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 大講義室で小太りの教授が身体に似合わない細い棒で巨大な映像ホログラムをさした。

 ホログラムは、古代の画家の描いた絵が、立体映像として浮かび上がっている。

 あたしはそれに見惚れていた。

 画家自体も有名だけど、それよりもあたしはこの絵が好きなのだ。

 この、伝説の勇者、エリオットの絵が。

「つまり、この伝説の勇者エリオットのおかげで、今の我々の生活があるということだ。彼が魔王を倒したから、魔族は今では衰退し、北の辺境にしか存在していない」

 小太りの教授の声なんか耳に入ってこない。

 だって、もう調べつくしていて知ってるんだもん。いま習ってる教養の中で、古代史はゆいいつあたしの得意な授業なのよね。大学に入ってぜったいに習うんだって決めてた授業だから、これだけはまともに聞いてるんだ。ま、得意になった理由は、ちょっとあれだけど。

 きれいな銀色の髪を風になびかせて、剣を手にくずれかけた神殿に立っているこの絵は、いちばん有名で、いろいろな場に引っ張ってこられる。これを授業中に見たのも一度や二度じゃない。

 憂いを帯びた蒼い瞳が見すえる先には何があるのだろうと、あたしのなけなしの想像力を総動員する。

 画家の腕でもあるんだろう、この画家はこの絵で一躍有名になったのだから。

 美術評論家や歴史家、考古学者の中にもこの絵を研究している人は多い。でもその気持ちはあたしもわかる。

 だってほんっとうにきれいなんだもん。あたしがいちばん好きなもの。あたしの憧れの人だ。

 いつまで見ていても飽きないくらいに

「彼ら魔族の特徴は人にはない魔術と、その赤い瞳が―――」

 小太りの教授の声をさえぎって、鐘の音が鳴る。

 今日の授業の終わりの合図だ。

「もうそんな時間か。では、今日はここまで。復習しておけよ」

 小太りの教授が映像を消して部屋を出て行く。

 消えてしまった絵を残念に思いながら、あたしはう〜んっと伸びをした。

 まあいいわ。しばらくはあの絵を見ていられるんだもの。次は来週ね。

 これで今日の授業も終わり。今日の授業だってこの古代史の授業のために大学に来たようなものだわ。でも、この春卒業した高校と比べて、やっぱり苦労して入っただけのことはあるわ、大学って。

「アメル〜、助けて〜」

 がばっと後ろから抱きしめられて、あたしはびくっと身を震わせる。

 あ、ちなみにアメルってのは、あたしのことね。アメル・ウォルトランっていうの。

 とまあそれは置いておいて、こんなことをするのは、一人しかいない。

 あたしはうらみがましそうに振り返った。

「エミリー、あんたね〜」

「お願い、コピらせて!今の授業ほとんど聞いてなかったの」

 栗色の髪の少女が両手を合わせる。

 親友のエミリー・ホットミンだ。

 あたしはあきれながら聞き返した。

「また〜?」

「だってダメなのよ私。まったくこれっぽっちも興味を持てないんだもん。そんな昔のことを知っててどうするんだってかんじ。今をちゃんと生きられればそれでいいじゃない」

「あのね、それあたしに頼む態度?」

 あたしは半眼でエミリーをにらむ。

 あたしが古代史しか得意じゃないんだって知ってるくせに。

 エミリーがあわてて両手を振った。

「アメルが古代史好きなのは知ってるわ。けどね、私はダメなの。文章見ると眠くなるし、歴史もま〜ったく興味ない。興味あるのは記号と数字だけ」

「あたしには信じらんない」

 記号と数字なんてぽいよ、ぽい。

 だってまったくおもしろくもなんともないじゃない。難しいだけで解けないし。覚えるだけじゃわからない。

 エミリーがここぞとばかりにあたしに言ってくる。

「何言ってんのよ。追求していけば答えが見つかるのよ?理論にそって全てが解明できるし、わかりやすいじゃない。記号と数字は裏切らないわ」

「あっそ。あたしには一生わかりそうにないわ」

「わかりあえなくて残念だわ。とにかく、コピらせて」

「はいはい。後でメールしてあげる」

「やった!ありがとう!アメルのがいちばんわかりやすいのよ!」

 そう言われて悪い気はしない。

 あたしはちょっと気恥ずかしくなった。

「あ、ありがと」

「さすが、歴史マニアね!」

「それは余計じゃ!」

「あ、アメル。俺も写させてよ?」

 エミリーの後ろからひょこっと顔をのぞかせた男の子にあたしは思わず息をのむ。

「コール!」

 にっこりと笑いながら声をかけてきたのは同じ学部のコール・マルセル。

 少し長めの金髪はちょっとくせがあって、澄んだ碧い眼のすてきな男の子。優しくって頭がよくって、顔もいい、女の子に人気の男の子なんだ。

 あたしの好きな人。

 あ、でもね、あたしもけっこういけるクチなんだよ?

