8.


 

「サンドラ」

「は、はいっ!」

 女騎士の言葉に、サンドラがびしっと直立不動の姿勢をとる。

「なんの騒ぎかしら」

「そ、それは……」

 ちらりとサンドラがサーフィスを見る。

 サーフィスは敵意丸出しの射殺しそうな視線でサンドラをにらみつけている。

 その背後でパトリックが不安そうに二人を見つめている。

 なんとなく、それで察した。

 女騎士がはあっと深いため息をもらした。

「……またやったのね」

「こ、この男が悪いのです!」

 サンドラがサーフィスを指さして叫ぶ。

「ああん?!てめぇ、自分に非はねぇって言えるのかよ?!」

「い、言えるわよ!私、うそは言ってないわ」

「うそじゃなけりゃなに言ってもいいとでも思ってるのか?!」

「サ、サーフ」

「やめろ、サーフィス」

 ジークの横にいたアルベルトはサーフィスの歩み寄った。

「団長、なんで止めるんですか!」

「こんなに派手にけんかをしては、また始末書だぞ」

「うっ……」

 サーフィスがいやそうに顔をしかめる。

(こういうところはライによく似てるかも)

 ジークは同じようにいやな顔をしていた先輩を思い出す。

 当人たちはぜったいに嫌がるだろうこともわかっているので、ぜったいに口にはしない。

「騎士として、模範的な行動をするよう心がけよと言ったはずだが」

「わかってます!でも、侮辱されて笑っていられるほどおれは寛大にはなれません!」

「まあ、侮辱されればだれでもそう感じるわね」

 女騎士がうんうんとうなずいた。

 いったい、この女騎士はだれなのか。

 ティルティスをうかがうが、教える気はないのか、複雑な顔で状況を見守っているだけのようだ。

「先に手を出したのは彼です」

「先に因縁つけてきたのはおまえだろ」

 サーフィスは自分のやったことについては言い訳する気はないらしい。

 そのへんがサーフィスらしい。

「た、たしかに、サーフィスは手を出しましたが、突き飛ばしただけですよ。軽く」

 サーフィスをかばおうとしたらしいパトリックが小さく弁護する。

 余計なことを、とサーフィスが小さくごちた。

「サンドラ、先に原因を作ったのはあなたのようだけど」

 女騎士が冷たい視線を向ける。

「団長!」

「王城・王都警備の第三騎士団と近衛である第二騎士団がいさかいを起こすのはあまりいいものではないわ。わかっているわね」

(あ、この人……)

 ジークにもようやく少しわかったような気がした。

 第三騎士団の騎士が“団長”と呼ぶのは、第三騎士団の団長でしかありえない。

 ぎりぎりと奥歯を鳴らしていたサンドラがキッとサーフィスをにらみつける。

「こんなやつがいるのがまちがっているのよ!」

「んだとっ!」

「おまえのような不似合いな男が近衛にいるのがまちがってるんだわ!」

「おまえにンなこと言われたくねえよ」

「うるさいうるさいっ!」

「サーフィス」

「サンドラ」

 二人の団長が止めるが、二人は今にも取っ組み合いのケンカをはじめそうな勢いだ。

 ジークは不安そうに二人を見て、後ろにいるティルティスに視線を送る。

「意地張ってる場合じゃない、か」

 ティルティスが眉間にしわを寄せてつぶやく。

「意地?」

「俺にもいろいろとあるんだよ」

 ティルティスが本当にいやそうに息をはき出し、深く息を吸った。

「やめてってば二人とも!」

 ティルティスが動くよりも先に、サーフィスの後ろにいたパトリックが叫んだ。

 ふわりと、ジークの鼻をなにか不思議な香りがくすぐる。

(この感じは……)

 ジークが力を、術を使うときによく似ている。

「まずい……」

 小さく、後ろでティルティスがつぶやくのが聞こえた。

 思わず振り返ってジークは小声で訊ねる。

「何がまずいの?」

「何がって、非常にまずい。この上なくまずい」

「だから、何が?」

 この場を取り巻く奇妙な香りが徐々に強くなっていく。

 鼻につくわけでもなく、はっきりと認識できるほど強くもない。ぼんやりとしているのに不思議と惹かれる変わった匂いだった。

 ジークの使うときの、あの濃厚な緑の香りとはちがい、どこかぼんやりとした不思議な香りだ。

 ティルティスがジークの背の影から出てくる。

「パット!」

「みんな仲良くしてよ!!」

 ぶわっと何か強い力が放たれるのをジークは感じた。

 ジークを守るように、ジークの周りを濃い緑の匂いが取り巻いていく。

(これって、先生が見本で見せてくれたときの感じに似てる)

