5.

 

「父さん!」

 9、10さいくらいの男の子が家の中から出てきて、バートさんに駆け寄った。

 そのままぎゅむっと抱きつく。

「おお、ただいま」

 バートさんもそれがあたりまえのように男の子を抱きしめた。

 あたしはそれを見て息をのんだ。

 バートさんは精悍な男の人っていうかんじだ。

 ほどよく焼けた肌にざんばらな短い茶色の髪。ちょっと無精ひげがあるあたり、大人って感じがする。

 でも男の子は、はっきり言ってバートさんにはちっとも似てなかった。

 さらさら風に揺れているのは絹糸みたいな銀糸の髪。

 不健康そうなわけじゃないけど、バートさんと比べると肌も白いし、男の子にしては華奢なかんじだ。

 細くてちっちゃくて、愛らしい男の子。

 もしかしたらバートさんの子?って思えるただ一つのところは、同じように澄んだ青色の瞳なところくらいかしら。

 それっくらい全然似てなかった。

 男の子は満足したのか、バートさんの服をにぎりしめたまま顔を上げた。

「遅いよ、ずっと待ってたんだよ。今日は稽古をつけてくれるって言ったのに」

「悪い悪い、すっかり遅くなったな」

 バートさんがそう言って空を見上げる。

 空はすっかり薄紫に染められている。そんなにたたないうちに藍色に変わって、夜が来る。

 今からはきっとムリね。

「また明日、な?」

「毎日毎日また明日、また明日!いつになったら約束守ってくれるんだよ!」

「明日、明日こそな?」

 バートさんが苦笑いを浮かべる。

 どこの家族でも、繰り広げられる会話ってのは同じなのね。

 それにしても、見かけの愛らしさを裏切ってくれるぶっきらぼうな話し方。ああ見えてもやっぱり男の子なんだわ。

 男の子がふとあたしに気づいて、顔を向けてくる。くりくりのつぶらな目があたしを映す。

「父さん、だれ?」

「ああ、今夜はうちに泊まることになったアメルさんだ。さ、お姉さんにあいさつは?」

 男の子はぽかんと見上げていたが、はっと我に返ったらしく不自然ではないようにそっとバートさんから離れる。

 恥ずかしかったのか、ほんのりと顔が赤い。

 ちょっとかわいい。

「ぼくは、アッシュ。アッシュ・エリオット」

「アッシュ、エリオ……ぎょええええっ?!」

 変な声を上げるあたしにおどろいて、アッシュがびくっと身を震わせて、バートさんの影に隠れた。

 そして変な人でも見るような目で見上げてくる。

 そんな目で見ないでよ。しかたないじゃない。

 アッシュ・エリオット。

 すべての人間を救った伝説の勇者。

 あの絵のモデル。

 あたしの目の前で目を丸くしながらあたしを見上げているこの男の子が、あの勇者さまなんだ。

 本物なんだ。

 本当に、本物を目の前にしてるんだ、あたし。

 ……ちっちゃいけど。

 でも、そう思ってみれば、たしかにそれっぽいような気もする。

 このまま成長したとしたら、あの絵のような凛々しい青年になるのだろうか。

「お姉さん?」

 アッシュがすっかりあたしの世界に入り込んでいたあたしを呼ぶ。

「あ、ええと、ごめん。ごめんね、おどろかせちゃって。あたしもちょっとおどろいて」

 上の空であたしは親子にあやまった。

 だってびっくりしたわよ。

 まさかまさかとは思っていたけど、バートさんってば本当にあの伝説の勇者の父だったとはね。

 アッシュ少年があたしの言い訳に不思議そうに首をかしげる。

「なんで?」

「いや、その、えっと、だから……」

 まさか本人に、あなたはいずれ勇者になるから、なんて言えないよねぇ。

 しかもあたしはあなたのことを守るために未来から来たんです、なんて、絶対に信じてもらえない。

 そもそも守るどころか、今のところお世話にしかなってない。とてもじゃないけど、そんなのこっぱずかしくって言えやしないわ。

 どうすればわかってくれる、いや、ごまかせるかな。

 あたしはすっかり困って、どうやってこの場をしのごうかと考え込む。

「こらこら、アッシュ。アメルさんが困っているだろう?」

 バートさんがあたしに助け舟を出してくれる。

 ありがとう、バートさん!

 というか、これだけ不審なあたしのこと、疑問に思ってないのかな。

 それとも、あたしが変な動きをしたらばっさり、のつもりなのかな。

 ……勝手に思っておいてなんだけど、怖っ!

