1.お嬢さまの反乱


 

「まあ!これをお嬢さまが?」

 メイドたちがニースの作り上げた大作を見てため息をもらす。

 大きなテーブルクロスの四隅には、美しい大輪の花がししゅうされている。その丁寧さはプロの仕事と言っても過言ではない。

「今回は、少しうまくいったと思うの」

 おっとりと、ニースが答えた。

「何をおっしゃいます!」

「さすがはお嬢さまですわ」

「これほどのさいほうの腕前をもっていらっしゃる令嬢は、そうそうおりませんわ」

「婚約者であらせられるゴードンさまも鼻が高いでしょうね」

「良き妻のかがみですものね」

 メイドたちが口々にほめそやすが、ニースの笑顔にかげりが出る。

「ああ、もうこんな時間ですわ」

 ニースのもっとも親しいメイドであるボニーが時計を見て声を上げる。

「お嬢さま。今日はそろそろゴードンさまがいらっしゃられる頃合いですわ」

「大変!さあ、お召し替えいたしましょう」

 メイドたちがあわただしく動き始める。

 着てからそうたってもいないのに、着替えをさせられて、化粧を施される。

 まるで、人形の着せ替えのようだとニースは思った。

 ニースの長い黒髪をくしですきながら、ボニーが目を細める。

「お嬢さまの髪ってきれいですわね」

「そうかしら」

 夜色の髪が、ニースは嫌いだった。

 もともと内向的な性格なのに、よけいに暗くみえる気がするからだ。

 だがニースの内心も知らず、メイドはほめたたえる。

「きれいですわよ。細くてやわらかいし、手触りもいいですもの」

「あなた方が手入れしてくれるからだわ」

「そう言っていただけるとうれしゅうございますが、やはりもともとのお嬢さまの髪質がいいんですわ」

 ねえ、と言いながらメイドたちは手早くニースの髪を結い上げる。前にゴードンのくれた髪飾りを飾って、メイドたちはよしとうなずいた。

「さあ、いかがですかお嬢さま?」

「申し分ないできだと思いますわ」

「これならゴードンさまも声も出ませんわよ」

 メイドたちが太鼓判を押すのなら、問題ないのだろう。

 ろくに鏡も見もせずに、ニースは答えた。

「ええ。いいと思うわ」

「ようございましたわ」

「では、さっそく参りましょう」

 ボニーに押されて、ニースは部屋を出た。


 


 


 

