3.
あたしは人に見つからないようにママの研究室を目指した。
まあ、だれにも見つからないようにするなんて到底ムリなんてことわかってるけど、できれば見つからない方があとあといいわよね。
だからこっそりと、ときには通路や部屋に隠れながら研究室に向かった。
幸い、忙しかったのか、通路を歩く人たちは周りに気を遣うような余裕なんてなかったみたい。
だから余裕で研究室へとたどり着けた。
とびらのところについている小さな窓から中をのぞくと、幸か不幸か、ママの研究室にはママしかいなかった。
偶然か、必然か。
わかんないけど、どっちにしろラッキーってことよね。
あたしの日ごろの行いに感謝感謝だわ。
あたしはそっととびらを押し開ける。
「トム?まだ解析は終わってないわよ?およそ2000年前なのは確実だけれど、正確な年はわからないわ」
後ろを振り返らずに、ママは宙に浮いた画面に向かっている。その手が休まることもない。
ママは逃げた魔族の痕跡を追っているようだった。それであの話が本当なことをあたしは悟る。うそだなんて思ってなかったけど、でも現実味がなかったのも事実だった。
そんなことありえないと、そう考える自分がいた。
でも、本当に、盗まれちゃったんだ。
少しためらった後、いくぶんか抑えた声であたしはママに声をかけた。
「ママ?」
「アメル?」
おどろいたような顔で、ママが振り返る。
「あなた、どうしてここにいるの?玄関口にパパがいなかった?」
「約束してたから、来ただけよ。そんなことよりママ、いったいどうなってるの?」
「機密事項を盗まれてしまったのよ」
「それは聞いたわ。時空転移装置が魔族に盗まれたんだって。なんでこんなことに」
「それは私も聞きたいくらいよ」
ママもいらいらした声でつぶやいた。
あたしはママに近づいていった。
あたしにはとてもわかりそうにないいろいろな計器やホログラフィックキーボードが浮いている。なるべくさわらないようにしてママのとなりに立った。
「2000年前に、行っちゃったの?」
「ええ。ここで消えた装置の痕跡は2000年前に続いているわ。でも、正確な年が確定できない。だから、追うにも追えないのよ」
ママは形のいいつめをかんだ。
それはいらいらしたときのクセ。
ママ、相当あせってるんだな。
「追うって、ここから追っていくの?」
「2000年前であるということは、彼らの狙いはおそらく例の勇者の抹殺でしょう。未来が変わってしまう。過去を変えるわけにはいかないのよ」
ママは悔しそうにくちびるをかんだ。
そうだね。過去が変わっちゃったら、いまいるここも、変わっちゃうんだもんね。
そうしたら、あたしのお気に入りのあの絵も描かれることがなかったかもしれない。それどころじゃなくて、こうして過ごしている世界そのものが、まったくちがうものになっていたのかもしれない。
そんなの、イヤだわ。
「でもママ、その装置っていうの、いくつもあるんじゃないんでしょ?」
「ええ、そうよ。あれと、プロトタイプしかないわ」
「その、プロトタイプでみんな追うの?」
「まさか!プロトタイプはもっと小型でね、とても大人数は送り込めないわ。追跡隊を送り込むなんて到底ムリ。せいぜい一人が限界よ」
ふうん。そっか。
「一人なら、行けるんだ」
ぽつりとつぶやいたあたしに、ママが手を止めてあたしを凝視した。
「あなた、まさか行くつもりなんじゃないでしょうね?!」
「だって、あたししか行けないじゃない。その追跡隊だって追えないんじゃ、いたってしょうがないでしょ」
ママはあたしの目を見て怒鳴った。
「あのねぇ!追跡隊は戦いのプロなのよ?素人のあなたが行ったところで、何もできないどころか殺されてしまうわ!現代の魔族とあの時代の魔族は比べ物にならないのよ?!」
「でも!急がなくっちゃいけないじゃんか!だって、魔族が行ったって言っても、2000年前のいつなのかわかんないんだよ?!勇者さまが子どものときとか、赤ちゃんのときなんかに襲われたら殺されちゃうよ!」
そんなのイヤだ。
だって、彼が救ってくれたおかげで、当時の人たち、ひいてはあたしたちが救われたんだもん。
それなのに、そんな彼の危機なのに、指をくわえて見てろっていうの?
そんなのおかしいよ!
