第一章 異国の大地
3.
暗い顔をしているわけにもいかない。気をまぎらわそうと周りを見回すと、きれいな白い石で作られた城の壁や、かけられた絵画・タペストリーはどれも高級そうなものばかりだ。それなのに仰々しくもごてごてしてもいない。飾った者のセンスがいいのだろう。 装飾自体はスレインの城よりも少ないが、一つ一つが重厚な雰囲気をかもし出している。 「ここは広いのですか?」 「ええ。敷地は広いですよ。ですが、城は少しずつ縮小されてきたのでそれほど大きいわけではありませんが」 「どうして?」 「だだっ広くてムダだ、と数代前から代々陛下たちがおおせなんだ」 ボルクが兵士の代わりに答えた。 大きな城は、権力の象徴となるのに。この城の主は変わり者が続いているのだろうか。 兵士たちが柱ごとに立っているのは、セレスティたちスレイン人を警戒しているためだろうか。その目はセレスティにそそがれている。 落ち着いた色合いの青いじゅうたんの上をまっすぐ行くと、入り口とは逆を向いた階段を上る。 セレスティはわざわざ向きを変えて作られた階段に少し感心した。 兵士が立ち止まると、いかにも謁見の間がありそうな大きなとびらの前に来ていた。 「こちらです。今日は早くに仕事が片付いたとおっしゃっておられたので、奥の間におられると思います」 「片づけた、のまちがいだろ」 はあっとため息をもらしながら小さく頭を振ったボルクがセレスティに視線を向けた。 「ほら、行けよ」 「え?」 「玉座の後ろにドアがある。その向こうが陛下の執務室のある奥の間だ」 早く行けと、あごでしゃくる。 (私がもし皇帝暗殺を狙う人間だったらどうする気なのかしら) 元とはいえ、敵国の人間なのに。 まったく警戒している様子がない。 ボルクは行け行けとばかりにしっしっと犬でも追い払うような仕草でセレスティをせかす。 セレスティが戸惑いながらも一歩進み出ると、大きな扉がきしむ音もさせずにゆっくりと開いた。 それにおどろいて立ち止まるが、セレスティは深呼吸して歩き出す。 だれもいないらしいが、とても広い謁見の間はしんとしていてひどく寂しい感じがした。 故国では、玉座の間にだれもいないというのは時間が遅いときだけだ。この時間でだれもいない、というのはありえない。 (ま、お兄さまは権力大好きですものね。あの場から離れるわけがないわ) 人柄のちがいなのだろう。なんといっても、権力の象徴である城を縮小しようとするような人たちだ。 城はスレインの城と遜色ないと思ったのだが、やはり国がちがうと勝手もちがうらしい。 扉から玉座に向けてまっすぐ敷かれた青いじゅうたんの上を歩いて行く。故国の城のように入り口から遠い広間の奥には、数段上に飾りつけられた椅子がおいてある。これが玉座なのだろう。 (これも質素ね。うちのほうが豪華だわ) こんなところで張り合って勝ってもしかたがない。 生まれて一度も上ったことなどない玉座に、他国に来て初めて上るとは。 なんとなく気が引けるが、セレスティは玉座の段上に上りドアを探す。 玉座のすぐ後ろにカーテンがあり、その影に隠れるようにしてドアがあった。 セレスティはばさばさとドレスのしわを直して、アニスがきれいに結い上げてくれた髪をなでつけた。 女性にとって美しくあることは男にとっての戦装束にも等しい。これから相手にするのは夫となる者だが、決してセレスティが気を許していい相手ではない。 大切な人を、奪った者たちを統べる者なのだ。 亡き兄がくれた一番のお気に入りの髪飾りがきちんと正面を向いていることを確認して、 「よし!」 気合を入れて、ドアをノックした。 短い返事が来たので、セレスティはドアをそっと開けた。 几帳面に整理された部屋には、執務机とソファセット、それとワインらしきビンの並べられた棚が一つあるだけだ。 机の上には書類が載っていて、部屋の主は顔も上げずに書類と戦っていた。 「また追加か?今は手が離せなくてな。その辺においてくれないか」 部屋の主は、心地のよいテノールで語って、せわしなくペンを動かしている。 兄のようにサインするだけの書類ではないのだろうか。 声をかけてもいい雰囲気ではなさそうだ。