 怖い妄想をするのはもうやめとこう。うん。

「困らせるのはよくないだろう?」

「うん」

「こんなところで立ち話もなんだ。さ、中に入ろう」

 バートさんがアッシュの肩を引いた。

 まだ後ろ髪引かれる思いだったらしいアッシュがあたしのことをじっと見上げていたが、バートさんといっしょに家へと足を向ける。

「さ、アメルさんもおいで」

 バートさんがあたしを呼ぶ。

 あたしは二人に置いて行かれないように歩き出した。


 


 


 

 アッシュがその青い目でじっとあたしのことを見上げてくる。

 バートさんと同じその目は、なにもかも見透かしてしまいそうでちょっと怖い。

 夕食が終わって、バートさんは近くの井戸まで食器を洗いにいっている。井戸ってのがすごいわよね。蛇口をひねって水の出る生活をしていると、ありえないって思っちゃうっていうか。

 大変そうだったし、あたしも手伝うって言ったんだけど、アッシュと一緒にいてあげてくれって言われたら、なにも言えない。あたしがついていったところで、皿を割っちゃうだけかもしれないとか思うと、さすがにそれ以上強く出てもしかたない。それで結局あたしはアッシュと二人で家で留守番をしている。

 それから、アッシュはじっとあたしを見ている。

 なにか、そんなに興味をひかれるものがあたしの顔にあったかしら。

 そんなに見つめないでよ、なんだか照れてきちゃうじゃない。

「どうかした?」

 耐えられなくて、あたしは訊ねてみる。

 アッシュはそのきれいな瞳にあたしを映して、

「アメル、どこから来たの?」

 静かな、それでいてどこか興奮した声で訊ねた。

「え?」

 直球ですなぁ。

 いきなりそう言われてもなぁ。どうやって答えようか。

「この辺には、町なんかないだろ?それなのに、そんな軽装で旅してるなんて、信じられないよ。父さんに会うまで、魔物に襲われたりしなかったの?」

 ええ、来たばっかりでしたから。

 なんて、答えらんないよ。

「あ、あたしは、ずっとず〜っと遠いところから来たんだ」

「ずっとず〜っと遠いところ?」

 不審げにアッシュが眉をひそめる。

 まちがってはいないわよ?

 この時代から、ずっとず〜っと遠いところから来たんだもん。

 だから、まちがってはいない。

「ええ。ずっとず〜っと遠いところ。あなたの知らないところよ」

「ふうん。ねっ、どんなところ?」

 アッシュが身を乗り出して聞いてくる。

「そうね、とても大きな都市よ。たくさんの人が昼も夜も忙しそうに動いているの」

「夜まで?真っ暗で見えなくなるよ。ホントなの?」

 いぶかしげにアッシュが聞き返す。

 街灯が都市を照らしているし、店のネオンの明かりは夜中ずっとついている。だから眠らない街は朝まで続く。

 それとは対照的にこの時代は夜といわず、夕方からすでにもう人々は家に帰り始める。そして早くに眠りにつき、朝早くから生活を始める。

 そういう生活になれたアッシュには、あたしの暮らしていたところの生活リズムはわからないわよね。

「明かりがあるからね」

「明かり程度じゃ働くなんて難しいと思うけどな。みんな仕事は日が出てるうちにやるし。暗くなったら魔物が出るよ」

 あたしのいたところじゃ、魔物なんか一度も見たことなかったけどね。

でもそんなの、信じてもらえないわね。

 あたしはあいまいにうなずいた。

「そうね。そうかもね」

 意外にも、アッシュがそれを聞いてむっとした顔をした。

「そうね、じゃないだろ?思ってもないんだったら、そんなあいまいな言い方するなよ」

 思いもしない反論に、あたしは目を丸くする。

 それを見たアッシュはさらに怒りをつのらせたらしかった。

「なんだよ、その顔。子どもだからって、そんなんでごまかせるとでも思ったの?そんなわけないだろ」

「そ、そんなこと思ってないわよ」

「うそだ!適当にごまかしてやれっていう感じだった!」

 適当になんて思ってなかったけど、たしかにこれで流しちゃえと思っていたところはあったと思う。

 それを、直感的に感じ取ったのかしら、この子。

 大人の顔色をうかがうようなふうではないのに、相手の感情を良く感じ取れるのかしら。

 それにしても、すっかり怒らせてしまったみたい。

 言い訳を言えば言うほど怒らせるようだとわかり、あたしは素直に謝った。

「ごめんなさい。子どもだからとか、そんなつもりはなかったけど、まあわざわざここで無理に言わなくてもいいやと思って流そうとしたのは本当ね」

「…………」

 あ〜、ものすごく警戒されてる。

 うそつきだって、思われちゃったかしら。

 対応に失敗しちゃったわね。

 あたしはもう一度、謝った。

「ごめんね」

 子どもだからって、甘く見ちゃいけないわね。肝に銘じておこう。

          

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