4.ジャックの問い


 

 ふと目が覚めて、ジャックは身を起こす。

 引きつるような痛みに、わずかに眉をひそめる。

 まだ少し痛みが残っているが、動けないほどではない。

 外はすっかり明るくなっている。

 ジャックはとなりのベッドに視線を向ける。

 となりのベッドではくうくうと気持ちよさそうにニースがシーツの中で丸まって眠っている。

 警戒の「け」の字もないその姿に、ジャックは複雑な気持ちになる。

「なんだかなぁ」

 あまりにも警戒されるとたしかにやりにくいが、こうも無防備になられるとそれはそれで複雑だ。

 男として見られていないのだろうか、とか。

「いや、ニースはそういうのは無知っぽいから」

 自分で自分をなぐさめているようで、切なかった。

 ニースが丁寧に下着までぬってくれていたのはついこの間のことだ。

 いろいろとつくろいものをしてくれたのは本当にありがたかったが、あれだけはいただけなかった。

「というか、なんで俺が俺をなぐさめてるんだ」

 これではニースに気にしてほしいみたいだ。

 ジャックはニースを起こさないようにそろそろとベッドから抜け出す。

「っつつ……」

 一週間以上動いていないため節々が痛い。

 ジャックは手早く服を脱いで着替えた。

「少し、運動するか」


 


 


 