かといってずっとここで突っ立っているわけにもいかない。セレスティはどうしようか迷う。 動く気配もなく、話しかける様子もないのを不審に思ったのか、皇帝がやっと顔を上げる。 雪国の空のような灰色の髪の青年は、自分の顔を見なれたセレスティですら思わず息をのむような美貌の持ち主だった。 小作りの顔の中に、絶妙の位置に顔のパーツが配置されている。これを前にしたなら、日々賞賛されている多くの美男美女も恥ずかしくなって隠れてしまいたくなるだろう。 晴れ渡った空のような天色の瞳をわずかばかり瞠った。 無言で見つめ合うこと数秒、皇帝はペンを置いて立ち上がった。 「あなたがスレインの王女殿下か?」 緊張してきたセレスティはかすれた声で答える。 「は、はい。セレスティ・リーゼ・レインと申します。も、申し訳ありません、陛下」 セレスティはあわててじゅうたんにひざまずく。 緊張と呆けていたために、肝心のところでぼんやりして、皇帝の顔をじっと見つめるなどという失態を演じてしまった。 王の顔をまじまじと見るなどという罰当たりなことをしては、スレインでは目がつぶれるという。 セレスティはあまりの恥ずかしさに穴があったら入りたいくらいだった。 近づいてくる気配が、すっとセレスティのそばでかがんだ。 「スレインの姫君はまじめな方だな。わが国では王への跪拝はずいぶん前に廃された。そのようなことをする必要はないよ、殿下。さ、立って」 腕を引かれて、セレスティは立ち上がる。 セレスティをしっかりと立たせると、皇帝は柔らかく微笑んだ。 「わたしはアーサー。遠いところからよく来てくれた、殿下」 ねぎらわれるとは思ってもみなかったセレスティはどぎまぎしてしまう。 「いえ、あの、その、わざわざ迎えを遣わしてくださってありがとうございました」 あれは本当に助かった。 あのままだったらいつ着くことになっていたのやら。 「ああ、気にしないでくれ。本当はわたしが行ければよかったのだろうが、時間が作れなくてな。すまない」 「そんな、恐れ多いことです」 憎いはずだった相手の思わぬ態度に、セレスティはどうしていいかわからず身体をちぢこまらせるばかりだ。 それを見ていたアーサーは、見知らぬ国に来て心細くなってさまざまなものにおびえているのだと思った。 だが、最初はまあそんなものだろうと自分を納得させる。 「この国は魔法使いたちの国ゆえ、あなたの国とはちがうところもたくさんあると思う。だが気兼ねすることなく、わからないことはなんでも聞いてくれればいい。ここをあなたの家だと思ってゆっくりしてくれ」 「ありがとうございます、陛下」 「長く引き止めてしまって悪かった。あなたもお疲れだと思う。今日は部屋でのんびりと食事をとれるように取りはからおう」 「お手数をおかけして、申し訳ありません」 「勝手に進めて悪いが、大きな式典が一週間後にあってね。あなたとの婚約披露宴だ。まあ、今回は貴族たちに紹介するだけだ。それほど大きなものではないが、明日からは忙しくなると思う。今日のうちに疲れをとっておいてほしい」 「はい、陛下」 うつむいたまま、小さくうなずく。 だがセレスティはもじもじとしたまま動かない。 怪訝に思ったアーサーはまじめなスレインの人間ということを思い出す。苦笑しながらすっと手をドアへ向けた。 「下がっていいよ、殿下」 「はい、失礼いたします」 完璧な礼をしてみせて、セレスティは部屋を出て行く。 やってきた王女を思い出して、アーサーは腕を組んだ。 「わたしはなにか失敗したのだろうか?」 アーサーにはセレスティはなにかにおびえているように見えた。 なにか、おびえさせるようなことをしてしまっただろうか。 記憶の中の自分の言動を思い出すが、これといって思い当たるふしはない。 「敵国の国主では嫌われるのも無理はないか」 そうはいっても、すべてのスレイン人とうまくやっていけないとは、アーサーは思っていない。 小さく首を振って、ふと机の上の書類が目に入った。 「あ……」 増やされる前に片づけなくては。
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