 客室で待ち構えていたのは、見慣れた顔の婚約者だった。

「やあ。今日も美しいね、ニース」

 金髪碧眼の貴族らしい顔立ちの男が立ち上がって迎えた。

「ごきげんよう、ゴードンさま」

 少し腰を落として淑女の礼をすると、ゴードンが歩み寄ってくる。

「そんな他人行儀にしなくていいんだよ、ニース。僕らは婚約しているんだ。いずれは夫婦になるのだからね」

「……はい」

 ニースは視線を落とす。

 別にゴードンが嫌いなのではない。

 ただ、なぜこんな自分にやさしいのかがわからないだけだ。

 ふとニースの髪を飾っているものに気づいて、ゴードンが目を細めた。

「ああニース。僕が贈った髪飾りをつけてくれているんだね」

 髪飾りに触れて、ゴードンはにっこりと笑った。

「ええ、気に入っていますの」

 目を伏せたまま、ニースが答える。

 正直言って、大きな宝石がついた髪飾りは重いし派手だし、ニースには合っているとは思えなかった。

「そうか。うれしいね」

 言葉通りに受け取ったゴードンは顔を上げないニースの態度にも気を悪くせず、テーブルの方へと呼んだ。

「ニース、お茶を用意してくれているから、一緒してくれるかい?」

「はい」

 ニースはゴードンに付き添われて、テーブルにつく。

 香ばしいにおいをたてたクッキーと湯気をたてた紅茶がテーブルには載せられていた。

「君と飲んでくれと用意してくれてね。さあ、いただこう」

「はい。いただきます」

 ニースは紅茶のカップに口をつける。

 ゴードンはほほえましそうにそれを見てから紅茶に手をつけた。

「今日はね、王太子殿下の付き添いで未来の妃殿下をお迎えしたんだ」

「妃殿下ですか?」

 ハンカチでくちもとをぬぐいながら、ニースが訊ねる。

「ああ。隣国のカスティリア姫だよ。相当な美姫と聞いていたけれど、本当だった」

「王太子殿下がカスティリア姫とご婚約なさったと、わたくしもお聞きしました」

「そうそう、王太子殿下はすっかりほれ込んでしまっているよ。カスティリア姫は器量よしでいらっしゃるから」

「そうなのですか」

 美しくて器量よしなら、もてないはずがないだろう。

 ニースはわずかにまつげを伏せた。

「だがね、当のカスティリア姫はずっと気持ちがふさぎ込んでいるようでね」

「どうして、ですか?」

 チラリチラリとゴードンが部屋を見回す。

 メイドたちはちょうど部屋を後にしていて、部屋には二人しかいなかった。

「ここだけの話、どうも、姫には好いた方がいらしたらしい」

 声をひそめて、ゴードンがささやいた。

 ニースは目をみはる。

「姫はずっとその方のことが好きだったんだが、どうも周りから反対されたようだ。相手の方も身分がつりあわないからと、断っていた様子だしね」

「好きなのに、一緒になれなかったのですか」

「姫も折れずにねばったようだけれど、近頃相手の方が戦地で亡くなられてね。姫も泣く泣くこちらに嫁いでこられたということだ」

 身を乗り出していたゴードンがいすに座りなおす。

 ニースはハンカチをテーブルにおいて、ひざの上で手を組んだ。

 ずっと好きだった相手ではなく、別の人と結婚することとなる隣国の姫。

 好きなのかよくわからないのに、結婚するニース。

 なんとなく、似ているような気がした。

「それでね、ニースがよかったら、話し相手になってさしあげないかと王太子殿下から話が来ているんだ」

「え?」

 突然の言葉にニースがおどろいて顔を上げる。

「姫とニースは同じ年。18だという話だから、いろいろと話がはずむのではないかと」

 会ったこともない知らない人となど、話せるはずがない。ましてや、話し相手など。

 ニースはふるふると力なく首を振る。

「そ、そんな……わたくしなんかでは相手になりませんわ」

「そうかな。そんなこともないと思うけれど」

「わたくしには、無理です」

 ゴードンはわずかに首をかしげて、

「まあ、急いで決めることでもないと思うよ。ニースはいずれお父上の跡をついで領主の座につくことになるんだろうし、姫とも顔を合わせることがあると思うんだ。姫もニースも、気心が知れた人が近くにいたほうがいいかもしれない」

「わたくしは……」

 父の跡など継げそうにもない。

 こんなに気弱だし。

 人見知りしてしまうし。

 押しが強い人に押されてしまう。

 いいところなど、何一つない。

 ニースは手を組んだまま、ぎゅっと強くにぎりしめる。

「お嬢さま」

 ボニーがニースの異変に気づいて、ぱたぱたと走ってニースのもとへとやってくる。

「顔色が優れないようですわ。今日のところは失礼してはいかがですか?」

 助かった。

 ニースはそう思った。

 ゴードンが心配そうにニースの額に手を当てる。

「そうなのかい?それは悪いことをしたね。調子がすぐれないのならもっと早く言ってくれればいいんだよ」

「すみません」

「気にすることはない。また来るから」

「はい。失礼します」

 ニースは小さく頭を下げてのろのろと部屋を出て行く。

 足が重い。

 気も重かった。

 なぜ、こんなことをしているんだろう。

「わたくしは、貴族だから」

 貴族だから、領民の生活を守る必要がある。

 領主の一人娘だから、しっかりしなくてはならない。

 家を、領地を守っていかなくては。

「でも……」

 だからといって、家の中でずっと良い娘、良い妻になるためのことしかしないことがいいことなのだろうか。

 決められたことに従うだけで、いいのだろうか。

「あ、ハンカチ」

 部屋に忘れてきてしまった。

 後でメイドが届けてくれるだろうか。

 少し迷って、ニースは部屋へときびすを返した。


 

