第一章 異国の大地 

 

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 (まど)の外をぼんやりとながめるようで、セレスティは窓に映る自分の顔を見つめていた。

 長い黄金の髪はふわふわと豊かに波打ち、(こし)までの長さをほこりながら枝毛のないのが自慢(じまん)だ。

 とりたてて美人ではなかったが、穏やかで優しい顔立ちの母から碧い(あお)目は受け継いでいると思う。この海色の目はセレスティも好きな色だ。

 セレスティはむかし絵姿(えすがた)で見た、母方の祖母に似ているという。

 祖母は白い肌に赤いくちびるのかなりの美女だった。その顔立ちは(ねこ)のようにつりあがった目のきつめの美人で、人の性格は顔に出るというように、かなりきつい性格の持ち主だったらしい。母の祖国(そこく)では、王がかなり振り回されて大変だったと聞いている。

顔立ちはたしかに似ているセレスティだが、性格のほうはあまり受け継がなかったらしい。

 とんでもないうわさが祖国からもたらされるたびに、母が「あなたはお母さまに似なくてよかった」ともらしていたのを幼心(おさなごころ)にもいいことなのだと思った。

 だが病で母を亡くし、戦争で父も兄も亡くしたいまとなっては、それがよかったのかどうかわからない。

もしも、その祖母のようにはっきりと自分の意思を告げられる性格だったなら。

もしもそうだったなら、こんな馬車には乗っていなかったかもしれない。

 遠い北の大国になんて、来なくてよかったかもしれない。

「ふざけてます、ええ!ふざけてますわ!!」

 アニスが怒りにこぶしをにぎりしめる。

 ラティニアに向かうそれほど大きくはない馬車の中、道中ずっとアニスが怒りに声をふるわせていた。

「なんなんですか!みんなみんな、姫さまのこと、なんだと思ってるんですか!」

「気にすることないわよ、あんなのずっと前からだもの。気にするだけ疲れるわ、アニス」

「でもでも、いくらなんでもひどいです!一度嫁いだら(とつ)故国(ここく)になんて戻れないじゃないですか。こんなのってないです。陛下は姫さまのお兄さまなのに」

「そうは言っても異腹(いふく)だもの、こんなものだわ。それに、向こうは私のこと妹だなんて思ってないし」

「それが信じられないんです!それも自分で化け物の国とまで言っておきながら、そんな国に姫さまを嫁がせようとする。その根性(こんじょう)が信じられません!しかも後で戦をするですって?本当に信じられませんわ!今度の戦だって、やっと終わったのに」

 アニスが怒ってくれるから、セレスティは怒らずに恨まず(うら)にいられる。

 本当にアニスには感謝してもしきれないくらいに感謝していた。

「アニス、ありがとう。向こうに着いたらあなたも帰っていいわよ?」

「なにを言ってるんですか、姫さま!私はもちろん、どこまでも姫さまにお供いたしますとも!」

 きゅっとセレスティの手をにぎって、アニスが言う。

「ただでさえ陛下はろくに(とも)もおつけになっておられません。見知らぬ国で姫さまをお独りになんてできませんわ。それに、私は家族もおりませんし、姫さまのお(そば)以外には居場所もありません」

 セレスティについて来ているのは兵士が数えるほどと侍女が数人、それとアニスだけだ。その兵士も送り届けたらさっさと帰ることになっている。敵国に戦力を与えることなどできないという王の考えだ。

侍女たちも帰りたいと文句を言い続けているので、セレスティは彼女らも帰すつもりだ。

実質(じっしつ)、ラティニアに行くのはセレスティとアニスだけになってしまう。

「まあ、ラティニアの方々も、いくらなんでもそれほどひどい扱いをなさるとは思いませんが」

「どんなところだろうと、城よりましよ」

 あんなところ、これ以上一秒だっていたくなかった。

 厄介(やっかい)払いがうまくいってか、いつも以上に城ではセレスティに対する声がきつかった。もう二度と会うことがない人間なら、なにを言ってもいいとでも思ったのだろう。

 セレスティのたった一つの居場所であった兄を奪った(うば)ラティニアの人間は正直憎い(にく)。けれど、スレインにはいまやセレスティを受け入れてくれるひとも場所もありはしない。

