第三話 先生と生徒

 

7.


 

 ずんずんと進んでいってしまうティルティスを、ジークはあわてて追っていた。

 ティルティスが突然不機嫌になったらしいのはジークもやっと理解した。

 だが、なぜそうなってしまったのかが、ジークにはわからなかった。

「待って、待ってよティルト!」

 呼びかけると、前を足早に歩いていたティルティスがぴたりと立ち止まる。

 走っていたジークはまさか立ち止まるとは思っていなかったのでその背にぶつかってしまう。

「うわっ、ご、ごめん」

 いちおう王宮の中であることにえんりょして、おもいっきりは走っていなかった。そのため、ティルティスを倒さなくてすんだ。そのことにほっと息をつく。

 だが身じろぎもせず、何も言わないティルティスを不審に思う。いつもならおっちょこちょいだの注意力散漫だのと散々言われるのに。

「ティルト?」

 振り返って、ティルティスがジークを見上げる。

 その真剣なまなざしに、ジークは口を閉ざした。

「ジーク、俺は―――」

 ジークは視界の端に映った黒色についティルティスから視線をはずしてそちらを向く。

 ジークの視線がはずれたことに気づき、ティルティスもまた後ろを振り返る。

「こんなところで何をなさっているのです」

 上から下まで真っ黒なイメージの男が立っていた。

 黒髪の青年は、いつもどおりの表情のない顔で二人を見下ろしている。

「だ、団長?」

 ふだんあまり第二騎士団長の執務室から出ないアルベルトが外にいることはめずらしい。おどろいてジークは目を丸くした。

 突然のアルベルトの登場に、すっかり気をとられて、

「ルート、おまえこそどうしたんだ?」

 ティルティスも小首をかしげている。

「呼び出しを受けてな」

「呼び出し?ルート、が?」

 ティルティスの表情が険しくなっていく。

 ジークは二人の顔を見比べていたが、あわてて訊ねる。

「ええと、なんの呼び出しを受けたのですか?」

 失礼に当たるかと思ったのだが、思いのほかあっさりとアルベルトが応えた。

「サーフィスがな、また問題を起こしたらしい」

「サーフィスが?」

 アルベルトの言葉がジークには違和感として残る。

 第二騎士団で問題を起こしていたのはライオットのはずではないのか。

 不思議そうな顔をしているジークに気づいて、ティルティスが付け加えた。

「うちの問題児はライオットだけじゃないんだよ」

 たしかに破壊魔はライオットだ。だが、だれかれかまわず気に入らないことにはケンカを売って歩くサーフィス、女性問題が絶えないソール、大きな問題を抱えさせてくれるのだけでも三人もいる。その他、まったく問題がない者もいない。

 ティルティスは複雑な顔をしてそれ以上は口をつぐんだ。

「ああ。第三騎士団とケンカしたらしく、俺が呼び出されたというわけだ」

「第三騎士団と?」

 この間もたしか、ソールが連れていた第三騎士団の女性と言い合っていたような気がする。

「まさか、またこのあいだの人と?」

 ぼそりとつぶやいたジークの言葉をしっかりと聴いていたアルベルトが視線を向ける。

「また?」

「あ、いえ、別に……」

 なんとなく、あれはサーフィスとパトリックばかりが悪いわけではない気がする。

 あの女性からはたしかに悪意を感じたから。

「それで責任者の呼び出しか」

 どうごまかそうかと思っていたところへ、ティルティスが入ってくれる。

 ほっと一息ついたジークにちらりと視線をやって、アルベルトがうなずいた。

「今から鍛練場に行くところだ」

「そうか。なら俺も行くぞ」

 思いもよらない言葉がとなりから発され、ジークはおどろいてそちらに顔を向ける。

「ええっ?!ティルトも行くの?!」

「当然だ、本来は俺が責任者だろう?」

「そ、そりゃそうだけど……」

 第二騎士団の団長はたしかにアルベルトだが、それを統括しているのはティルティスである。

 いったいどちらが責任者にあたるのか。

 ジークにはよくわからなくなってくる。

「行くぞ!」

「ま、待ってよ」

 このまま放っておくと一人で行ってしまいそうなティルティスをあわてて呼び止めた。

「行くのはかまわないけど、フィオルさんは?放って行くの?」

「それもそうだな」

 ティルティスが思案に暮れると、そこへたまたまメイドが通りかかる。

 ティルティスに気づいて、あわててメイドが頭を下げた。

 ティルティスがそれに気づいて声をかけた。

「ちょっといいか?」

「はい、なんでございましょう」

「庭園の方で茶の準備をしている者がいる。彼女に遅れそうだと伝えてくれないか」

「かしこまりました」

 頭を下げて、メイドがぱたぱたと走っていく。

 きゃ〜と小さな声でつぶやいていたのは、一体なにに悲鳴を上げたのか、ジークにはわからなかった。

「これでいいだろう、行くぞ」

 ティルティスが鍛練場のほうへと足を向ける。

 ジークは困ったように上司を見上げた。

「団長」

「言い出したら聞かないのが俺たちの主だ」

「それは、知ってます」

 言い出したら聞かない頑固さを持っているのは、何もティルティスに限ったことではない。

「二人とも何をしているんだ、行くぞ!」

 ティルティスが廊下の向こうで呼ぶ。

「は、はい!」

 ジークがあわてて走り出す。

 アルベルトは小さく嘆息した。


 


