7.

 

「アメルさん、起きて」

 夜中に起こされて、あたしは眠い目をこすりながら重いまぶたを押し開く。

「なに……?」

 あたしを上から見下ろしていたのは、バートさんだった。

 仕事に行くときのように、しっかりとよろいを着込み、帯剣している。

 なにかあったのかもしれない。

 そう思ったら、あたしは目がさえてきた。

「どうしたんですか?」

「ちょっとまずいことが起こっていてね」

 言いにくそうにバートさんは言葉をにごす。

 それが余計に不安をかきたてた。

「まずいことって?」

「隣村の見張り台から、魔族の大群がせまっているという連絡を受けたんだ」

 あたしはそれを聞いてはっとした。

 そういえば、あたしがここに来た目的は未来を知っている魔族たちがこの時代に逃げ込んだからだったわ。その魔族たちの魔手から勇者さまを守るために来たんだった!

 あたしの予想とはちがって、あまりにも平穏無事な場所だったから、すっかり忘れそうになっていたわ。

 あたしはあわてて起き上がる。

 よかったわー、万が一のために毎日服のまま寝てて。着替える手間がはぶけるわ。

「わざわざ起こしに来たということは、逃げなきゃいけないんですね?」

「逃げるといっても、せいぜい丘の上の村の避難所か、家の地下に作った隠し部屋くらいだけれどね」

「なんとかできそうなんですか?」

「数が多いようでね、難しいかもしれない」

 神妙な面持ちで言うバートさんからは、いつもの余裕は感じ取れなかった。

 きついんだな、きっと。

 この村の人たち、あんまり戦えそうになかったしな。

 とはいえ、あたしも役に立つかどうかはむずかしいところだけど、でもなにもしないよりはいいわよね。

 ここへ来た目的を、忘れちゃいけないわ。

 あたしは口を引き結んで、バートさんを見上げた。

「あたしはなにをすればいいですか?」

「とりあえず、アッシュを起こしてきてくれるかい?」

「わかりました」

 あたしは廊下を走ってアッシュの部屋へ向かう。

 村がなんとなくざわついた感じで、あわただしいように感じた。きっとほかの家でも逃げる準備なりなんなりをしているのね。

 あたしも早くしなくちゃ。

廊下の奥の戸を開けて、あたしは窓際のベッドに歩み寄る。

 規則正しい寝息が聞こえる。

 この安らかな時をこわしてしまうのはなんだか悪い気もしたけれど、そうも言ってはいられない。

 あたしはベッドで眠っているアッシュの肩をゆすった。

「アッシュ、起きて。アッシュ!」

「んー……」

 心底いやそうに眉間にしわを寄せる。

 まあ、ふつうはいやよね。せっかく気持ちよく寝てるんですもの。

 でも、今はそんなこと言ってる場合じゃないの。

 あたしはアッシュをもう一度ゆすった。

「アッシュ、お願い起きて」

「うー……なに……」

「起きて、魔族がせまってるの」

 さすがにアッシュも危険を感じたのか、アッシュがすっと目を開ける。

「魔族?」

「ええ、急いで。逃げる準備を―――」

 あたしが言い終わる前にアッシュはベッドを抜け出して上着を羽織ると、小さな部屋の隅に置かれていたかばんを手にする。

「用意してたの?」

「うん。こういうのたまにあるから、いつでも逃げられるようにね」

 そうなんだ。

 あたしはそういうの、一度もなかったからあんまりピンとこないなあ。今は持ってきている荷物が限られているから、それほど大荷物にもならないですむし。

「じゃあ、バートさんのところへ行きましょう」

「うん」

 アッシュはパタパタと走って居間で荷物をまとめていたバートさんのところへ駆け寄る。

「父さん」

「起きたか。アッシュ、これを」

 バートさんはアッシュに今しがたまとめていた小さなかばんを手渡す。

「父さん、ぼくは荷物持ってるよ?」

「いいから、これも持って行きなさい」

「……うん」

 いまひとつよくわからなさそうな顔で、アッシュはこくりとうなずいた。

 アッシュは持っていた肩掛けかばんの中にバートさんのくれた小さなかばんを詰め込んだ。

「準備ができたなら、丘の上の避難所まで走れ」

「え?いつもの地下の隠し部屋じゃないの?」

 アッシュが意外そうに父を見上げる。

「今日は村の人たちといっしょに丘の上の避難所に行くんだ。父さんは村で戦える人たちとなんとか食い止めるから」

 不安そうにアッシュは父を見つめている。

 そりゃそうよね。バートさんって歴史にも残るくらいに強い剣士だし、アッシュだってそういう面を何度も見てるはずだわ。

