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ジークが感動の瞳でクレアを見上げていると、ぐっしょりと水にぬれたティルティスがうっとうしそうに前髪をかきあげながらジークの方に歩いてくる。 「こんなに晴れているってのに、なんでぬれなきゃいけないんだ」 「殿下、あなたがついていながら、どういうことですか」 クレアが困ったようにティルティスを見下ろしていると、不服そうにため息をもらす。 「俺は止めようとしたんだ」 「あなたが何もしないということはないでしょうから、それはわかっております」 「間に合わなかったんだよ。クレアだってわかってるだろう?俺は我流なんだ、パットみたいに基本から学んだわけじゃない」 「言いわけですか?あなたらしくもない」 クレアの言葉にむっとして、ティルティスがそっぽを向いた。 「パットの力は、一瞬で広がるんだ。防ぐのは難しいんだよ」 ジークはぬれた顔をぬぐって、クレアを見上げた。 「先生、パットはいったい、なんの術士なんですか?」 「あなたはまだ知らなかったのですか。パトリック・アシュフォードは花術士、つまり香りを扱う術士です」 「香り……」 さきほどの不思議な香り自体が術だったのか。 だったら、ジークが守られたのはあの強い緑のにおいがしたからだ。あれがパトリックの使ったらしい術から守ってくれたのだろう。 とすると、決してジークが防ごうと思って防いだわけではない。 「言っただろ、防ぎにくいんだよ。空気を遮断するわけにはいかないし、打ち消すにはライくらいに一瞬で強い風を起こせる風術士が必要なんだ」 「あなた、何年精霊と接しているんですか。初心者のジークに防げてあなたに防げないなんて、怠慢もいいところです」 「厳しいな」 ティルティスは疲れたようにもう一つため息をもらした。 「で、でも、僕は自分の身を守ろうとして自分で術を使ったわけじゃありません。その、先生がいるところでしか術を使わない約束をしましたし」 ジークがなんとかしようと思ったわけではない。 ただどうしようもなくて状況を見守っていただけだ。 「だから―――」 「なんで私がおまえみたいな野蛮人と!」 「てめえに言われる筋合いはねぇよ!おれだっててめえみてぇな鼻持ちならねえ女なんかと仲良くなんざなりたかねぇよ!」 「こっちからお断りよ!」 ジークは聞こえてくる罵声にうんざりした。すっかり正気に戻ったらしいサーフィスとサンドラがふたたびバトルを勃発したらしい。 術から解放された人々が次々に自分を取り巻く状況を把握しつつあった。 「あら、殿下。なぜこのようなところに?」 「ア、アミュ?!き、奇遇だな、アミュ。たまたま通りかかっただけだ。じゃあな」 「で、殿下?!」 アミュが目を丸くしている間に、ティルティスはささっとジークの後ろに逃げた。いつもとちがう様子にジークは首をかしげる。 「ティルト?」 「なんでアミュが目の前にいるんだ?!」 「ティルトが自分でいつのまにかあの人のところに行ってたんだよ?」 「バカ言うな、なんで俺がそんなまね―――」 「なんですって?!」 ティルティスの言葉を甲高い叫びがさえぎる。 ティルティスとジークが声のほうに目をやると、サーフィスとサンドラがつかみ合いのけんかを今にも始めそうだった。 「サーフィス!」 「サンドラ!」 二人の団長が声をあげるが、怒りに周りが見えていない二人には聞こえていない。 「ど、どうする?ティルト?」 訊ねようとしたとき、横ですうっと息をすう音が聞こえた。 「いいかげんになさい!さもないと氷漬けにして一晩立たせますよ?!」 クレアが叫んだとたん、鍛練場はしんと静まり返る。 その一瞬にしての静まり方は、前に一度やられたのではないかと、ジークが疑いたくなるほどだった。 「まったく、よくもまあくだらないことでこれだけ騒ぎを大きくできるものですね。あなたがたの言い合いがどれほどの被害になったか、わかっているのか?!と、殿下が仰せです」 ぱっとジークがティルティスを振り返るが、ティルティスは肩をすくめるにとどまった。 サンドラがはっと顔色を変え、サーフィスも苦虫をかみつぶしたような顔をする。 「おわかりですか?あなたがたが派手にやりあうと、あなたがたが尊敬している団長がたにも迷惑がかかるのですよ?」 「ですが!」 「しかし!」 「おだまりなさい!」 ぴしゃりというと、サンドラとサーフィスはびくっと身を震わせた。 「あなたがた、あまり騎士として情けないことを続けていると、恐怖のあの方が軽すぎる腰をあげられますよ?」 「うっ!!」 二人が声をそろえてうめく。 わけがわからないジークはこっそりとティルティスに訊ねる。 「恐怖のあの方って?」 「宮廷術士長、呪術の得意な変わり者だ」 「ふうん」 「わけのわからん呪術を次から次へと試すことからその名は恐怖として口にするのもはばかられる。いまや伝説と化した阿呆だ」 「そ、そんなこと言っていいの?」 「事実だ」 ティルティスは涼しい顔でサーフィスたちを見やっている。 よくわからないが、危険な人物らしいということはジークにもなんとなくわかった気がした。 