番外編 王女と騎士

 

2.


 

 結局ライオットに言われたことが気になって、ジークは翌日うろうろと城の中を歩き回ることとなっていた。

 さすがに私服で歩き回っていたら怪しい者だと思われるだろうから、制服を着こんでいる。

「ライの言うとおりなら、鍛錬場か」

 王女が鍛錬場とは、ふつうに考えればちょっと結びつかない。

 いったいどういう人なのだろうか、ティルティスが苦手としているセシル殿下とは。

 エセルヴァーナには女性騎士もいないでもない。だが、王宮の奥深くで大切に育てられただろう姫君が、武術に興味を持つだろうか。

 ティルティスに限って妹に冷たく当たるのも考えにくいし、いったいなぜふたりの間はうまくいっていないのだろうか。

 ぼんやりと考え事にふけりながら鍛錬場へ続く庭を歩いていると、がさがさと葉ずれの音がして横合いからふんわりとしたドレスの少女が現れる。

 きらきらとかがやく金色の髪は肩口まで伸ばされていて、透けるような白い肌は日の光を知らないようだ。整った顔立ちも、よくよく見ればティルティスによく似ているような気がする。

 小さな愛らしい少女はその大きな碧い目をめいいっぱい見開いている。

 ジークから見ても、少女は愛らしい。こんな可愛らしい妹がいたなら、きっとかわいがってやることができると思う。

 ティルティスに似た少女は、おそらくセシル殿下のはずだ。

(まさか本当に鍛錬場への道で会うとはな)

 忙しくて昼間からは鍛錬場に足を運ぶことのないジークが会わなかったとしても、不思議はない。

 探しに行く手間も省け、突然の幸運をありがたく思うが、だからといって突然現れておいて、「あなたはセシル殿下ですか?」などとは聞けない。

 ジークは興奮を胸に秘め、つとめて穏やかな声音で尋ねる。

「おどろかせてしまいましたか?すみません」

 こぼれるのではないかというくらいに目を見開いていた少女はぱちぱちと二、三度まばたきをくり返して、ふるふると首を振った。

「いえ、だいじょうぶ。ここを通る人がほかにいると思わなかったから」

 子ども特有の高い声で答えた少女に、ジークは微笑みかけた。

「それはよかった」

「黒い制服を着ているということは、第二騎士団の人?」

 上から下まで、ジークをながめて少女が訊ねる。

「そうです。まだ転属したばかりですが。ジーク・ゼオライトと申します」

「新しく入ったジークというのはあなたなんだ!」

 こくりとうなずくと、ぱちぱちと手をたたいた。

「兄さまからあなたの話は聞いたよ!あまりそういう話をしない兄さまがうれしそうに話してらっしゃったから、一度会ってみたいと思ってたんだ」

「ということは、あなたが―――」

 ジークの言葉を奪って、少女はにっこりととろけるような微笑みで笑った。

「セシル・エルンスト・エセルヴァーナ」

(この子が、ティルトの妹)

 あまり女性と接したことがないジークは、世の女性がどのような感じなのかわからない。

 だがこの少女を見ていて素直に愛らしいと思えるし、ティルティスが苦手とするようなところも見つからない。

(いったいこの子のどこが苦手なんだろう、ティルトは)

 一見ふつうの少女は、ぐいぐいとジークの腕を引いた。

「ね、ジークは騎士なんだよね?」

 王族に見えない態度に戸惑い、ジークは目をぱちくりさせる。

「え、ええ」

「剣の腕に自信はある?」

「特別自信満々というわけではないですが、ほどほどには」

 騎士であるから、幼い頃から父と兄、そして故郷の先輩たちに教え込まれている。それに、最近はひまを見つけてはライオットが相手をしてくれる。

 腕がなまっているということは、ないと思う。

「ホント?じゃあさ、ちょっと付き合ってくれない?」

「どこへ、ですか?」

「鍛錬場へ」

「鍛錬場ですか?」

 ライオットが言っていたのは本当だったのか。

 だが、みたところ剣があつかえそうというわけでもなさそうだし、

「前に鍛錬場に入って見学していたら、はじかれた剣がこっちに飛んできたことがあってね。手を離した騎士も怒られて、すごい騒ぎになっちゃって。それから、危ないから入ったらダメだって言われて、バルコニーからしか見られなくて」

 では、これからも行ってはマズイのでは?

 そう思わなくもない。

 ふてくされていたようにうつむいていたセシルがぱっと顔を上げる。

「でも、ジークがいたらだいじょうぶだと思うんだ。危なくなったら、助けてくれるでしょ?」

「それは、まあ」

 たとえ苦手と思っていたとしても、セシルはティルティスの大切な妹のはずだ。

 それはつまり、ジークにとっても大切なひとに変わりない。

「バルコニーからじゃ遠くて、全然見えないんだ。だからおねがい!ジーク、連れて行って!」

 両手を合わせて頼み込んでくるセシルに、ジークは困ったように頬をかく。

 一国の姫に、こんな頼み方をされるなんて思いもしていなかった。

 そんなに剣術が好きなんだろうか。

 それとも―――

(少しでも近くで見たい人でもいるんだろうか)