 太陽の光が窓から差し込んでくる。

 ニースはころりと寝返りを打つ。

 カーテンにさえぎられてもなお強い日光がニースの顔に当たる。

「ううん……」

 ニースは薄目を開けてベッドから窓を見上げる。

 ぼんやりと天井を見上げていたニースはむくりと起き上がる。

 寝ぐせのついた髪をなでて、ニースはとなりのベッドに視線をやる。

 だが、ベッドはきれいに元どおりに直されている。

「え?」

 一瞬にして目が覚める。

 彼がいない。

 どこに行ってしまったのか。

 ニースは部屋中を見回す。

「なんで……まだ治っていないのに」

 ニースは青くなってあわててガウンを羽織ると寝巻きのまま階下へと駆け下りる。

 ばたばたという足音に宿のカウンターにいた女将さんが目を丸くした。

「おや、ニースちゃん。なんて格好だい」

「女将さん、ジャックさんが!ジャックさんがいないんです!」

「ああ」

 納得したようにうなずいた女将はすっと外を指差した。

「のぞいてごらん」

 ニースは戸惑いながらも庭の見える窓へと近寄る。

 宿の庭からひゅんひゅんと風を切る音が聞こえる。窓からそっとのぞいたニースの目には、剣を振るうジャックの姿があった。

「起きてから筋トレして、あの調子だよ。ったく、ちょっと起きられるようになったと思ったらすぐこれだよ」

 女将が肩をすくめる。

 ニースは眉間にしわを寄せて、外へと出る。

「ジャックさん!」

 びくっとジャックが身を震わせて振り返る。

 とびらのところで腰に手を当てて仁王立ちしているニースにジャックはにかっと笑った。

「おう、ニース。起きたのか」

「起きたのか、じゃありません!何してるんですか!」

「何って……運動。最近動いてないから、身体がなまってしょうがない」

 持ちなれた剣が重く感じるのだ。

 これは本気でやばいと、危機感を抱いて運動していた次第だ。

「ニースこそ、そんな格好で何してるんだ」

「ほっといてください!」

 この際寝巻きであることも髪に少々寝ぐせがあることもささいなことだった。

「運動なんかしてる場合じゃないでしょう?!ジャックさん、また傷が開いたらどうするんですか?!」

「あのなぁ、そうそう開かねえって」

「そんなのわかんないでしょう?!ジャックさんには前科が三回もあるんでしょう?」

「二回だ。一回目は不可抗力だろう」

「変わらないですよ!とにかく、部屋へ戻りましょう」

 ずかずかと近寄って、ニースはぐいぐいとジャックの服を引っ張る。

 ジャックはとんとんと剣の背で肩をたたく。

「過保護だな。俺は大人だぞ。というか、ニース。お前いくつなんだ」

「18です」

「じゃ、俺の方が年上だ」

「中身はわたくしよりも子どもです!」

「ふうん。言ってくれるな」

 ジャックはふっと笑うと、空いた左手でぐいっとニースの腰を引き寄せる。

 ニースの顔がかあっと赤くなる。

「は、放してください」

「なに赤くなってんだよ」

「や、いやですってば」

 ぐいぐいとジャックの胸を押すが、びくともしない。

「たったコレだけで気になるのか?やっぱり俺よりニースの方が子どもなんじゃないか?」

 ひゅんっと何かが飛んできて、ジャックの額に見事命中した。

「あだっ!」

 ころりと、医療用テープが地面に転がる。

「朝から何サカってんだい?」

 女医が宿の門のところに立っていた。

「あ、アネット」

 かばんを手にして、アネット女医は宿の庭に入ってくる。

「あんたのことずっと看病してくれていた大事な娘さんに何してるんだ、バカ。早く放せ」

「ちょっとからかっただけなのに」

「もう一発お見舞いされたいのかい?」

 いやそうに顔をしかめ、ジャックはニースが倒れないようにそっと放した。

 ニースはよろよろと歩いてアネットのところに避難する。

 入れ替わるようにアネットがジャックに近寄る。

「傷の具合を一度見ておきたいから、部屋に戻んな」

「待ってくれよ。俺、身体拭きたい」

「ろくに風呂も入れてないんだろうからな。仕方ない、待ってやる」

「ありがとよ、アネット」

 ジャックは剣をさやにおさめて、宿屋に戻っていく。

「あ、ニース」

「はは、はい!」

「俺のこと気にせず、メシ食っていいから」

「はい」

 すたすたと宿に戻っていくジャックを見届けてから、ニースはぺたりと座り込んだ。

 地面は汚いとか、よごれるとか、そんなこと頭のかたすみにも上がらなかった。

「からかっただけ……」

「たちの悪い冗談かましやがって」

 となりに立ったアネットが落ちたテープを拾いながらつぶやく。

 ニースは赤い頬を両手で押さえて、ため息をもらした。

 冗談だ。そうだろう。

 こんな自分にそんな気持ちを向ける人などいないから。

「あんた、美人だからあんなすっとこどっこいのバカにゃもったいないよ」

「アネットさん……」

 アネットがすいっとニースに視線を合わせた。

「あのバカに、特別痛いキツイのをお見舞いしておくから許してやってくれよ」

「……はい」

 ちょっとかわいそうな気もしたが、これくらいならからかった罰になるだろうか。

 アネットがくすっと笑った。

 その後、二階の奥の部屋から悲鳴が上がったとか上がらなかったとか。


 


 


 