 だから話がまとまったため、さっさと少ない荷物をまとめてこうして出てきたのだ。

「どちらにしても、ラティニアだってお兄さまが戦を始めるまでの居場所でしかないわ」

 兄王が戦を始めてしまったら、そもそも人質であるはずのセレスティの存在に価値などなくなる。

 いくら皇帝の妻として嫁いでいても、殺される可能性もないとは言い切れない。

だが、それならそれでもいいかなとも思う。

愛する父母と大好きな兄が、待っているのだから。

「姫さま、いっそこのままアニスと逃げませんか?」

 アニスが真剣な表情で言い出す。

 そうできたなら、どんなにいいだろう。

 しかしたとえ認められていなくても、セレスティもスレインの王族なのだ。

 アニスの気遣いがうれしくて、セレスティは苦笑を浮かべる。

「ありがとう。うれしいけど、そういうわけにもいかないわ」

 いくら国民にあまり良い顔をされない王女でも、国のために尽くす義務はある。これまで育ててくれたのは、まちがいなく国民なのだ。

 それを放り出すわけにはいかない。

 がたんと馬車が停まって()、セレスティは首をかしげる。

「どうしたのかしら」

「わかりません」

 アニスも首をひねって、小さな窓を覆っていたカーテンをそっと開ける。

 耳をすましてみると、

「陛下からはここまででいいと聞いた」

「バカを言うな!ここは国境だぞ!嫁入りのときは、相手の城まで送るのが礼儀(れいぎ)だろう」

 という兵士たちの押し問答が聞こえてくる。

「んまぁ!なんてずうずうしいんでしょう!」

 アニスがあきれてつぶやく。

「迎えるのはそちらなのだ、迎えに来るのが筋だろう」

「なにをわけのわからないことを!そもそも小さな馬車に少ない供とは、貴殿らは貴国の王女をバカにしておられるのか!こんな小さな嫁入り行列など見たこともない!」

 なぜか敵国の人間であるはずの兵士に気遣われている。

 もちろん、それが延いて()はその姫を妻とする皇帝のためであるとはわかっている。

 不思議な感覚だった。

「とにかく、我々の仕事はここで終わりだ」

職務(しょくむ)怠慢(たいまん)もいいところだ、ふざけるのも大概(たいがい)にしろ!」

「どうした?」

「なんだ?」

 怒鳴り声に国境警備隊の詰所(つめしょ)から双方の国の兵士がわらわらと集まってきている。

 こんなことで()競り合い()に発展しては困る。

 スレインの(はじ)をあちこちで吹聴(ふいちょう)することにもなりかねない。

「姫さま、どうしましょう」

「しかたがないわ」

 セレスティが言うと、アニスがさっと馬車に乗せてあった荷物を持ってドアを開けた。

 馬車から出てきたセレスティを見て、ラティニアの兵士が口をつぐんだ。

 美貌(びぼう)の姫に見とれていたのだ。

「おやめなさい、恥をさらしてなんとします」

「姫さま」

 ばつが悪そうな顔をして、(とも)の兵士たちは顔をそむける。

 そんな顔をするくらいなら、最初からしなければいいのに。

「あなた方はもうお帰りなさい。ここで結構です。歩いてでも行けます」

「ええっ?!」

 おどろいた声をあげたのは、ラティニアの国境警備兵だった。

「恐れながらスレインの姫君、ここから皇都はかなり距離があるのですよ?歩いてなど、とても……」

「そうです、無茶ですよ。その上歩きなれていない女性の足でしょう?無茶を通り越して無謀です」

「って、帰ろうとするなよ!」

 帰る準備に取り掛かっていたセレスティの供たちにラティニアの兵士が怒鳴った。

「おまえら本当に自分たちの王女のことなんだと思ってるんだ!」

「姫が帰ってもいいとおっしゃったのだ。おまえたちに言われる筋合いはない」

 そうはき捨てて馬車は兵士と帰りたがっていた侍女たちを乗せてさっさと去っていく。

「本当に帰りやがった」

「信じられねぇ」

 夕闇(ゆうやみ)の中消えていく馬車を見ながら、ラティニアの兵士たちが呆然(ぼうぜん)とつぶやく。

 敵であった兵士がこのように言ってくれるとは、夢にも思ったことはなかった。

 本当に、不思議な気分だった。

「姫さま、だいじょうぶでしょうか」

 アニスは不安げに馬車を見つめている。

 セレスティは小さく首を振って、ラティニアの大地に目を向ける。

「だいじょうぶ。きっとなんとかなるわ」

「んなわけないだろ」

 あきれたような声に振り返ると、真っ赤な髪の青年が立っていた。

 かなり身なりのいい男は、ため息混じりに行ってしまった馬車の姿を目を凝らして()見ている。

 それは炎のような目で馬車をにらみつけているようにも見えた。

「シュワルツハーゲン卿」

 どうしようかと困りながら突っ立っていたラティニアの兵士たちがざっと音を立ててきれいに敬礼した。

 偉い(えら)人なのだろうか、セレスティは思わずまじまじと男を見つめる。

 赤い髪に赤い目の男はいかにも軍人らしいきつそうな顔立ちをしていた。

 

 

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