事実、サーフィスとサンドラは目に見えておびえているように見える。 「それがいやなら、今後このような失態は二度と起こさぬように心がけなさい」 サーフィスとサンドラは不服そうながらも口をつぐんだ。 「そして、パトリック!パトリック・アシュフォードはどこですか?!」 ジークも気になってあたりを見回す。 人ごみの中、困ったようにうつむいてくちびるをかんでいたパトリックがそろそろと顔を上げる。 「前にも言ったでしょう?気をつけてって。あなたの力は攻撃的ではないけど、おそろしいものにもなるんだって!なにを聞いていたの?!」 ずかずかと歩いてクレアがパトリックに怒鳴る。そんな二人を見て、ジークはふと思う。 ジークから見て、クレアは先生だった。立っていてもそれほど背の高いわけではないジークとクレアはほとんど同じ視線の位置だった。だからクレアは背が高いのだと思い込んでいた。 だが、いまパトリックを見上げている彼女は、パトリックの肩くらいまでの高さだ。ソールとパトリックは男性としては平均的な身長だから、クレアはやっぱり女性の平均的な高さなのだ。 (二人はなんだかお似合いだけど……それって僕は背が低いってこと?) 怒っているクレアと恐縮しきっっているパトリックは姉と弟のように見えてほほえましかったが、なんとなくジークはへこんだ。 「仲いいの?パトリックと先生って」 「術士学校の同級生だよ、ジークくん。できる委員長と問題児だ」 いつのまにか背後に立っていたソールが笑顔で答えた。 「問題児……」 パトリックに問題児という言葉は似合わない気もしたが、先ほどの騒ぎのことを思えば納得せざるをえない。 「史上初の女騎士団長のアミュさんと宮廷術士でも五指に入るクレア嬢。ミレー家の美人姉妹といえば有名だよ」 「ミレー家の……姉妹?」 言われてジークはまだパトリックに怒っているクレアとサンドラになにやら言い聞かせているアミュを見比べる。 雰囲気が全然ちがったから思いもしなかったが、言われてみれば似ているようにも見える。 「そう、なんだ」 「そう。ジークくん、おいで?」 「え?」 ちょいちょいと手招きしながらソールが少し後ろへ下がるのでジークもついていく。 「なんですか?」 「あれあれ」 ソールが指差す先には、アミュが申し訳なさそうにアルベルトに謝っている姿があった。 「ごめんなさい、ルート。迷惑をかけてしまったわね」 「いや、うちのも悪かったんだ。気が短いのがそろっていてな。すまない」 「いいえ。先に挑発したのはうちの子よ。呼び立てて申し訳なかったわ。忙しいのに」 「それはきみも同じだろう」 アミュは困ったように笑っているが、その顔はなんだかうれしそうにも見えた。 「第三騎士団の華、麗しのアミュ・ミレーは我が団長に気がある。これは周知の事実でね。だから、あの通りなんだ」 そう言ってソールが目配せをした先には、それを複雑な表情で見つめているティルティスの姿があった。 「ティルト?」 「我らが殿下は、周囲の人間を他人にとられるのをひどく嫌ってね。特に、兄貴分の団長と姉貴分のフィオル嬢にはその反応が激しいんだよ」 そういえば、休憩にしようと言ったティルティスが機嫌を損ねる前に話していたのは、アルベルトとフィオルがもてるんじゃないかという話をしていた気がする。 「そう、なんだ」 (ブラコン、シスコンなんだ、ティルトって。ライだけじゃなかったのか)
「それで、待ちぼうけですか?」 「まあ、いつものことですわ」 庭園では、ユークリフトがお茶の準備をしていたフィオルとのんびりお茶を飲んでいた。 「殿下のことですもの、アルベルトさまが呼ばれたと聞けばついて行ってしまわれるのは目に見えておりますわ」 「殿下らしいですね。それでは、アミュさまともまたやらかして帰ってくる可能性もありますね」 「今日はだいじょうぶでしょう。クレアさまがお行きになったと聞きますから、クレアさまが殿下を止めてくださいますわ」 「ものには執着なさらないし、人にも淡々と接されるのに。こと大事な人となると、人が変わりますねぇ、あいかわらず」 「悪いこととは思っておりませんわ。少々いきすぎなところもありますが、そのうち落ち着かれますわ」 フィオルはおっとりと答える。まるで未来が見えているようだ。 「さすがは殿下の侍女さまですね」 「いいえ、少しばかり長くいるからわかるだけですわ」 フィオルはコロコロと笑って、すっと立ち上がった。 「そろそろ機嫌を損ねた殿下がジークさまといらっしゃると思いますの。今日は甘めに作りましょう」 「たまには甘いものもいいですからね。そうしてさしあげてください。では、ぼくも仕事に戻るとしましょう」 二人が動き始めたとき、なにやらぶつぶつと文句を言う声とそれをなだめる声が聞こえてくる。 「さあ、どうやってお慰めしましょう」 きっとムダにジークにあたってしまって本当はへこんでいるはずだ。 ジークといっしょにはげまそうと、フィオルは紅茶のポットを持ち上げた。
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