6.


 

 あたしが来てから三日。

 あれからしばらく、おどろくくらい、穏やかな日が続いている。

 あたしはバートさんちでお世話になりながら、アッシュと一緒に家事の手伝いをしていた。

 バートさんはこのあたりでは―――といっても、このあたりの村や町はけっこう遠くて四、五時間は歩かないといけないらしいけど―――頼りにされている剣士らしくて、傭兵まがいのことを依頼されることが多々あるらしい。それで家にほとんどいないのだ。

 だからあたしは小さな未来の勇者といっしょに家で過ごしていた。

 バートさんがそんなふうだから、アッシュはずっと家事をやっていたらしい。あたしだって、家で一人が多かったけど、うちの場合はなんでも機械がやってくれちゃったからね。

 あたしがすることって、ボタンをぽちっと押すだけだったのよね。

 掃除も洗濯も食事の用意も、全部機械任せ。

 全自動掃除機は隅から隅までやってくれるし、全自動洗濯機は洗って乾かすところまでやってくれる。太陽の光で干したのと同じくらいにふわふわになるっていうのがコンセプトらしいし。食事もメニューをインプットすれば勝手に作られて出てくる。

 だからあたしって家事なんてほとんどやったことがなかった。

 あたしのあまりの不出来さに、アッシュはあきれかえっていた。

 あたしのほうがお姉さんなのに。

 それがちょっと悔しい。

 でもでも、あたしも多少は学んだのよ。

 まだまだちっちゃなアッシュに代わって、洗濯物を干すくらいは……。あとはむにゃむにゃ……いいのよ!とりあえず一つでも役に立てば!

 というわけで、あたしの仕事はアッシュの洗う洗濯物を干すことになっていた。

 今日も今日とて、アッシュの洗った洗濯物をほしていた。バートさんが切ったという木の棒に太い縄を渡した手作りの物干しに太陽光で乾かすという原始的方法で。

 あたしも着たきりではかわいそうと、バートさんが服を貸してくれているので助かっている。

 干し終わって、あたしは庭の切り株の上に腰をすえた。

 太陽光くらいに柔らかく、って言ってるけど、全自動洗濯機の方がやわらかいわ。それに、全過程が一時間で終わるもの。それに引き換え、この方法だと半日はかかるんだもん。

 ぜったい時間と体力のムダだと思うんだけど、文句は言えないわよね。お世話になってる身だし。

「終わった?」

 家の中からアッシュが出てきて、となりに立ってあたしの干した洗濯物を見上げる。

「だいぶまともに干せるようになったね」

「失礼ね。あたしだってちゃんと日々学んでるんですからね」

 あたしは不満そうに座ったままアッシュを見上げた。

「へぇ?最初はひどいもんだったけどね。あんまりなんにもできないから、いったいどうやって生きてきたのか不思議に思ったし」

「う、うるさいわね。家事がちょっとできなくっても、生きてこられるのよ。あたしがその証拠ってわけ」

 あたしは説教をたれるように人差し指をたてて論じる。

 なんかあたしのほうが不利そうな感じ。

 アッシュはここで生活してるからこういうこともしなくちゃいけないけど、あたしの暮らしていたところでは家事をする人なんてほとんどいないもの。だから、できなくってもしかたないのよ。

 自分で言っておいてなんだけど、言い訳がましいかな。

 にやっと笑ってアッシュがあたしを見下ろした。

 その表情は、バートさんがアッシュをからかうときの表情に似てた。

「嫁にはいけなさそうだけどね」

「ほっといて!」

 ほっといてよね!そんなのさ!

 あたしの勝手でしょ!そのうち貰い手くらい見つかるわよ…………たぶん。

 あたしは腕組みをしてにらみ上げた。

「あたしよりちっちゃいのにさ、生意気なこと言ってくれちゃって」

「アメルのほうが年上かもしれないけど、ぼくのほうが生活力あるよ。アメル、料理も掃除も洗濯もできないじゃないか」

 ぐ……言い返せない自分が情けない。

 言葉に詰まったあたしを見て、アッシュはくすくす笑った。

「正論だから言い返せないだろ」

 きーっ!!

 その余裕の表情がむかつくわ!!

 でも、たしかにホントのことでもあるのよね。

 あたしってばなんにも考えてなくて、ここにさえ来られればなんとかなるって思ってたけど、全然なってないわ。

 あたしが助けるんだって、意気込んで来たのはいいけど、実際はバートさんに、アッシュに助けられてばかりなのよね。

 ろくに役にもたたないしさ。

 あ〜、ヘコんできたわ。

「なに、もう終わり?」

 アッシュがあたしを試すように訊ねながら小首をかしげる。

 仕草はかわいいのに、このうえなく腹立たしいのはあたしだけ?

