第一章 異国の大地
2.
「様子をうかがってたらこれだ。あんた、そうとうバカにされてんな」 セレスティがむっとすると、アニスが前に出てキッと男をにらみ上げた。 「無礼ですよ、この方をどなたと思っているのです」 「そのうちうちの陛下の奥さんになる人だろ?それくらいは知ってる」 「……ど、どういう言い方ですか、それ」 アニスは男の言いように困って眉をひそめた。 「にしても、うわさどおり、本当に大事にされてないな、あんた。ただのうわさじゃなかったんだな」 男はアニスの持ったそれほど大きくないトランク二つとセレスティの着ているドレスをじろじろと見ながらつぶやく。 ずっと黒いドレスを着ていたが、さすがに嫁入りにまでは着ていくことはできない。セレスティはまだまともに見えるだろうシンプルな青いドレスでここまで来ていた。 「本当に姫?」 心底疑わしそうに訊ねる赤い髪の男の言葉に、セレスティはカッと顔を赤らめた。 「正真正銘、れっきとした姫です!この方こそ、スレイン王国の第八王女、セレスティ・リーゼ・レイン王女殿下です」 アニスが意気込んで告げる。 兵士たちが顔を見合わせる中、あまり興味なさそうに「ふうん」男はうなずいた。 「スレインの人間は冷淡って話だからな。まさか自国の姫にまで冷たいとは思わなかったが」 「私はスレインにとって人質にはならない人間です。外交に使えない姫で落胆しましたか?」 セレスティが自嘲の笑みを浮かべて訊ねると「は?」男はめんどくさそうに聞き返す。 「そんなこと、だれもあんたに求めてないし。うちの陛下にはそんなもん必要ねえよ。迎えるのは外交カードじゃなくて、あんたのようだからな」 「あんたあんたと、先ほどから無礼でしょう!何者ですか!」 アニスが男の言動にいいかげん腹をたてて声を張り上げる。 「これは失礼。ボルク・シュワルツハーゲンと申します。我がラティニア皇帝陛下の親衛隊の長を務めます。数々の無礼、ひらにご容赦を。陛下の命でお迎えに上がりました、姫」 さっきまでとは打って変わって、慇懃な態度で腰を折った。 ひどい違和感を感じた。 「そ、そうですか。ありがたく思います」 「様子をうかがっていたというのはどういうことですか?ずっと見ていたっていうことですか?」 アニスが言葉尻をとらえて訊ねる。 「バカ言うなよ。俺だってそんなにひまじゃないんだ。この上で待ってたたら、聞こえてきただけだ。うちの兵士もあんたらの兵士も、声でかいからな。丸聞こえだった」 あっさりと先ほどの丁寧な態度を捨てて、ボルクは語る。 国境に作られた門と山で、このあたりは二つの国に区切られている。その国境でいつからかはわからないが、セレスティたちを待っていたということか。 「では、さっきのは見ていたということですか」 「ああ。まさかあんなことを言い出すとは思わなかったが。うちの陛下が聞いたらおどろくだろうね」 「そうでしょうね。お恥ずかしいところを」 セレスティは顔を紅くして消え入りそうな声でつぶやく。 会う前にあきれられて断られたら、どこにも行くところがなくなってしまう。 まあ、そうなればそうなったで、どうにかするしかないのだろうけれど。 うつむいたセレスティに気づいたのか気づいていないのか、ボルクはさっと話を変えた。 「んで?行けそうだったら、俺行きたいんだけど」 「どこへですか?」 「どこへって、我が陛下の城に決まってんだろ?」 ほかにどこに行くんだよ、とでも言いたそうだ。 それを聞いたアニスが顔色を変える。 「待ってください。姫さまはここまでの道のりでお疲れになっておられます。ここからもまだ遠いのでしょう?もうすっかり日も暮れましたし、明日にでも―――」 「そんな悠長なこと言ってられないだろ。一週間後には貴族にお披露目の大宴会だ。まだ来ないのかってお針子たちがやきもきしてたからな」 「ま、待ってください!一週間?!」 セレスティは耳を疑った。 スレインの王都からラティニアの皇都までは少なくとも一月はかかる。