 思わず顔をかばうように腕を上げたジークは、身体を突き抜けた不思議な感触が過ぎ去っていくのを感じて、ゆっくりと左目を開ける。

 そしてぎょっとして目をむいた。

「ごめんなさい。私ってばあなたのこと、全然わかってなかったわ」

「おれのほうこそ。鼻持ちならないって決め付けてわかろうとしてなかった」

「じゃあ、私たち、これからは仲良くやっていけるわよね?」

「当たり前だろう?」

 今の今までケンカしていたサーフィスとサンドラが手と手を取り合って気持ち悪いくらいに笑顔を振りまいている。

 夢でも見ているかのような瞳は、きらきらとかがやいている。

 さすがのジークでも、思わず引きつった笑みを浮かべてそれを苦い思いで見つめる。

「なにこの情景……」

 はっきり言って気持ち悪い以外のなにものでもない。

 周りを見てみても、なんだか周りの人たちも腕を組んだり、肩に腕を回したりなどしてこれ以上ないくらいに幸せそうな表情を浮かべて歌など歌っている。

 この上なく奇怪な状況に見えた。

「ティルト、どうなって―――」

 ジークの言葉は途中で消える。

 後ろに隠れていたはずのティルティスの姿が消えている。

「あれ、ティルト?」

 きょろきょろと周りを見回してみると、ティルティスはあの女騎士団長のところにいた。

「殿下、まあ、どうなさいましたか?こんなところにいらっしゃるなんて」

 女騎士団長がこれまたきらきらの瞳でティルティスを見つめる。

「アミュ、いつもつい避けてしまってすまなかったな」

「いいえ。そんなことございませんわ。私は殿下のお考えもよくわかっているつもりですわ」

「ティ、ティルト?」

 すっかりキャラの変わっているティルティスを見て、ジークは呆然とする。

「俺の気持ちも察してくれるよな?だって……」

「わかっておりますわ、殿下」

 なんだか二人で意味がすっかり通じ合っている。

 そんな二人のそばに立っているアルベルトは二人をほほえましそうに見つめている。

 こんな団長もありえない。

 なんだろう。

 本当になんなんだろう、これは。

 まともなのは、どうやらジークだけのようだった。

 なぜこんなことに―――?

 そう思って、ジークははっと気づく。

 あのとき、ティルティスはなんと言った?

「パット……パトリック!」

 パトリックが叫んでから、こうなったのではなかったか?

「パトリック!」

 サーフィスのそばに立っていたはずだ。

 ジークが視線をめぐらせて探すと、パトリックはすっかりできあがったかのようになってふらふらしていた。

「みんな仲良し!」

 にこにこと笑っているその姿も、異常に見える。

 ジークはなりふり構っていられず、パトリックの肩を揺さぶった。

「しっかりしてください、どういうことですか、パトリック!!」

 パトリックは笑い声を上げるばかりで一向に元に戻る気配がない。

 頼りにならないとわかって、ジークは揺さぶっていた手を離す。

「どどど、どうしよう……」

 こんな広い場所で楽しく戯れる兵士たち―――どんな目で見たとしても危険極まりない。

 なんとかしたかったが、いったいどうしてこんなことになったのかまったくわからなかったため、ジークには手の施しようがない。

 しかし、日ごろの行いを、神は見ていたようだった。

「何の騒ぎですか、これは」

 城の方から厳しい表情のクレアがやってくる。

(ああ、神は見捨てていなかった!)

 あまり信心深くないジークは、普段は神さまなんてあまり信じていない。こういう困ったときだけの頼りどころだ。

 だが、このときばかりはいつも厳しいクレアが女神のように見えるジークである。

「なんなのですか、この騒ぎは」

「先生。それが、僕にもよくわからなくて。なんだか突然みんながおかしくなって……」

 くんっと鼻を動かして、クレアが顔をしかめた。

「これは……またやったのですか、彼」

「彼?それに、またって……」

 クレアは疲れたようにため息をもらして、

「しようがない人ですね」

 まだけたけたと壊れたように笑っているパトリックに向けてすいっと手を動かす。

 空が唐突に曇りだし、激しいにわか雨が降り出す。

 完全にコントロールされている術は見事なまでにこの訓練場の上のみで行われ、一歩城の方へと足を踏み出したなら晴れ渡った天気の下へと出ることだろう。

 完璧な術を見るのは初めてなジークは息をのんだ。

(すごい……クレア先生って、本当にすごいひとなんだ)

 ジークは改めてクレアのすごさを思い知った。

 みんなといっしょにびしょぬれになりながら。

 

 

 

          

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