなぁとセレスティは思う。 一番年長らしい女性がふわりと、セレスティに上着をかけた。 「ちょっとあなたたち、採寸は終わったの?」 「終わりました」 「ではいつまで殿下にこのように薄着をさせておくつもりなの!なにかドレスを持っていらっしゃい!」 「すみません!」 ぱたぱたと一番若いらしいお針子が走っていくのが見えた。 セレスティに視線を合わせるようにしゃがんだ女性が、セレスティに色見本を見せた。 「殿下は何色がお好きですの?陛下からついでに何着か作っておくように言われましたの。どうぞ殿下のお好きな色をおっしゃってくださいまし」 「あ、私、いくつかは持ってきましたけど」 「ええ。存じております。アニスさんに拝見させていただきましたわ。持っていないようなものがよろしいかしら」 色見本を見せてもらうと、さまざまなものがあるのがわかる。ここ十年ほどは姉たちのお古も多かった。自分のために作られたドレスなんて小さなころのものしかなかった。いまはこんなに色や柄、刺しゅうも増えたのだと不思議な感覚だった。 「私、青がいいです」 「青がお好きですか?瞳の色とも合っていて素敵ですわね。では、一着は青にいたしましょう。ほかには何色がよろしいですか?」 「お、お任せします」 「そうですか?では、姫さまに合いそうな色を選ばせていただきますね」 女性はにっこりとセレスティに微笑みかける。それがまぶしすぎるような、もったいないような気がして、セレスティはそっと顔をそむけた。 淡い緑色のドレスを持ってきた少女がセレスティに、 「こちらはいかがでしょうか?」 セレスティの意見を訊ねる。 いつも服のことなんてあまり考えないセレスティはこくりとうなずいた。 「ありがとう、それにします」 「あ、じゃあこの髪飾りなんてどうです?」 「あたしが結いましょう」 にこにこしながらお針子たちが手馴れた様子でセレスティを着付けていく。 これが終わると、ラティニア語の勉強だ。 この国の人たちは大陸公用語が話せるから会話には困らないが、嫁ぐ以上はラティニア語も話せないと話にならないだろう。 その次はダンスの時間で、これが苦手なセレスティは夜までずっと稽古が続く。 こんな調子でもう三日が過ぎている。 月日がたつのが早いと感じたのは久々のことだ。 その間、エリアルとボルクは何度か顔を見せてくれた。忙しいのか、セレスティに会いたくないからか、アーサーとは一度も会えずにいる。 (べ、べつにだからといって会いたいわけじゃないけど) べつに忙しかろうと、会いたくなかろうと、どちらでもいい。セレスティとて、心を乱されるから会いたくない、気がする。 ラティニアがきらいだとか憎いとか。 なんだかんだ言って、なんとなくこの環境になじんでいっている自分がいるのが複雑だ。 「あら、やってるみたいね」 部屋に入ってきた女性に、お針子たちがさっと頭を下げた。 肩口で切りそろえた金髪をさらりと揺らして、黄金色の瞳を柔和に細めた美女はセレスティに歩み寄る。 見覚えのない人物だ。 「あなたがセレスティ王女殿下ね?エリアルとボルクから話はうかがっているわ」 「ええと……」 「ああ、ごめんなさい。私はシャルロッテ・メイルロード。陛下の片腕として働いています。あなたとは長い付き合いになると思いますわ、未来の皇后陛下」 かがやく笑みに照らされて、セレスティは困り果ててうつむいた。 「長い名ですから、どうぞシャルとでも呼んでください。それはそうと、申し訳ないんですが、今日のラティニア語はおやすみにしていただけません?」 「え?」 セレスティはここ二日、発音と字の汚さを怒られっぱなしのひげの豊かな紳士を思い出して聞き返した。 「先生がかぜをひかれて、来られませんの。ああ、当人は来る気満々なんですが、大事をとっていただいただけですからご心配なく」 「そうですか。お大事にと、お伝えください」 「わかりました」 すっと手を出してさしかけだった髪飾りを直して、シャルロッテは微笑んだ。 