 


 

 鍛練場は、活気というよりも妙な空気に包まれていた。

 だれひとりとして打ち合いなどしていなかったし、ただみながみな成り行きを見守っているようだった。

 その中央にいるのが、サーフィスとあのときの女騎士だった。

(やっぱり……)

 ジークはこっそりと心の中でため息をもらした。

 周りを取り巻いている多くは、赤い制服、つまり第三騎士団だ。第二騎士団はサーフィスだけだったし、第一騎士団もちらほら見えるがあまりいない。

 この状況で、よくリンチされなかったなとジークはおどろいた。

 行くまでに怪我などさせられていたらどうしようかと考えていたジークはほっと一息ついた。

「サーフィスが無事でよかったです」

「サーフィスは騎士団の十指に入るからな。下手に手出しなどしてこないだろう」

 アルベルトが前を見据えたまま教えてくれる。

「そうなんですか?」

 あまりそういったことをまだよくわからないジークは目を丸くして聞き返す。

「サーフィスはある意味、ライよりも容赦がない」

「ライよりって……」

 ライオットとて、じゅうぶん容赦ないように見えたが。あれでも多少は手加減していたのだろうか。

「ライよりもサーフィスのほうが手加減が下手なんだ」

「あ、なるほど」

 どちらにしても、危険なことに変わりはなさそうだった。

「サーフィスだけじゃないじゃないか。パットがいる」

 ティルティスが指をさした先には、サーフィスの背に隠れるようにして立っている青年の姿があった。

 サーフィスの赤毛にばかり目を奪われてわからなかったが、あれはたしかにパトリックだ。

「再現してるのかな?」

 あのときの様子を。

 ちがうのは、ここにはソールがいないことだろうか。

「サーフィス」

 アルベルトが声をかけると、サーフィスがこちらを向く。

「団長、それに殿下まで」

 サーフィスが目を丸くして複雑な表情になったかと思うと、ぷいっとそっぽを向いた。

「おれは、おれは悪くない」

「あなたが先に手を出したんじゃない」

 サーフィスの前に立ったあのときの女騎士、サンドラが言った。

「てめぇが庶民風情だの、臆病者だのって、先に言ったんだろ?!」

「本当のことだから怒るんでしょう?うそは言っていないわ」

「んだとっ?!」

「やめろサーフィス」

 アルベルトがあきれながら言った。

「や、やめてよ、サーフ」

 パトリックがサーフィスを羽交い絞めにして押さえる。サーフィスがパトリックの腕をなんとかはがそうともがく。

「放せ、パット!」

「だめだってば」

 サーフィスの剣幕におどろいて目を瞠っていたサンドラが、引きつった笑みを浮かべながら腕を組んで鼻で笑った。

「怒りに任せて相手を傷つけるなんて、動物と一緒ね。いかにもあなたらしくってよ」

「なんだとぉっ?!」

「サーフ!」

「騒がしいな、なんの騒ぎだ」

 きれいに結い上げたこげ茶色の髪の女性は、一度見たら忘れられない美女だ。

 ゆったりとした歩みで、ジークが剣を交えた女騎士がやってくる。その後ろにはなぜかソールがついていた。

「うっ!」

 ティルティスが妙な声を上げて、あわてたようにジークの背後に隠れる。

 わけのわからないジークは首をかしげた。

「ティル……」

「いいか、ジーク!ぜったいに俺の名を口にするな。ぜったいだぞ!」

 ティルティスがにらみ上げるようにしてジークを見上げる。

 その真剣さに圧されて、ジークはこくこくとうなずいた。

「わ、わかった」

 ジークは再び目をサーフィスたちのほうに向ける。

 となりのアルベルトが疲れたように見えるのは気のせいだろうか。

「団長!」

 サンドラが叫んだ言葉を聞いて、ジークは耳を疑った。

「へ?」

 アルベルトと、そして新たに現れた女騎士を見比べる。ぽかんと口を開いて、ジークは何度もまばたいた。

「どういうこと?」

 女騎士がジークを見てにっこりと笑った。

 

 

          

C) Copyright Yuu Mizuki  2005-2008.  All  rights  reserved.