 なんと言ってもティルティスの妹だ。いくつかはわからないが、少なくとも十五よりは下だろう。しかし小さな頃は女の子の方がませていると聞く。

 好きなひとでもいるのだろう。

 ジークは一つため息をもらした。

「しかたないですね、今回だけですよ?」

「やった!ありがとう、ジーク!」

 本当にうれしそうに、セシルがニコニコと笑って、

「じゃ、さっそく行きましょう!すぐ行きましょう!気が変わらないうちに!」

 一人奥へとずんずん進んでいく。

「あ、ちょっと!」

 ジークはあわててそれを追った。


 


 


 

 金属と金属がぶつかる音や、練習のための木剣がぶつかりあう音があちこちから聞こえてくる。

 昼間にもかかわらず、鍛錬場にはたくさんの騎士たちが集まっており、腕を磨いている。

 エセルヴァーナが平和とはいえ、これでいいのかと思わないでもないジークである。

「みんなやってるやってる」

 セシルは口元に笑みを浮かべたままつぶやいて、きょろきょろと視線をめぐらせる。

(みんなひまなんだろうか。それとも、休憩時間や休日まで返上して剣の練習をしているんだろうか)

 ジークも鍛錬場を見渡してみるが、鍛錬場を使用している者の多くは、赤い制服を着ている。王都と王城の警備を担当している第三騎士団だ。

 赤にまぎれてちらほらと見えるのは白い制服、国王陛下の身辺警護を担当する第一騎士団だ。

 どうやら第二騎士団員はジークのほかにはだれもいないらしい。

 第二騎士団がサボリ魔ばかり集まっているのか、第一および第三騎士団員の人数が多いために休憩や休暇が多いのか。難しいところだ。

 だが、第二騎士団員がさぼっているのは今のところ見ていない。人数が少ないから、サボるひまなどとてもない。なにかかにかと、雑用に追われている。

 ジークだけでなく、先輩たちも容赦なく団長はお遣いに出してくれる。先輩が書類などを持ってうろうろしていたのを見たのも一度や二度ではない。

「そう思うと、ほんとにいそがしいんだよな」

 第二騎士団は。

 ジークは首を振った。

 こんなことを考えている場合ではなかった。

「セシルさま?」

 横に立っていたはずの少女の姿が見当たらない。

 ジークがあわてて辺りを見回すと、少女はすたすたと鍛錬場の周りを邪魔にならないように歩いて行く。

 行く途中、

「おや、殿下」

「またいらっしゃったんですか?」

「陛下や妃殿下、それに各団長方にまた怒られますよ?」

「いや、それよりも彼女に怒られるんじゃないですか?」

などと、声をかけられている。

 セシルはそれを笑顔でかわしながら、剣を振るう一人の騎士のところでぴたりと足を止めた。

 騎士は細身の剣を巧みに扱い、相手の剣先を器用にことごとく外して見せている。

 短い茶髪を揺らしながら、真剣な青い瞳で前の騎士を見据えている凛とした少女のもとで、セシルは飽きることなくじっと見つめている。

「セシルさま?」

「あ、ジーク!こっちこっち」

 セシルがぶんぶんと手を振る。

 ジークは大回りをして、鍛錬場をぐるりと回りながらセシルのもとにやってくる。

 ジークがやってきたとき、ちょうど少女騎士は剣を下ろしたところだった。試合が終わったのだろう。一礼して、剣を収める。

「すてきだったよ、マリア!いつ見てもかっこいいね!」

 セシルが頬を染めながら言うのを見て、ジークはまじまじと少女を見つめる。

 短い茶髪はジークと同じくらいの長さに見える。特別きれいなわけではないが、さっぱりとした少女だった。

 セシルの顔はティルティスがアルベルトを見る憧れのまなざしとは少しちがう。そんな気がした。

「マリア、久しぶりだね」

「三日前にも会いましたが」

 少女騎士、マリアのほうはあきらかに迷惑そうな顔をしてセシルを見つめている。

「三日も会ってなかったじゃない」

「何をしにいらしたのですか。たしか、鍛錬場には入らぬようにと言われていたはずですが」

「今日はジークがついて来てくれたからだいじょうぶ」

 マリアがちらりとジークを見上げる。

 ジークよりは背が低いが、マリアのほうがセシルよりも背が高い。

「第二騎士団の方ですか」

「え、あ、まあ」

「なぜ連れてこられたのですか。ティルティス殿下の騎士なら、もう少しセシル殿下に気を配るべきではありませんか?ここは、剣もろくにあつかえない者が来るところではないのです」

 キッとにらみつけられて、ジークはたじろぐ。

 言われてみれば、マリアの言うとおりでもある。ここまで来てしまったのは、ついセシルのわがままに付き合ったようなものだ。

「すみません」

「ジークは悪くないよ」

「わかっています。どうせあなたが頼んだのでしょう?」

 マリアは小さくため息をもらす。

「あなたは、もう十になられたのでしょう?もう少し王子らしくなされたらどうですか」

「マリアが女の子らしい格好をするなら、僕もやめるよ」

「それでは、永遠に女装していなければなりませんね」

「マリア冷たい〜」

 セシルがむーっと不満そうにうなる。

 ジークはというと、二人の会話を聞いて固まっていた。

 頭の回路がうまくつながらない。

 王子?

 どういうことだ?

 

          

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