2.


 

 あたしはママの勤める研究所に向かっていた。

 あたしのママは、いくつも発明品の特許を持っている科学者だ。全自動調理器とか、立体映像機、全訳言語翻訳機は、ママもけっこう便利なものを作ったなって思う。でも、糸電話式特殊無線機なんて、通話範囲が限られちゃうし、携帯とちがってだれとでも通話できるわけじゃない。二つしかない無線機同士でしか話せないのよ?いくら二つの無線機がそれぞれ固有の波長を出してて、どんな場合においても連絡がとれるっていっても、ねえ。

 いつも忙しくてパパもママも遅くまで帰ってこないけど、週に一度、今日だけはママといっしょに帰るって約束してる。

 だからあたしは学校帰りにそのままママの研究所に寄るのが決まりになっていた。

 でも、今日はいつもとちがっていた。

 着いた研究所の前には、たくさんの人が集まっていた。

 くるくると赤と青のライトが光っている。パトカーだわ。なんで研究所にパトカーがたくさん詰めかけているのかしら。それを取り囲むように黄色と黒のしましまの紐が引かれている。その外側にたくさん人が集まっていて、ものめずらしそうに中をのぞきこんでいる。いわゆる野次馬ね。

 いそがしそうに走り回っている警官たちの向こうに、警官の制服じゃなくてスーツ姿の男の人がたくさんの警官たちを指揮している。

 あれ?あれは―――

「パパ!」

 思わず声をあげると、スーツ姿の男、というか、パパが顔を上げた。

「アメル?」

 パパがわずかに眉をひそめる。

 あたしがここにいるのが不思議でしょうがないって顔。なんで覚えてないかなぁ。

 パパが何かを警官に言ってから、ずかずかとあたしの方へとやってくる。

「なんでこんなところにいるんだ」

 開口一番に言うことはそれですか?

 あたしはあきれはてた。

「なに言ってんの、今日はママとの約束の日だもん。いっしょに帰る約束をしてるの」

「ああ、そういえばそうか」

 思い出したようにパパがうなずいた。

 そんなんはいいよ、パパ。それよりももっと大事なことがあるんじゃないの?

「ママは?それに、どうしてパパがここにいるの?」

「ああ、ちょっといろいろとあってな」

 パパが言葉をにごす。

 パパは警部だから、なにもなくて警察署を出ることなんてない。きっとなにか事件があったのね。

 あたしには言えない事情もあるんだっていくらあたしでもわかる。

「ふうん。ま、いいや。パパがんばって。あたしはママと帰るね」

「いま、研究所は立ち入り禁止だ」

「ふうん、そうなの」

 うなずきかけて、あたしははたと気づく。

 研究所は立ち入り禁止?

 さらっと流すところだったけど、なんかいま、パパってばすごいこと言わなかった?!

「え、ちょっと、パパ?!どういうこと?!」

「だから、いま研究所は―――」

「そんなこと聞いてないって!ってか、立ち入り禁止なのはわかったの!だから、立ち入り禁止ってなんで?!」

「……それはまだ言えん」

「それじゃわかんないじゃん!」

 あたしはまだ食ってかかろうとする。だって納得できないもん。

 けど、パパはあたしの肩を両手でつかんだ。

「とにかく、アメル、おまえは先に家に帰っていなさい」

「なんで?!ママは?!」

「ママはまだ仕事があるんだ。ママのことはいいから、とにかく先に家に帰るんだ」

 肩を持つ手には強い力はこめられていなかった。だから痛くはない。

 だけどパパが真剣で、とにかくあたしをこの場から遠ざけたいらしいことはわかった。

 納得してからならあたしだって素直に言うことを聞けるわ。でも、あたしはそんなんじゃ納得できない。理由も言われずに言うことを聞けって言われたって、聞けないもん。

 でもあたしだってここでパパと言い合いをしていたって、いっこうになにも解決しないのくらいはわかる。

 むしろ、ケンカになるだけで、双方にとっても百害あって一利もないわ。それくらいの頭は回る。

「わかった。じゃあ、あたしは先に帰ってるから、パパとママも早く帰ってきてね」

「わかってくれたか。なるべく早く戻る」

 あたしのわかったフリにころっとだまされて、パパはさっさとひもをくぐって向こう側に戻っていく。

 いつもはあたしのつたない演技なんて見抜いちゃって、ぜったいにひっかからないのに、あっさりひっかかるなんて。あたしはちょっと、いやかなり拍子抜けした。パパってば相当余裕がないんだわ。

 でも、これはあたしにとっては好都合。あれこれと画策しなくてもいいんだもんね。

 あたしは一つうなずいて、かばんを肩にかけ直して歩き出す。

 家とは反対方向へ。

 民家の間の細い路地に入って、あたしは周りを見回す。

 パパは知らない。警察もいないから、たぶん警察も知らないのね。

 あたしはそのまま小さな民家の勝手口を文字通り勝手に開ける。不法侵入なんて言わないでね。ここ、ママの知り合いの研究者の家なの。勝手知ったるってやつね。

 実は、この家の庭を通り抜けて行くと、研究所への隠し通路があるんだ。ママとここの家の人が内緒で作った近道がこの先にある。まあ、隠し通路って言っても、研究所の人のほとんどが知ってるから、隠してもいないんだけど。あたしは小さなころから研究所を探検してた。そのときに、いつでも通っていいよって言われたから、不法侵入にはならない……はずよ、たぶん。