 着替え終わったジャックの部屋に、遠慮がちにノックがされたのは、ジャックが怪我をしてから十日が過ぎた日だった。

「あん?」

「ニースです」

「ああ。いいぞ」

 かちゃりととびらを開けて、ニースが入ってくる。

「ジャックさん、もう仕事に行かれるって、本当ですか?」

「ああ。いいかげんなんか仕事もらわねえと俺のなけなしの貯金がなくなる」

「女将さんもアネットさんもジャックさんは貯め込んでいるって、言ってましたけど」

「……余計なことを」

「え?」

「いや、こっちのこと」

 ジャックはベルトを締めて、剣を下げる。

「いつまでも貯金を下ろして食べていくわけにはいかないだろ。いつか尽きるんだし」

「でも、まだ本調子じゃないのでしょう?」

「動けないことはない。普段きたえてるから、剣も振るえないこともない」

 ジャックはニースに顔を向けた。

「そういえば、おまえ、どうする」

「え?」

「そろそろ、今後のことを考えた方がいいんじゃないか?」

 ニースはジャックの言葉に固まった。

「別にすぐ追い出そうってわけじゃない。おまえには世話になったし。ただ、いつまでも逃げてるわけにはいかないんだろう?」

 ニースはうつむく。

 領主の娘が家出して十日も帰らないのだ。いくら両親とて探しているのかもしれない。

「ちゃんと話せばわかってくれるさ。おまえの両親なんだろう?なんで家出してんのか知らないけど、きちんと話し合っておいた方がいいと思うぜ」

 ジャックがニースの横をすり抜けようと歩き出す。

「ジャックさん」

 ニースはジャックの服のすそをにぎりしめて呼び止めた。

「なんだ?」

「わたくし、わたくしも仕事したいです」

「は?」

 ジャックが怪訝に聞き返す。

「ジャックさんにお世話になりっぱなしなんて、わたくしいやです。せめて宿屋の代金くらい自分で払いたい。それに、仕事しながらでも今後のことくらい考えられます」

「……何ができんの?」

「さ、さいほうとか……」

 ジャックは眉間にしわを寄せる。

 ニースにお針子の真似事などさせられない。

「却下」

 再びすたすたと歩き出すジャックを、あわてて腕を引いて引き止めた。

「あっあっ、わたくし、文字の読み書きができます!」

 ぴたりと立ち止まったジャックの視線がニースに向けられた。


 


 


 

「で、ここで働かせてやってほしいんだけど」

 ジャックがニースを連れてやってきたのは、傭兵に仕事をあっせんするギルドだった。

 ニースはものめずらしくてきょろきょろとギルドを見回す。

 よろいを着込んだ身体の大きな傭兵たちがうろうろとしている。中には女性もいるが、ニースとは比べ物にならないくらいにがっしりした体つきの人ばかりだ。

 受付の男がああと、明るく笑う。

「例の彼女?」

「ああ」

 ジャックがうなずいた。

「ありがたいよ。なかなかそういうのをやってくれるのはいなくてね」

 宿の女将さんの娘のものである質素なワンピースを着たニースは長い黒髪を後ろで一つに束ねている。

「が、がんばります」

「大丈夫大丈夫。失敗するようなもんじゃないから」

 受付の男はひらひらと手を振った。

「ジャックは、あっちを受けるんだって?」

 ジャックはすっと青い目を細める。

「ヒュー。余分なことは言わなくていいから」

「わ、わかった、わかったよ」

 ヒューがあわてて両手を振った。

「あっち?」

 ニースがジャックを見上げると、ジャックは何も言わずにがしがしとニースの頭を乱暴になでる。

「い、痛いです」

「いいか。俺は遅くなるから、先に帰って寝てろよ?」

「え?もう遅くなるような仕事を引き受けたんですか?」

「給金がいいんだよ。ま、おまえが心配するようなことじゃねえから」

 言外に関係ないって言われたようで、ニースは悲しかった。

 沈み込んだニースに気づかず、ジャックはぽんぽんとニースの頭をたたいた。

「ま、こいつのこと頼んだわ」

「ジャックの大事な人だからね。任せてください」

 ヒューがにっこりと笑う。

 ジャックが何かの書類にサインをしている。

 きゃしゃで、とても力仕事などできそうもないニースは傭兵たちにとってもめずらしいらしく、あちこちからぶしつけな視線が感じられる。

 居心地が悪い。

「ジャック……」

 不安そうにニースがきゅっと腕を引くと、ジャックがひょいとニースの肩を抱いた。

 おどろきのあまり、ニースは固まった。

「こいつは俺の連れだ!」

 ニースを見つめる多数の視線の中、ジャックが大きな声をあげた。

「へんな真似してみろ、ただじゃおかねえから」

 そう言ってニースの頭のてっぺんにちゅっと口付けを落とした。

「じゃ、行ってくる」

 まるで恋人に向けるようなとろけそうな微笑を向けられて、ニースはぎこちなく手を振った。

「い、いってらっしゃい」

 ジャックはぎろりと周囲を威嚇するようにひとにらみしてギルドを出て行く。

「ジャックのやつめ。釘をさして行ったか。ま、これできみがここでおそわれることもないだろうよ」

 ヒューがそんなことを言っているのを、ニースはなんとはなしに聞き流した。

 それよりも、座り込まなかった自分を、ニースは心の中で賞賛した。

 赤くなる間もなかった。


 


 


 

 すっかり外が暗くなるまで、ニースは書類を書いていた。

「ニースちゃん、今日はもうあがっていいよ」

 コーヒーのカップを持ったヒューがテーブルの横に立っていた。

 顔を上げて首をかしげる。

「あがる?」

「ああ、ごめんごめん。終わっていいよ」

 ニースは書きかけていた手を止め、ふるふると首を振った。

「これが書き終わってから、終わります」

「そうかい?いやぁ、ニースちゃんは字もうまいし仕事もまじめにやってくれるから、今日は本当に助かったよ」

「いいえ。はい、これで終わりですね」

 書類を渡すと、男はそれにさっと目を通した。

「はい、どうも。これは今日のニースちゃんのお給料」

 ヒューがにっこりと笑ってニースに袋を渡した。

「ありがとうございます」

「いえいえ。よくやってくれてたから、少し色をつけておいたからね」

(色?)

