番外編 王女と騎士


 

1.


 

 通路を歩くティルティスのななめ後ろをついて行きながら、ジークは薄茶色の髪をかき上げ息をついた。

 一番暑い季節はとうに過ぎたというのに、残暑が厳しい。もっと涼しい東の辺境から出てきたジークには少しきつかった。

 対するティルティスは暑さもなんのその、まったくこたえた様子もなく涼しげな表情を浮かべている。

 だが、主の前を歩いている男はもっと暑そうだった。

「いやはや、エセルヴァーナはまだまだ暑いですな」

 すでに湿ったハンカチで吹き出る汗をぬぐいながら、男が言った。

 ティルティスは苦笑を浮かべた。

「慣れればなんてことはないですよ。もう少しすると涼しくていい季節になります。残念です、秋のエセルヴァーナも美しいのですが」

「もう少し遅くに来られればよかったと思いますよ」

 ふくよかな男が困り顔で告げる。

 隣国、シャントイユの宰相の訪問はなんとか難なくこなした。あとは送り出せれば終わりだ。

 宰相は汗をふきふき前を向いたまま笑顔で続ける。

「いやいや、うわさには聞いておりましたが、殿下はまだお若いのによくできておられる」

 小声でうちの殿下にもつめのあかを煎じて飲ませてやりたい、と言っているのはティルティスもジークも聞かなかったことにしておいた。

「ありがとうございます」

 ティルティスは言われなれているのか、笑顔でさらりと流した。

 ジークは小さなことだが感心していた。言われることなどないだろうが、ジークがもしも言われていたら、まちがいなくあわてて否定してしまうだろう。

「いや、もう少し涼しくなってから来られなかったのと、もうお一方にお会いできなかったのが残念ですな」

「もうお一方?どなたか、お会いになりたい方がおられたのですか、閣下?」

 ついジークが訊ねると、「ええ」宰相がうなずいた。

「エセルヴァーナと言われて有名なのは、勇敢なる騎士団に聡明な王子、そしてうわさに名高い美姫です」

 それを聞いたときティルティスが複雑な顔をしたのを、ジークは見ていなかった。

「びき?」

「ええ。あまりうわさになられておられない殿下がこれだけの美貌ですからな。その妹御となればいかほどの美貌か……見当もつきません」

 ジークは前を歩く主についじっと見入ってしまう。

 ジークの主、ティルティス・セルエスタ・エセルヴァーナ殿下の美貌は国民では知らないもののほうが少ないのだと、王都に来て初めて知った。

 絹糸のような黄金の髪は日の光の下でなくてもそれ自体が光を放っているかのようだし、宝石のような碧い眼は強い意志を感じさせる理知的なかがやきをはなっている。

 少女と言っても通じるような中性的な顔立ちは一流の職人が丹精こめて作り上げた魂の宿った人形のようだ。

 生きた宝石、そう呼ばれているのを城で何度も耳にした。

 ティルティスに妹がいるなら、宰相が期待するのも無理はない。あまりそういったことに疎いジークでも、一目くらいは見てみたいと思う。

 だが、宰相の言葉を思い出し、ジークは首をかしげながら聞き返す。

 そんなの、いただろうか?

 城内を走り回っているが、そんな人物に会った覚えなどない。

 それに国内に住んでいるにもかかわらず、そんな話は聞いたことがない。ジークは記憶の引き出しをあわてて探る。

 ティルティスのせき払いでジークははっと我に返る。

「申し訳ありません、閣下。風邪でふせっているのです」

「そうですか。それではいたしかたありませんな」

 本当に残念そうな顔をして、宰相は馬車に揺られて帰っていった。

 城門まで馬車を見送りに来ていたティルティスの横顔をちらちらと見ていたジークのぶしつけな視線に、ティルティスがすいっと碧い目を向けた。

「なんだ」

「えっ?!え、別に……」

「ものすごくなにか言いたそうな顔をしているが」

「う……」

 ジークの考えることくらい、お見通しらしい。

 ティルティスは小さく息をついた。

「いや、ほら、ティルトから兄弟の話なんて聞いたことなかったから。ティルトって妹がいたんだぁって思って」

「現国王の家族構成くらい、言わなくても知っているだろう。特にジークは騎士なんだし」

「やっぱ、知ってなくちゃまずいよね?」

「知っておいた方がいいかもな」

 ティルティスの言葉の端から、なんとなく避けたそうな空気を感じ取って、ジークは眉根を寄せる。

「ティルト、家族きらいなの?」

 ジークの家族は、どちらかというと仲がいい。少々過保護な父に兄、まともなのは母だけだが、ジークは家族みんなを愛している。

 だから仲のよくない家族というものを想像できなかった。

 ティルティスは首を横に振った。

「そうじゃない。父上も母上もきらいじゃない。まあ、どちらかと言えば好き、だと思う」

「なにその微妙な言い方」

「ただあいつは……セシルは、どう扱えばいいのか、よくわからないだけだ」

「どう扱えばって、ふつうに妹として扱うんじゃダメなの?」

「……わからない」

「わかんないって……ティルト、妹さんきらいなの?」

 蜜茶色の目を丸くしたジークを見上げて、ティルティスが何かを言いかけて口を開く。その口から言葉がこぼれることはなく、何度か開いたり閉じたりしていたが、結局言葉を飲み込んでしまった。