 そのバートさんが丘の上のほうへ行けって言うって事は、たぶん地下の隠し部屋のほうじゃ守りきれないかもしれないと思っているっていうことだわ。

 アッシュは10才くらいにしか見えない。まだ小さいんだもの、不安にならないほうがおかしいわ。

「心配するな、アッシュ。避難所にももう村人たちが避難してる。それに向こうも村人たちが守ってくれるよう話がついてる。やつらを追い払ったら、父さんが迎えに行くから」

「…………」

 アッシュは眉間にしわを寄せて、ぎゅっと服のすそをにぎりしめる。

「アッシュ」

 柔らかな声音で、バートさんがアッシュを呼ぶ。

「……わかった。でも!」

 必死の顔で、アッシュはバートさんを見上げて迫った。

「ぜったい……迎えに来てよ?」

「当然だろう?さ、行くんだ」

 とんとアッシュの背をおして、バートさんは微笑んだ。

 そして真剣な顔をあたしに向けた。

「アメルさん、アッシュのことをよろしくお願いします」

 そう言ってきれいに一礼する。

 それを見て、あたしはかたまった。

 やだ。

 なんか、やだ。

 だって、なんか、最後みたいな言い方するんだもん。

 おかしいわ。

 あたしが習った歴史では、勇者アッシュ・エリオットはその父親である剣豪バート・エリオットに剣の手ほどきを受けるのよ。

 それで、アッシュはバートさんといっしょに最初は傭兵みたいなことをして旅をする。そこで学んだことがアッシュにとってとても大きな財産になる。

 アッシュが独り立ちできるくらいに大きくなってから、バートさんはある国の剣術指南としてそこに残ることになる。そこでアッシュはバートさんと別れて旅をすることになるの。それが魔王討伐への道に続くことになるのよ。

 あたしは首を振った。

 バートさんには、まだまだしっかりしてもらわなくちゃ困る。

 だって、アッシュはまだろくに剣の手ほどき、受けてないじゃない。アッシュには、まだバートさんが必要だわ。

「バートさんもご存知の通り、あたしはろくに役に立てません。だから、バートさんがちゃんと帰ってきてもらわないと困ります。必ず迎えに来ると約束してください。そうしたら―――」

 そうしたら、あたしはなににかえてもアッシュを守ると約束する。

 たとえ、あの子を使うことになっても。

 あたしは胸元をぎゅっとにぎりしめる。

 ここには、あの子を呼び出すための端末であるペンダントがある。

 とはいっても、起動実験に呼び出したっきり、とくに事件に巻き込まれることもいちゃもんつけられることもなくて、ろくに呼んでないんだけどね。

 バートさんはこくりとうなずいた。

「もちろん。アッシュを迎えに行きますから、それまでこの子のことをお願いします」

「わかりました」

「アッシュ、アッシュも男の子なんだから、アメルさんを守ってあげなさいね?」

「うん。アメルはぼくよりずっと頼りないからね」

 こりゃ!どういう意味じゃ!

 そう思ったけど、たしかに、生活力あるのはアッシュだな。

 ちょっとだけむっとしたけど、あたしは気を取り直す。

 アッシュはバートさんにぎゅっと抱きついてから、そっと身体を離した。

「いつもみたいに、ちゃっちゃとやっつけて、早く来てよね?」

「ああ。村人たちももう移動してる。おまえたちも急ぐんだ」

 そう言い残して、バートさんは家を駆け出ていく。

「アメル、ぼくたちも行こう」

 アッシュは玄関先にあった小さな短剣を手にしてあたしの腕を引いた。

「どうせ道なんてわかんないんでしょ?」

 困ったような顔をしてアッシュが苦笑する。

 だからあたしもにこっと笑った。

「わかってるじゃないの」

「アメルはまだ丘のほうには行ったことないからね。さ、行こう」

 あたしの腕を引きながら、アッシュは家を出て走り出す。

 その手がわずかに震えているのに、あたしは気づかないふりをした。

 あたしよりもちっちゃいから、きっと怖いだろうに。

 でもあたしにそんなところを見せたりしない。

 あたしよりも小さな身体で、あなたがあたしを守ってくれようとしているのがすごく伝わってくるから。

 あたしはもう一方の手でアッシュの手をにぎりしめる。

 ぴくっと動いて、アッシュはあたしの腕を放してあたしの手をにぎりしめた。

 小さな手を見ながら、あたしは改めて思う。

 あたしも、あなたを守ってみせるから。

 あたしはあたしの心の中で、決意した。

 けど、あたしはまだわかってなかった。

 あたしの決意がまだ、本当の決意なんかじゃなかったんだって。

 

          

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