番外編 王女と騎士
3.
「え〜っと……僕、じゃなくて、自分にもわかるように説明を―――」 「お、ジークじゃんか!」 声に振り返ると、通路の向こうから片手を上げて赤毛の男がにかっと笑う。 「サーフィス!」 すたすたと危なげなく剣を向け合う騎士たちの間をなんでもないように通り過ぎてくる。 向かい合う騎士たちの邪魔することなく彼らの間をきれいにぬってやってくるこの先輩も、ただものではない。 「今日は休みじゃなかったのかよ」 「え、ああ、いや……そういうサーフィスこそどうしてここに?」 「俺は殿下の護衛を交代してきたところ」 サーフィスはジークの後ろにいたセシルとマリアを見て目を細めた。 「なんだ、ちっこい殿下とマリアも一緒か。いつのまにジークと知り合ったんだ?」 そう言ってセシルとマリアの髪をくしゃくしゃとかき回す。 「やーめーてーよ」 セシルがサーフィスの手をぐいぐい押してなんとか外す。 マリアはされるがままで、きれいに整えてあった茶色の髪がくしゃりと崩れる。 さきほどまでのセシルへの言葉がうそのように、そんなことをされながらもマリアはだまっている。 (あ……) セシルは明らかな敵意をサーフィスに向けているが、サーフィスのほうはどうやら気づいていないらしくニコニコ笑っている。 マリアはというと、視線を外すことなくじっとサーフィスを見つめている。 気づいていないのはサーフィスばかりということか。 自分のことにはとんと鈍いが他人のことには鋭いジークは、なんとなく三人の関係がわかったような気がした。 (なんか……僕ってまずいところに混じっちゃってる?) なんとなく、ジークは今すぐ逃げ出したくなった。 「にしても、知らなかったな。ジークがマリアやちっこい殿下と知り合いだったとは」 やっと手を離したサーフィスはジークに向き直る。 セシルは手ぐしでくしゃくしゃにされた髪を整えているが、マリアはサーフィスが触れていたところに手を置いているだけだ。 ジークはそれを視界の端に収めたが、気づかなかったことにした。 「いや、知り合いというかなんと言うか。そういうサーフィスは二人と知り合いだったの?」 「そりゃ、ちっこい殿下はちょくちょく顔を見るぞ」 「ちっこいって言うな!」 セシルが不満そうに声を上げるが、第二騎士団ではあまり背の高くないサーフィスでもセシルよりは断然高い。 「マリアは、幼なじみってやつだ。おれんちの二軒となりのパン屋の娘なんだ」 そう言ってなつかしそうに灰色の瞳を細めるが、すぐにマリアに視線を向ける。 「ところでおまえ、ジークにあいさつしたのかよ」 ちらりとサーフィスを見上げて、マリアはぴしりと背を伸ばした。 「第三騎士団王城警備部隊所属、マリア・ポートレートです」 さっと敬礼されて、ジークも条件反射のように敬礼した。 「第二騎士団所属、ジーク・ゼオライトです」 ジークは気もそぞろで、サーフィスに顔を向けた。 「僕、頭が混乱してきてよくわからなくなってるんですけど。こちらは……」 そう言って視線を向けた先にいる小さな殿下を見て、サーフィスはこともなげに告げる。 「ん?だから、セシル殿下だろ?ティルティス殿下の弟だよ」 「妹がいるんじゃ?」 「なんだ、ジークも引っかかったのかよ。ちっこい殿下は正真正銘、現王の第二王子だよ」 「うそ!」 「なんでおれがうそなんかつかなきゃなんねんだよ」 あきれたようにサーフィスは半眼でにらむ。 「だって、隣国の、シャントイユの宰相殿はティルトの妹がって……」 「ああ、陛下も妃殿下もおもしろがって止めねえから、ちっこい殿下は冗長してこんな格好してるからな。たまたま見た他国の人間がうわさを持ち帰って広まっちまってるんだ。すげえぞ、縁談が舞い込んでくるって話だからな」 あらためてセシルを見ると、たしかに女の子みたいな顔をしているが、やはり線は細くても女の子らしい柔らかな雰囲気というよりもやんちゃ坊主といった印象を受ける。 「でも、妹って僕が言ったときに、ライは訂正してくれなかったけど」 「あいつもおもしろがってたんだろ」 たしかに。 思えばライオットは一言もティルティスの妹とは言っていなかった。ただ、聞き返しただけだ、と言い返してきそうな気がする。 それをリアルに思い描いて、ジークはため息をもらした。 「まぎらわしいよ」 ティルティスもライオットも。 一言ちがうと言ってくれればよかったのに。 そもそも、セシルがこんな格好をしているのにも原因があるはずだ。 「なんでその、ドレスなんか着てるんですか」 げっそりとして訊ねると、セシルは愛らしく小首をかしげる。 「マリアが男になりたかったって言ったから」 「おまえ、そんなこと言ったのかよ」 サーフィスがあきれたようにつぶやいた。 「言ったけど、別にいまさら性別変えられないことくらいわかってる」 「でも、いつも男装してるから。マリアが男で、騎士として働きたいっていうなら、僕が女で家を切り盛りすればいいんでしょ?」 (それはいくらなんでも短絡的では) ジークはあきれて言葉を失った。 実際はそんなに簡単な問題ではないはずだ。 