「ティルト?」

「殿下ー!」

 城の方から文官の男が走ってくる。

 ティルティスとジークのそばで足をとめ、息を整える。

「こちらにおられましたか、離宮の工事の話で少しおうかがいしたいことが」

「そうか。部屋で聞こう」

 ジークの横をするりとすり抜けるティルティスを追おうとジークがきびすを返すと、ティルティスが立ち止まって振り返る。

「ジーク、今日はもういい。朝からシャントイユの宰相の相手、ご苦労だった。今日の報告書だけ頼む。下がっていい」

「え?ですが―――」

 言いつのろうとしたジークをさえぎり、有無を言わさぬ口調でティルティスが告げた。

「命令だ、今日は下がれ」

「……了解、いたしました」

 しぶしぶ答えたジークに一つうなずいて、ティルティスは文官をともなって城に帰っていく。

 ジークは不満そうにその背を見送るが、ティルティスは一度も振り返らなかった。

 湿気を帯びた風が、ふわりとジークの髪を揺らした。


 


 


 

「はあ?ティルの妹?」

 机に向かっていたライオットが顔だけで振り返る。

 ジークは椅子の背にあごを乗せ、背もたれを抱きしめながら小さくうなずいた。

 昼間のことが気になって、結局ジークは同室の先輩であるライオットに相談していた。

「そう。仲悪いの?」

「ん〜……や、そういうわけじゃないけど」

「けど?」

「ティルも言ったんだろ、扱い方がわかんねぇんだ。扱い方って言うか、たぶんあしらい方だな」

「扱い方ってなに?人と接するのに相手の扱い方なんて考える?」

「なんだよ、やけに今日はからむなぁ」

 ライオットがはねた金髪をがしがしとかき回しながらペンを置いた。

「ライは考えてるの?」

「そりゃ考えてるさ。好きなやつときらいなやつへの態度はちがうだろ?」

「…………」

「でも、おまえも無意識のうちに考えてるはずだぞ。まったく知らないやつに初めて会って話さなきゃならないときにする態度と、仲いいやつといっしょにいるときの態度って、変えるもんだろ?」

「それとはちがうんじゃ……」

「おんなじようなもんだろ。こいつにはここまで自分をさらしてもいいや、ってあるだろ。あれがよくわかんないんだろ、ティルは」

「うーん……」

 ジークは納得いかなさそうにうなる。

 家族は、そういうものを気にしなくてもいい間柄なのではないのだろうか。

 机に戻って、ライオットはふたたびペンを手にした。

「ティルはさ、小さな頃から自分を出さないことを徹底的に叩き込まれてるからな。エセルヴァーナの王子として、どこに出されても恥ずかしくないように、なんでも完璧に振舞えるようにってさ」

「そうなの?」

 ジークはけげんに聞き返す。

 初めて会ったとき、廊下を走って人にぶつかってきたのはだれなのか。

 完璧を求めるのなら、そんなことはしないのではないだろうか。

 ライオットが苦笑いを浮かべる。

「団長と副長のおかげで、ティルもずいぶん子どもらしくなったってこと。昔は廊下を走るなんてなかったからな」

 ジークはしょっちゅう廊下を走っては母や乳母に怒られていた気がする。

「な、わかるだろ?ティルはだれの前でも王子だった。家族っていっても、相手は陛下と妃殿下だからな。王と王妃に、王子として接しなくてはならないから、ジークの考える家族と、ティルの持つ家族のイメージはちょっとばかりズレるんだよ」

 ジークは不満そうに眉間にしわを寄せて、まつげを伏せる。

「そんなに気になるなら、会ってみればいいじゃねえか。セシルに。おまえ、明日は非番なんだろ」

「なに言ってるの、一介の騎士がそうそう簡単に会えるわけないじゃない」

「じゃ、会えそうな場所を探してみれば?ま、オレの勘じゃ、たぶん鍛錬場にいるな」

「王女さまが鍛錬場?」

 不信げに顔を上げたジークに、ライオットはニヤリと笑ってみせる。

「だまされたと思って行ってみな。本人を見てみりゃわかるよ、ティルがセシルを苦手としてる理由がな」

 

          

(C) Copyright Yuu Mizuki  2005-2008.  All  rights  reserved.