 ヒューはウィンクをしてみせる。

 ジャックやニースとちがい、よく笑う人だとニースは思った。

「そういえば、ジャックさん、今日はすごく遅いんですか?」

「今日は遅いと思うよ。だからジャックが言ったとおり、先に帰っていいと思う」

「そうですか」

 残念そうにニースはうつむいた。

 できれば待ちたかったが、遅いなら仕方ないだろうか。

 ニースが立ち上がって戸へ向かう。

 ちょうど戸が開いて、ニースは思わずばっとそっちに顔を向けた。

「お、嬢ちゃんじゃねえの」

 町に来たばかりのときに会った巨漢が二人の手下を従えて歩いてくる。

「あ、ボブさん」

「お、おれのこと聞いてくれたのかい?うれしいね」

 にかっと笑う巨漢は、たしかに強面だったが笑うと意外とあいきょうがあった。

「やあ、ボブ」

 ヒューが気づいて、ボブに袋を放った。

「これが今日の分だよ」

「おう」

 袋を受け取ってボブは周りを見回す。

「嬢ちゃんがいるのに、ジャックの姿が見あたらねえが?」

「ジャックさん、今日は遅いんだそうです」

 ニースがしゅんとしてうつむいた。

「ジャックさん、怪我が治ってないのに」

「怪我?」

「十日前に傷口が開いてしまって、やっと動けるようになったばかりなのに」

「あいつ……またやったのか」

 ボブがあきれたようにつぶやいた。

「あいつは全然自分を大切にしねえな」

「心配です」

 ニースは祈るように両手を組む。

「で、今日は何の仕事をしに行ったんだ?」

 知らないと、ふるふる首を振る。

「南村へ行く行商の護衛だ」

 ヒューがニースに代わって告げた。

「南村……野盗が出るんじゃねえか?」

「そ。だから給金がいい」

「あいつ、そんな切羽つまってたのか?」

 ヒューが肩をすくめた。

「さあ。ただ、めずらしく給金がいいのがやりたいって言い出したから」

「バカだな、あいつ」

 ボブがすっと目を伏せた。

 なにか、ただならぬものを感じて、ニースはボブを見上げる。

「どういうことですか?」

「んあ?ああ、まあ、なんだ」

 ボブの歯切れの悪い言い方に、ニースは首をかしげる。

「なんですか?」

「ま、いろいろとかっこ悪いことだから、内緒にしておくぜ」

「内緒ですか」

「そ。ジャックがかわいそうだからな」

「ジャックさんが?」

「ま、とにかくやつの言うとおり今日は早く寝ておけ、嬢ちゃん」

 ぽんとニースの肩を軽くたたいたが、それでも身体の細いニースはぐらぐらとゆれた。

 手下がそれをたしなめる。

「ボブさん、嬢さんが倒れっちまいますよ」

「おう、悪かったな」

 ニースはいいえと首を振った。

「ちょうどいいや。嬢ちゃん、宿屋まで送ってやるよ」

「本当ですか?」

「ジャックの野郎に貸しにしといてやるさ」

 ニースはヒューに頭を下げた。

「今日はありがとうございました」

「ニースちゃんならいつでも雇ってあげるよ。ひまなときにまたおいで」

「はい」

 夜道を送られて、ニースは宿へと帰った。

 ニースのふところはあたたかかった。

 初めての自分で稼いだお金だ。ほんの少しなのかもしれないが、それでもほっこりと心が温かくなる。

 早くジャックに見せたくて、ニースは宿への道すがらずっと上機嫌だった。

 

              

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