「ダンスの時間まで少しありますが、三日間お忙しかったでしょう?しばらくのんびり過ごしてくださいませ」 「ありがとうございます」 いつのまにか部屋の中を片づけていたらしいお針子たちもみんなきれいにドアの所に並んでいた。 「では姫さま、また明日うかがわせていただきます」 「ええ、お願いします」 「こちらこそ、お願いしますね。では失礼します」 おしとやかにお辞儀をして、お針子たちとシャルロッテはセレスティの部屋を出る。 ドアの外に出て、仕事場に戻っていくお針子を見ながら、シャルロッテはちらりととなりに立つ女性に視線を向ける。 「どうでした、スレインの姫君は」 「人馴れしていないと判断しますわ。必要以上にびくびくしておられるのは、周囲の人間に言葉の暴力で傷つけられていたからではないかと思われます。心を開いているのはあの連れてきた侍女だけのようですね」 「つまり、私たちにもそうされるのではないかと、不安に思っていると?」 「そうです。愛らしい姫君ですのに、あまり笑われませんし、もったいないですわ」 「そう。ありがとう」 シャルロッテが言うと、一礼して女性も仕事場へと戻っていく。 「たしかに、後ろめたさからくるようなおびえ方ではなかったけれど」 あそこまでびくびくするものだろうか。 「早くスレインに出した子、戻ってこないかしら」 ほうっとため息をもらして、シャルロッテも仕事に戻ることにした。
昼食を終えて、セレスティは紅茶を飲みながらぼんやりと窓の外をながめていた。 柔らかな日差しが差し込んでいる。今日も天気がいいようだ。 「なんだか気が抜けますね、姫さま」 アニスが紅茶を注ぎ足した。 「この三日といわず、ここに来るまでも忙しかったですからね。ぼんやりしていられる時間が久しぶりすぎて、なんだか変な感じです」 「本当ね。ちょっと、息抜きでもしたいわ」 「あ、じゃあ姫さま、お庭の散歩でもさせてもらいましょうよ!ここに来るときにちらっと見せてもらいましたけれど、とってもきれいでしたよ!」 「そうね。たしかにきれいだったわ。でも、嫌がられないかしら。他国の人間にうろうろされるなんて」 あの庭はたしかによく手入れされていて美しかった。あんなところを散歩できるならきっと気持ちがいいだろう。 けれど、スレインの王城の庭さえ、歩いていると突き刺さるような視線を感じたものだ。 水をかけられたことだって一度や二度ではない。だからスレインにいるときも外に出たいとは思わなかった。 それを思い出したのか、アニスはセレスティの手をとった。 「だいじょうぶですよ、姫さま。ここはスレインとはちがいますもの。姫さまに失礼なことはなさいませんわ」 「そう、かしら」 「ええ、そうですよ!そうと決まれば、行きましょう」 アニスはささっと衣裳部屋に行くと、今日の服にも合いそうな白い帽子とショールを手に戻ってくる。 それをセレスティにかぶせると、ショールを手渡した。 「少しでも焼けたらたいへんですわ。さ、行きましょうか」 アニスがドアを開けて、廊下へ出て行く。 そのまま歩いて階段を下りていくが、だれともすれ違わなかった。 だれも止める者はいない。 外へ出られる。 「あら、殿下?」 びくっと身を震わせて、セレスティが立ち止まる。 階段の上に、シーツを変えていたらしい女官が立っていた。 振り返ったセレスティが口を開く前に、女官はにっこりと笑った。 「お散歩ですか?庭の北側に良い感じの東屋がありますよ。風通しもいいので、よかったら行ってみてくださいね」 「あ……」 「庭師自慢のバラ園は離宮の側ですから、西側です。たぶんだれかはいると思うので、わからなくなったらだれかに聞いてくださいまし」 小さく頭を下げた女官はそのまま行ってしまう。 アニスはその背を見送っていた主を呼んだ。 「庭の方に行ってみましょう?」 「ええ、そうね」
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