「ゴードンさまぁ」

 甘い声がして、ニースはびくりと身を硬くする。ノブにかけた手が止まった。

「本当にあたしのこと、捨てないでくれるんですか?」

 ボニーの声だった。

 ニースは身じろぐこともなく固まっていた。

「もちろんだよ」

「でも、お嬢さまが……」

「ああ。ニースが本妻になるだろうね。僕は伯爵家の次男だし、家を継ぐことはできない。でもニースの婿になったら、僕がこの家を動かせるようになる。ニースにそんな能力は期待できないからね」

「というか、お嬢さまにできてもらっては困るんでしょう?」

「ま、そうなるけど」

 クスクスとバカにしたような声が部屋にしている。

 ニースの中で、それがこだまするようになりひびく。

「それに、ここにいなくてはきみとも会えないだろう?やっぱり婿に入らなくては」

「ゴードンさまったら」

「ニースは気づきはしないよ。僕はニースの前では完璧な紳士だからね。ニースは鈍いし、自分に自信がないからね」

 くっくっくと低く笑って、ゴードンがとどめの一言をもらした。

「きれいなだけのお人形、となりに飾っておくにはちょうどいいんじゃないか?」


 


 


 

 ニースは走っていた。

 気づいたら、涙が流れていた。

「うっ……」

 片手で目をこすって、涙をふきとる。

 裏切られたのは悲しい。

 二人とも嫌いではなかったから。

 だが一番みじめなのはそれに気づいてもいなかった自分だ。

 自分に腹が立って、ひどく悔しかった。

「はあはあ……」

 ニースは荒い息を整える。

 部屋だけでなく、呼び止める門番を振り切って屋敷まで飛び出してきたのはいいが、どうやってここまで来たのか覚えがなかった。

 ニースはあわてて周りを見回す。

 見覚えのない道が、家々が続いていた。

「ここ、どこ?」

 すっかり日が暮れて、空は薄紫色と群青色とが入り混じっている。

 家々から明かりがもれるおかげで、かろうじて周りを見ることができるが、それも時間の問題だろう。

「ど、どうしよう」

 何も考えずに飛び出してきたことを後悔した。

 悔やんでばかりの考えなしの自分に、ことさら腹が立つ。

 また視界がにじんでくる。

 ぽたぽたと、地面に黒いしみができた。

「どうしたんだい、お嬢ちゃん」

 振り返ると、三人の男が立っていた。

 どれも見たことがないくらい背が高く、頑丈そうな身体をしていた。

「こんなところで迷子かい?」

「身なりがいいねぇ。どこかのお嬢さまかい?」

「困ってんだろ?おれたちが手を貸してやろうか?」

 男たちがいやな声を上げながら笑っている。

 本能的に危険を感じて、ニースは声もなく後ずさる。

「なんだい、逃げんなよ」

 すばやく近づいてきた男の一人が、ニースの細い手首をぎゅっとつかんだ。

「い、痛い!」

「ほっそいなぁ」

「ほんとにどっかのお嬢さんなんじゃないか?」

 男たち三人に囲まれて、ニースは生きた心地がしなかった。

「は、放してください」

 消え入りそうな声でどうにか告げる。

「放してください、だとさ!」

 ニースの声をまねて男が言うと、仲間たちが声を上げて笑う。

「そうですかって、放せねんだよ」

「そうそう。お嬢さん、おうちどこ?送ってってあげるよ?」

 ぎゃははははっと男たちが下品な声を上げる。

 失神しそうだった。

「おや、泣いちゃってるよ?」

「おいてめえら。からかうのもそのへんにしておけ」

 二人の男の後ろから、ひときわ大きな巨漢がのしのしと歩いてくる。

 ぼろぼろとまた大粒の涙を流しだしたニースの顔をのぞきこんで巨漢が言った。

「泣くなって。ほんとに送ってやるからさ」

 一番でかい男の太い指が、ニースの目の下をこすった。

「おい、何をしている」

 若い男の声が割り込んで、男たちが振り返る。

 マントを深くかぶった男が立っていた。

「ああ?」

 男たちがぎろりとマントの男をにらみつける。

「だれだおまえ?」

「通行の邪魔だ。どけ」

「なんだと?」

 男の二人がマントの男に向かっていく。

 でかい男だけはニースの手首をにぎったまま、マントの男をじっと見据えていた。

「おい。なにさまのつもりだってんだよ?」