そもそも、セシルはこう見えてもエセルヴァーナの第二王子で、マリアはサーフィスの話によると庶民の娘だ。 しかも、セシルのラブラブアタックをものともしていない。 二人の間には、大きくて深い溝がありそうだ。 「なんか、前途多難だな」 「あ、いたいた、ジークくん」 いつもにこやかな背の高い男がやってくる。 「あ、副長」 第二騎士団の副長、ユークリフトだ。 ジークよりも頭一つは高い副長は、にこやかに語りかけてくる。 「殿下が探していたよ。そうそう、セシル殿下も。妃殿下がお呼びだよ」 「殿下が?」 「母さまが?」 ジークとセシルが同時に答えるのを聞いて、ユークリフトが苦笑した。 「まあ、そういうわけだから油を売っていないで二人ともほら、走る走る」 ジークとセシルがあわただしく鍛錬場を出て行く。 「ジークはいそがしいな」 サーフィスがジークの背を見ながら腰に手を当てて嘆息した。 「そういう君は、いつから午後が休みになったっけ?」 「う……」 「第二騎士団の仕事は殿下の護衛だけじゃないよ。雑用は山ほどあるからね。団長が探していたよ。雷を落とされる前に帰んなさい」 「やべ、おれもいそがしいんだった」 ばたばたとサーフィスもあわただしく戻っていく。 その背を見送っていたマリアに、ユークリフトは穏やかに告げる。 「もうちょっと小さい殿下の方にも気を遣ってあげてくださいね。陛下のもとで愚痴をこぼされると、小さな殿下を砂糖菓子のように甘やかしている陛下からお小言が回ってくるんで」 「サーフィスにですか?」 「いいえ。うちの大事な殿下のほうにですよ。小さな殿下よりも一足早く大人になられたおかげで、騎士たちにかかる負担をなるべく背負ってくださいますいちいちそんなことを騎士たちの耳にはお入れにならない ですよ」 一人で抱え込んでしまう。 だから、扱いかねるのだ。 望むまま、自由に動き回っている小さな殿下を。 小さくなっていく赤毛を見つめながらマリアは答えた。 「肝に銘じます」
あわてて城へと戻っていく途中、クロスを連れたティルティスとばったり出会った。 「あ、殿下!」 ティルティスはジークの顔を見ると、開口一番に訊ねる。 「ジーク、昨日の報告書、まだ出していないと聞いたぞ」 「あっ!!」 ジークは思わず声を上げて真っ青になる。 昨日はついついティルティスの妹が気になって報告書どころではなかった。まだ書きかけで机の上に放ってある。 「その様子だと、まだのようだな」 「す、すみません」 「昨日はいつもよりも早く帰したはずだったんだが」 昼少し過ぎには部屋に戻っていた。 それをのんびりと物思いにふけっていたのはジークだ。 ジークはちぢこまってただすみませんと言うばかりだ。 「まあ、しかたないだろう。休みのところ悪いが、後で持ってきてくれるか?」 「はい」 しまった。 昨日あれだけ時間があったら、すぐに書いて出しているはずとティルティスも思うはずだ。 さっさと終わらして出そうと思っていたのに。 (あ、そっか) クロスを連れ、仕事をこなしているティルティスを見て、ジークははたと思いつく。 ティルティスがセシルを苦手としていた理由。 それは、ティルティスが一足飛びに飛び越してしまった、子どもであることを、セシルが享受しているからではないだろうか。 五つしか変わらないのに、ティルティスとセシルとの間には大きなちがいがあった。 思いつきで行動しているセシルをとがめるものはいないという。ジークが故郷で遊び相手をつとめた普通の子どもたちと、セシルはなんら変わらない部分を持っている。 だが、ティルティスはそういうものを全て手放さざるをえなかったのではないだろうか。 王太子であるから。 ―――小さな頃から自分を出さないことを徹底的に叩き込まれてるからな。エセルヴァーナの王子として、どこに出されても恥ずかしくないように、なんでも完璧に振舞えるようにってさ ―――ティルはだれの前でも王子だった。家族っていっても、相手は陛下と妃殿下だからな。王と王妃に、王子として接しなくてはならないから ライオットの言っていたことがいまならわかる。 子どもでいられなかったティルティスは、子どもというものがどういうものかよくわからないのだろう。自由奔放なセシルにどう接していいのかわからないのだ。 第二騎士団に入ったばかりのときに、団長がティルティスのことを頼んだと言ったのは、こういうことも含まれていたのだろうか。 歳の近いジークなら、ティルティスの友としてティルティスを歳相応にできるのではと、考えていたのだろうか。 (さすが、団長だな。でも、今回は僕もまあまあかな) だれに言われることなく、新たな発見ができたのだ。 今までの自分よりも進歩した感じだ。 突然笑い出したジークに、ティルティスはけげんそうに眉をひそめる。 「いったいなんなんだ?」 「ううん。なんでもない」 これから教えてあげよう。 ゼオライト流の家族のありかたを。 いつかティルティスが持つはずの家庭で、子どもたちが心から笑えるように。
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