 ママ譲りの長い白金髪はあたしの自慢。あたしの中でいちばん気に入ってるから、手入れもちゃんとしてる。おかげでつやつやの髪を維持してる。

 緑色の瞳は春の新緑色に似てて、これはパパ譲り。友達にもきれいだねって言われるし、あたしもけっこう気に入ってる。

 顔も美人のママほどとは言えないけど、まあ中の上くらいには位置できると思う。つまり、悪くはないってところかな。

 でも、相手は構内どころか、他大学にも人気の男の子だからね。当然相手になんかされないと思うから言わない。だって、今は見ているだけで満足なんだもん。

 そんな人が声をかけてくるなんて信じられなかった。

「今日のところはけっこう進んだからさ、早くて聞き取りきれなかったところもあったから、念のためにね」

 コールが声をかけていることに気づいてあわてて答えた。

「あ、あたしなんかのでいいの?」

 あたしはちょっとかすれた声で聞き返す。

 あたしはたしかにちゃんと授業の内容を端末に書き込んでいる。わかりにくかったところはあたしの知識を使ったり、ときには教師に聞きに行ったりもする。納得がいくまでやりたいほうなの。

 でも、今日は知ってることが多かったからあんまり書いてないし、あたしの知識で書いているところもある。

「さっきエミリーも言っただろう?きみのがいちばんわかりやすいから」

 コールにそう言ってもらえるなんて!
 うれしさにあたしは頬を染めた。

「ほ、本当?」

「うん。前に友達に回してもらったとき、読んでびっくりしたよ。アメルはすごいな」

「回して?!」

 あたしのノートがそんなことされていたなんて。

 というか、あたしがノートを見せた相手って。

 ちらりと見ると、エミリーがあらぬ方向を見ていた。

「エ〜ミ〜リ〜!」

「ご、ごめんごめん。見せてって彼氏に頼まれたときに見せちゃったの。あ、でももちろんちゃんとアメルのだって言ったわよ?」

「そんなこと聞いてないわよ!」

「それで、いいかな?俺も写させてもらっても」

 はっとあたしは我に返る。

 そういえばここにはコールもいたんだった。

 きゃ〜!!恥ずかしい〜!

 照れ隠しに、あたしはあわてて何度もうなずいた。

「う、うんうん。もちろん、あたしのでよければ」

「助かるよ。あ、これ俺のアドレスだから」

 小さな手書きのメモを渡されて、あたしは両手で大事に包み込む。

 コールのアドレスを知れるなんて!

 そんな日が来るなんて夢にも思わなかった。

 じーんとあたしが感動にひたっていると、コールが友達に呼ばれて片手を上げた。

「今度そのお礼になんかおごるからさ。それじゃ」

「あ、うん」

 さっそうと去っていくコール。ああ、そんな後ろ姿も素敵よ、コール。

 きゃ〜!どうしよう!

 あたしってば、あたしってばコールと話しちゃった!しかもアドレスも教えてもらっちゃった!

 ど〜しよ〜!!

 エミリーがつんつんとひじであたしのことを小突いた。

「よかったじゃない、あこがれのコールに声をかけてもらっちゃってさ。その上アドレスまで知っちゃって」

「エミリー!」

 あたしはあわてて首を振る。

 きっと今のあたしは真っ赤な顔をしているにちがいない。

 エミリーはニヤニヤ笑いをやめない。

「しかもなんかおごってくれるって言うじゃない。なんか食べに連れて行ってもらいなよ」

「そ、そんな、たかがノートでずうずうしいよ」

「いいじゃないの。それを機に仲よくなりなよ」

「簡単に言ってくれるけどね、そう簡単にはいかないのよ」

 そうも簡単にことが運べば、どんな人だって恋愛に苦労なんかしないわよ。

 そううまくいかないから、みんな悩むんじゃないの。

 自分がうまくいっているからって、ほんとに気楽に言ってくれるんだから。

「でも、なんにしてもラッキーだったね、アメル」

 にこっと愛らしくエミリーが笑う。

 この笑顔がかわいいんだよな、エミリーは。

 ときどききついし、あんまり人のことを考えないときがあるけど、許せちゃうのよね。

「うん」

 今日はたしかにラッキーだったのかも。

 今朝は寝坊しちゃって今日の運勢見てこなかったや。失敗したな。ラッキーカラーでも着てればもっとラッキーだったのかも。

 腕時計を見たエミリーが、

「あ、やば!約束に遅れちゃう」

 あたしを見て両手を合わせた。

「じゃ、お願いね。私約束があるからさ」

「彼氏?」

「うん。だから今日は一緒に帰れないんだけど」

 本当に申し訳なさそうにエミリーがあやまる。

 別に今日はあたしと帰る約束してたわけじゃないし、あやまることないのに。

 あたしは苦笑した。

「いいよ。今日はあたし、お母さんのところに寄って行きたいし」

「そう?ほんとごめんね?明日は一緒に帰ろう?おいしいケーキ屋があるんだって」

「あ、行きたい行きたい」

「でしょ?明日行こう。じゃ、また明日ね!」

 エミリーがぱたぱたとかばんを手に走っていく。

 あたしもママのところに寄らなくちゃ。

 広げていた荷物を、あたしは片づけ始めた

 

          

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