「事実を言ったまでだ」

 二人の男に囲まれてもひるむでもなく、マントの男は堂々と立っている。

 その立ち姿にニースはあこがれを覚えた。

 自分もあんなふうであったらいいのに、と。

「なんだと?!」

 男たちはそうではなかったらしい。

 マントの男をどんっと小突いた。

 はらりと、フードが外れて男の鮮やかな赤い髪が暗い町で炎のように明かりを反射する。

「ああっ?!」

「あなたは!」

 男たちが声を上げて、ばたばたと大男のところまで走り戻ってくる。

「すすす、すみません、ジャックさん」

「ジャックさんも人が悪いなぁ。そうならそうといってくれれば良いのに」

「情けねえ野郎どもだな」

 大男は後ろに隠れた男たちを見て、半眼でつぶやいて、赤髪の男に目を向ける。

「ジャック。戻ってきてたのか」

「たった今だ。だから疲れている。どけ」

 ちらりと大男がニースに視線を向ける。

 不安そうなおびえる目を向けるニースに、にかっと笑う。

「お嬢さんがおびえなくてもよさそうな、ちょうど見目のいいやつがやってきたな」

 ニースは話しかけられているのかなんなのか、わからなくて目をしばたたいた。

「ジャック。ちょうどいい。このお嬢さん、どうにかしてくれ」

「は?」

 心底めんどくさそうに赤い髪の男、ジャックは顔をしかめる。

「そんな顔すんなって。目の保養になるくらい、美人さんだぜ?」

「それと俺がどうにかするのと、何が関係あるんだ?」

「おれたちはこの風体だからな、お嬢さんが怖がんだよ」

 男たちが自分たちを見て、小さくため息をもらす。

 たしかに屈強な男たちは強面だ。

 大事に育てられてきたお嬢さんが怖がるのも無理はなさそうだった。

「だから、ましなジャックに預けようってんだ。家まで送ってやってくれよ」

「だからなんで俺が」

 腰に手を当てて、いやそうに訊ねる。

 だが男の方が一枚上手だった。

「じゃ、任せたぜ」

 手下の二人を連れて、すたこらさっさと行ってしまう。

「あっ!おいっ!」

 ジャックがあわてて声をかけるが、逃げ足が速くてもう道の向こうへと消えかけている。

 強引にされれば、ジャックは少女を見捨てられないことを男は見切っていた。

「なんなんだよ、ったく」

 ジャックが深い深いため息をもらす。

 チラリと、ニースに視線を向ける。

 ニースはびくりと身を震わせた。

 座り込んでいるため、すっかりドレスは汚れてしまっているし、髪だってきれいに結っていたのが解けてぼさぼさになっている。

 ジャックが歩き出すと、

「あ……」

 置いていかれると思ったのだろうか。

 捨てられる子犬のような目で、少女がジャックを見上げる。

 なんだか、ものすごい罪悪感を植えつけてくる、いやな目だ。

 立ち止まると、ジャックは振り返る。

 やつらの思い通りになってたまるかと、そう思う気持ちもあった。だが、男の予想通り、ジャックは見捨てられなかった。

 複雑な顔で、ジャックは何度目かもわからないため息をもらす。

「おい」

「はい」

「すぐに帰るか?その格好はいただけないが」

 言われてニースはまじまじと自分の姿を見回す。

 たしかに、ひどい格好だ。

 だが―――

 ニースは意を決したようにじっとジャックを見上げた。

「か、帰れません」

「その姿じゃな。嫌がるだろうな」

「ちがいます」

「は?」

「わたくし、家には帰りません」

「……はい?」

 ジャックはニースの言うことを理解するのに数秒かかった。

「わたくし、家には帰りません」

 少女はもう一度、繰り返した。

 とりあえず聞いておいた方がいいだろうか。

 なるべく少女の気を立てないように、ジャックは静かに訊ねた。

「なんで?」

「家出、します!」

 涙目のまま、少女が宣言した。

 いまさら見捨てるなんて、できないだろう。

 ジャックはゆっくりと手を持ち上げて、額に手を当てた。

「なんてこった……とんでもないもの拾っちまった」

 正確には、拾わされたのだった。

 

              

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