 あたしはそこを開けて研究所に入る。

 研究所はしんと静まり返っている。外のあのさわぎがうそのようだ。

 あたしの足音だけが廊下にひびく。いったいパパはなにを心配していたのかしら。なにもないじゃないの。

 向こうからの人の気配に、あたしはあわてて手近なドアを開けて身体をすべり込ませる。

 息をひそめて、あたしはそっとドアをほんの少しだけ開けた。

「警察も心配しすぎだ、いまさらやつらなんていないのに」

「時空転移装置を盗んだ魔族が、いまだ研究所内をうろついているわけないのに」

 時空転移装置?

 魔族が盗んだ?

 魔族って、ものすごく北の地にしかいないっていう、あの?ほんとにいたんだ。

 それに、時空転移装置って、ママが前に言っていたタイムマシーンってやつ?

 あたしはさらに聞き耳を立てる。

「まさか、完成したことが魔族にもれていたのか?」

「わからん。わからんが、事実やつらは乗り込んできた」

「ほとんど取り押さえたというのに、たった三人逃しただけでこのありさまか」

「やつらの狙いは、いまの不遇の生活の一新、つまり古代にさかのぼって魔王を助け出すことにあるはずだ」

 ふうん。たしかに、いま魔族は北の不毛の土地にしか住んでいなくて、暮らしていくのすらやっとなのだと授業で習ったわ。いまの生活を変えたいって思うのも、無理のない話なのかも。

 ものすごく数も減っていて、いちおう保護されてるって言うけど、どの程度かは知らない。魔族なんて、一般人にはほとんど縁のない話なのよね。

 でも、待てよ?古代にさかのぼって、魔王を助ける?

 いったい、なにを言ってるんだろう。

「ミアが調べたところ、やつらの乗った装置は約2000年前に行ったということだ」

 ミアはあたしのママのこと。パパの言うとおり、ママもいそがしかったんだ。

 2000年前っていうと、ちょうど今日習っていた伝説の勇者の生きていたころね。約っていうのの幅がどれくらいなのかわからないのがやっかいなところだけど。

「やはり……やつらの狙いは例の勇者の抹殺か」

 なんですって?!

 ぎいっととびらがきしんだ。

 ぎゃ〜!!!思わず身を乗り出したときにとびらを押しちゃったよ〜!!

「なんだ、今の音」

「や、やっぱりまだいたのか?」

 やっぱり聞こえてるじゃない。というか、あれだけ大きな音だもんね、当たり前か。

 研究者たちの足音が徐々に近づいて来る。

 あわわわっ、どうしよう!

 あたしはきょろきょろと部屋の中を見回す。どこかに隠れなくっちゃ。見つかったらめんどうなことになりそうだし、いきなり撃たれても困る。

 とりあえず手近な机の下に身を隠す。

 ぎいっととびらを押し開けて、研究者たちが中をのぞきこんでいるのが影でわかる。

 あたしは見つかりませんようにと祈りながら息を殺していた。

「どうだ?」

「べつにいなさそうだが」

 そうでしょうよ、そうでしょうよ!

 だからさっさとちゃっちゃと出て行ってください!

「魔族なら隠れる必要もないからな」

「ああ。じゃ、気のせいか」

 研究者たちはぱたんと戸を閉める。

 あたしは身体に入っていた力を抜いて、はあっとゆっくりと息をはいた。机に背をもたせかけて、額の汗をぬぐった。いやな汗かいちゃったよ。

 びっくりした〜、まさかこんなことをするはめになるなんて思いもしてなかった。

 ちょっと落ち着いて、あたしはさっきの人たちが言っていたことを考える。整理しないと、あたしは特別かしこくないからわかんないわ。

 とにかく、外にたっくさん警官がいたのは、さっき言ってた時空転移装置なるものが魔族に盗まれたからだったのね。

 で、彼らはそれを使って2000年前にタイムスリップをした。

 彼らの目的は、今の生活条件の向上。そのために、彼らは伝説の勇者の命を狙っている?

 もしも、彼が殺されてしまったら?

「大変!!未来が変わっちゃう!!」

 あわてて立ち上がろうとして、がつんっと思いっきり頭をぶつけた。

「〜〜〜〜〜っ!」

 あたしはうずくまって頭を押さえる。

 正直、めちゃめちゃ痛かった。

 すっごく痛かったけど、いつまでもこうしちゃいられないわ。こうしている間に、未来が、ううん、いまあたしたちが生きている現在が変わってしまうのかもしれないんだもの。

 涙がにじむ目をしばたたいて、あたしはのそのそと机の下からはい出てくる。

 とにかく、ママのところに行かなくちゃ。

 

          

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