 いや、ぜったいちがうわ。だれがされても、きっとムカッとくるわよ。

「ふんだ。言ってなさいよ。そのうちぎゃふんと言わせてやるんだから」

「ふーん?じゃ、がんばって」

「もちろん、そうするわよ」

 にやっと笑っているアッシュがうらめしい。

 ちょっとでもかわいいかもと思ったのがまちがいだったわ。

「今日は天気いいよね」

 ぽつりと、突然アッシュが口を開く。

「え?あ、そうね」

「このぶんだと、すぐ乾くね」

 風があたしとアッシュの髪を揺らす。

 洗濯物がはためく音が、耳に心地よい。

「バートさん、今日も遅いのかしら」

「父さんはいつもあんなもんだよ。いそがしいからさ」

「じゃあ、アッシュはずっと一人だったの?」

「慣れてるからね。一人は一人で気楽だよ。静かだしさ」

 アッシュはなんでもないことのように言う。

 でも、本当にそれだけかな。

 あたしは知っている。未来で、古代史で習ったから。

 アッシュのお母さんは、女神メイティーナを祀る神聖教会で天聖の聖女と呼ばれたすごい力を持っていたらしい聖女さま。その聖女さまはアッシュがもっと小さなときに魔族と戦って命を落としている。

 だから、アッシュにとって家族はバートさんただ一人だ。

 そのバートさんはいそがしくってあっちこっちへ出て行ってしまうみたいだからアッシュはずっと一人で暮らしているのね。

 あたしも、小さな頃からずっと一人で過ごすことが多かった。パパもママも仕事がいそがしくていつも遅くまで帰ってこなかった。

 おばあちゃんやおじいちゃんたちは遠くに住んでたからあんまり行き来もできなくて、いつも学校が終わってからは一人だった。

 ときには友達と遊んだりして、そういうときには楽でいいよねって言われてたけど、ああいう子たちって、一人で過ごすことがないからそう言えるのよね。

 友達が帰ってからの部屋は、いつもよりもずっと広く感じられて、なんて静かだろうと思いながらパパとママを待っていた。

 ホログラフィックテレビがあって、どんなに楽しそうな声がしていても寂しさが消えなくて。

 その時間ほど、寂しくてせつなくて一人が嫌になるときなんてなかった。

 アッシュは、ないのかな。

 なかったのかな。

 そういう思い。

「あ、最近はうるさいし、いろいろと手間が増えたけど」

 思い出したように付け加える。

「それってどういう意味よ!!」

「まあ、たぶんなんにもできない居候が増えたからかな」

「うー、だからちょっとでもなにか手伝えるようにって思って洗濯物を干すくらいはやるじゃない」

「逆に言えば、それしかできないんだよね」

「アッシュの意地悪!」

「あれ、いまごろわかった?」

 アッシュがにこっと笑う。

 その笑顔は無邪気なもので、こちらとしても怒る気が失せていく。

 まあ、迷惑掛けてるのも本当のことだし、家計に負担がかかってるのも本当なのよね。

 あたしって、迷惑かけることしかできてないよ、今のところ。

 へこむわね、この事実。

 あたしはしゅんとしてうなだれる。

「あれ、言い返さないの?」

「ホントのことだもん」

「うそうそ、ごめん。ちょっとからかいすぎたかな。そんなに気落ちすると思わなかったんだ」

 アッシュがあわてたように両手を振った。

「アメルは一人でもにぎやかだからさ。ぼくも楽しんでるんだよ。父さんと二人でも、あんなににぎやかなことはないし」

「それってうるさいだけじゃない?」

「そんなことないよ。ぼくは楽しいよ。アメルは楽しくない?」

 アッシュが不安そうに訊ねてくる。

 慣れない仕事は正直言って辛いときもある。

 でも楽しいのも本当。今のところ忙しくって、それでいて楽しいから家のこともあたしの住んでいた未来の世界のことも思い出すことはあっても寂しさを感じることはない。

 それは、バートさんとアッシュのおかげ。

 だからあたしは首を振った。

「楽しいよ。退屈を感じるひまもないほどいそがしいしね」

「それはアメルの要領が悪いから」

「なんですって?」

「ホントのことだもーん」

「本当のことだからって言っていいことと悪いことがあるの!こんなに努力してるあたしに向かって!」

「本当の努力家は自分で努力してるなんて言わないって」

「かわいくなーい」

「ぼくは男だから別にかわいさを求めてなんてないから」

「そんなこと言うかわいくない子にはこうしてやる!」

「うわっ、なにするんだ!」

 あたしはとなりに立っていたアッシュを抱き寄せてくすぐり始める。

「こうしてやるこうしてやる!」

「やめろってば!あはははははははは!」

 アッシュの笑い声が青空の下ひびく。

 あたしの来たこの村は本当に平和で、おどろくほど穏やかで。

 あたしはすっかり忘れていた。

 なんのために、ここに来たのかを。

 

          

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