「追跡隊だって、政府が出すやつでしょう?どうせお偉いさんの間でぐだぐだ論議が続くんだよ、許可が出るまでなんてとても待ってられないよ!いままさに殺されそうになっているかもしれないんだよ?!」
「いまってあなたね、もうずっと前のことなのよ?」
「とにかく、待ってられないの!助けに行かなきゃ!」
言うが早いか、きびすを返す。
ママがあたしを呼び止めた。
「待ちなさい、アメル!あなたに何ができるというの?あなたはただの学生でしょう?!」
「そうだよ。でも何もしないより、ずっとマシだよ!」
あたしでも、何ができるかなんて、よくわからない。
でも、後悔するなんてイヤだ。
「アメル、いいかげんになさい。あなたにはムリよ」
「やってみなくちゃわかんないよ。あたしにも、ガーディアンがいるもん」
ガーディアンはママたちの開発した護身用のガーディアン・プログラムのこと。
大気中を漂うエネルギーを収束・固着化することで端末内にインプットされた形態をとって持ち主の身を守るっていうもの。
ママが開発責任者だったから、あたしはそれのプロトタイプを持っているの。市販に出ているのとはひとあじちがうんだから。
「だからあたしにだって、戦えるもの!」
「アメル!!」
ママの悲痛な叫びが聞こえたような気がしたけど、あたしは無視して研究室を飛び出した。
あの子―――シュラがいればなんとかなるわ。
「あたしだって」
あたしだって、やれるわよ。
ママやパパに任せなくったって、あたしだって。
しばらく走って、あたしは足をゆっくりと止めていく。
ママはプロトタイプって言ってたわね。
ということは、あの管理室に置いてあるっていうことかしら。いまさらママにどこにあるのなんて聞きに帰れないし、なんとか自分で探すしかないわね。
前に何度か連れてってもらった記憶で向かうのはちょっと頼りないけど、一度も行ったことないよりはずっとずっとマシだわ。
記憶の中にある道順にしたがって、通路を隠れて進む。まだ見つかっちゃ困るし、もしかしたらママがあたしのことを捕まえてって言ってるかもしれない。
幸い、だれにも見つからずに管理室まで来られた。あたしってほんとに日ごろの行いがいいんだわ、きっと!
ま、ここにあるかどうかはわかんないけどさ。かばん持ってきておいてよかったわ〜。
教科書とか、絶対いらないものも持ってかなくちゃいけないけど、かばんは必要だわ。
あたしは管理室に身体をすべりこませ、部屋の中を見回す。
とりあえず教科書はこの辺に隠しておこう。持って行って、持って帰ってこれなかったらシャレになんないし。古代史があったから、歴史書を持って行っちゃうことになっちゃうし。それはマズイわ。
棚の中、下のほうに教科書を隠しておいて、あたしは部屋の中を物色する。何か、役に立ちそうなものを持って行っておいたほうがいいわね。正直、ママの言うとおりあたしは素人。ただの学生だもん。心もとないのは本当なのよね。
あたしは何に使うのか良くわかんないやつもてきとーにかばんに突っ込んでいく。
目に付いたビームガンを手にとって、はたと思う。
そういえば、あの時代にビームガンはまずいかな。とりあえずかばんに突っ込んだものに関しては武器はないし、本当は持っておきたいところだけど、万が一敵の手に渡るかもしれないことを考えると、あんまり強力な武器っていうのは、こっちにとっても危険なことになるわよね。
うん、やめておこう。
あたしはビームガンは置いておくことにする。エネルギーが切れても、充電もできないもんね。そしたらただのゴミだし。やめとこ。
持っていたかばんが重くなっているのを確認して、あたしはそれで手を止める。
これ以上持って行ってもしかたないよね。
っていうか、むしろ重くて行動できなかったら意味がない。
「こんなものよね」
かばんの中身を見て、あたしはうなずいた。
じゃ、次は目的の物を探し出さなきゃ。
「時空転移装置っと」
これが見つかんなきゃあたしってばただの泥棒になっちゃうわ。
別にここで生活している分にはこんなのいらない。けど、過去じゃ何があるかわかんない。
「いったいどこにあるのかな」
きょろきょろと部屋を見回す。
そんな簡単には見つからないのかな。
やっぱその辺に置いておけるようなものじゃないから、どこかに厳重に締まってあるのかしら。
でもそれを見つけないことには話は始まらない。何が何でも見つけなくっちゃ。
視線をめぐらせると、部屋の奥に小さな台座がある。光の柱に守られて、小さな何かが浮いている。
自然と、あたしの足はそちらに向けられる。
それは、銀色の砂時計だった。
クリスタルガラスの向こうにも、不思議な銀色の砂が詰まっている。
すっごくきれい。
あたしの手は、それを取っていた。
「アメル!」
戸を開けて、ママが部屋に入ってくる。
ちぃっ、追いつかれたか。
迷わずそれを取って、あたしはママへと振り返る。
「ママ、わかって。あたしが行かなくちゃ。だって、いま行けるのはあたしだけじゃん」
「ふざけないで。アメル、よく聞いて。それがプロトタイプなのは、制御が不完全なの。時空干渉はできるけど不安定だからよ。行っても帰ってこれるかわからないのよ」
「でも!このまま指をくわえてみてるだけじゃ、いまの生活が壊れちゃうよ!」
「帰ってこられなかったらいっしょでしょう!そもそも、時間設定すらままならないじゃない」
そうだね、ママ。
でもね―――
「でも、このまま放っておいたら、北の地に追いやられるのは、あたしたちだよ」
魔族だから生きていられた、北の大地。
はっきり言って、人間じゃ生きていられるかどうかすらわからない。
関係ないなんて、言ってられない。だれも行ってくれないなら、あたしが行くしかない。
「ママ、ごめんね」
「アメル!」
手の中に握りしめ、あたしは強く願った。
勇者のもとへと。
次の瞬間光に包まれ、あたしは気が遠くなった。
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