まだ王都を出てから一週間ほどしかたっていない。 「ムリでしょう!」 「そのために俺が遣わされたんだ。さ、こっちだ」 ボルクは人の話を聞く気があるのか、すたすたと歩いて詰所に入っていく。 首をかしげながらもセレスティとアニスもそれに続く。 詰所の地下に下りていくと、小さな部屋に出る。床一面に不思議な光る文様の描かれた部屋に入って、ボルクは円陣の中心に立った。 「あんたらもこっちに来い」 「姫さまのことをあんたって呼ばないでください」 「へえへえ」 「なんてひとでしょう。こんな方が親衛隊長だなんて」 アニスがむっとしながらぼやく。 「陛下に感謝しろよ?奮発して移動用の魔石をくださったんだからな」 ボルクが持っていた小さな石をコインのように指で弾いて上に飛ばした。 セレスティはつられてその石を視線で追っていた。 「此方と彼方をつないで我らをあるべき場所へと導け」 今までの軽い口調から一転、神妙な面持ちでそうつぶやく。魔石が一瞬にして光の粒になり、下に描かれた円陣がまばゆくかがやく。 セレスティはあまりのまぶしさに目を閉じた。光が収束して用心しながら片目を開いたときには、暗い地下室から見知らぬこぎれいな部屋に変わっていた。 見知らぬ男が立っていて、 「ご苦労さまです、隊長」 ボルクに向かって敬礼した。 兵士はセレスティにも目を向けた。 「ようこそ、アセイトレクト城へ。スレインの王女殿下。臣下一同、殿下のご到着を心よりお待ち申し上げておりました」 うれしそうに目を細めて兵士が微笑む。 そんな表情を向けられるなんて、幼い頃以来なのでセレスティは落ち着かなかった。 「あ、ありがとうございます」 「お荷物はお預かりいたします。お部屋の方へお運びしておきますね」 「お願いします」 「んで、陛下は?」 「隊長……すみません、姫君。隊長はいつもこんな感じなのです。どうかお気を悪くなさらないでください」 「はい、だいじょうぶです」 すごく気を遣ってくれているのがわかるので、セレスティは苦笑した。 「そう言っていただけると幸いです。さあ、陛下がお待ちです。ご案内いたします」 「お付きの方は先に部屋にご案内いたしましょう」 もう一人立っていた兵士がアニスに話しかけている。 アニスがその兵士についていくのを確認して、セレスティはボルクとともに案内役の兵士について歩いて行く。 「なんだか、突然のことについていけない気がします」 「なんのことだ?」 セレスティの独り言にボルクが聞き返す。 「だってさっきまで国境に立っていたはずなのに」 「便利だろ?長距離移動用の魔法陣だ」 「ラティニアにはそんなものまであるのですね」 「原理は聞くなよ?説明しても理解させられる自信がないからな」 「そこまで期待していませんわ」 元とはいえ、敵国の王女なのだ。国の内情をあっさりと教えることなどできないだろう。 そう思ってセレスティがすまして言うと、ボルクがむっとしたような顔をした。 「悪かったな、バカでよ」 「え?」 セレスティが聞き返すが、ボルクはすっかり機嫌をそこねたらしくセレスティと顔を合わせようとはしなかった。 (私、もしかしてまずい言い方をしてしまったかしら) そんなつもりで言ったわけじゃないのに。 案内をしている兵士がくすくすと笑う。 「言われてしまいましたね、隊長」 「ふん」 ボルクはおもしろくなさそうにそっぽを向いた。 「あ、あの、ごめんなさい。私そんなつもりで言ったわけじゃ……」 「別にかまやしねえよ」 許したのか気にするのをやめたのか、それとも皇帝に会わせる前にまずい空気を作るわけにはいかないからか。わからないが、ボルクは気にしていないような顔でまっすぐ前を向いている。 (私のバカ。城であれだけ気をつけるように思っていたのに) 城でだって、いろいろと言われてきた。言い方にはなにより気をつけようと思っていたのにさっそく失敗してしまった。
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