第三話 先生と生徒

 

6.


 

「失礼します」

 ジークは戸を開けて、一度立ち止まり敬礼した。

「頼まれていた書類をお持ちいたしました」

「ああ、ご苦労」

 なにやら書き物をしていたらしいティルティスが顔を上げた。

 宝石のような碧い瞳が和むように細められる。

「悪いな、雑用などさせて」

「いいよ。これくらいどうってことないし」

 にっこり笑うと、ジークは定位置であるティルティスのななめ後ろに立った。

 ティルティスは手を止めることなく受け取った書類をぺらぺらとめくっていく。

「いつも動き回ってくれている事務官がいれば、こんなことなにもジークにさせることはなかったんだが」

「いいっていいって。かぜで休んでるって聞いたよ」

「熱がひどくて起きられないらしい。ま、ムリに出させてもそれでは使い物にならんからな」

 さらさらとサインをほどこして、ティルティスはう〜っと伸びをした。

「少し休憩にしようか」

「僕は何もしてないけど、ティルトは朝から働きづめだからね」

「俺もそれほど今日はやってないが……まあ、たまにはいいだろう」

 ちりりんと机の上の小さなベルを鳴らすと、執務室の横の部屋からノックが聞こえた。ティルティスつきの侍女であるフィオルだ。

「お呼びでしょうか」

「少し休む。お茶をいれてくれ」

「かしこまりました」

 メイドが下がっていく。

 ティルティスはジークを見上げてにやっと笑う。

「それで?勉強の方はどうなんだ?」

「え?」

 ジークは聞かれたくなさそうに複雑な顔をする。

「はかどってるのか?」

「う〜ん……あんまり」

「ろくな休みもないから、疲れているのか?」

「そういうわけじゃないよ。ただ―――」

 ジークは言いよどむ。

 決して気が乗らないわけじゃない。術について多少興味があるのも本当だ。

 クレアの教え方が悪いわけでもない。

 なんと言えば、この気持ちが伝えられるのだろう。

 ティルティスはきれいな碧い瞳でジークを見つめる。

「ただ?」

「ただ、いまひとつうまくいかなくて。なんていうのかな、僕の感覚の歯車とかみ合わない感じ」

「最初からぴったりとはまることなどそうそうないぞ。いきなりそんなものと出会えたなら恵まれていると言えるな」

「そうだね。そうなんだけど、ついぴったりはまるものを求めちゃうんだ。僕にぴったりのものがあるんじゃないかって」

 ジークだからできること。

 ジークだから波長が合う人。

 そういうものを、求めてしまう。

「気楽に探せばいい、といいたいところだが、目下のところ、ジークに術を学んでもらわねばならないのは急務だからな。せめて制御できる程度にはなってもらわないと」

「そうなんだよね」

 はあっと嘆くようにジークが息をはいた。

「合わないみたい、と簡単にあきらめてもらっては困るな。ジークだって選んだはずだ、術を学ぶと。厳しいようだが、がんばってほしいと思う」

「うん、わかってるよ」

「どんなことでもつらいのは最初だけだ。もちろん、いつまでたってもつらいだけなら、たしかに向いていないのだろうがな。だが、それを乗り越えれば楽しくなる」

「できるようになれば、楽しくなるもんね」

「そういうことだ。わかっているじゃないか」

「でもそこまでいくのが本当に大変なんだよ〜!!」

 嘆くジークをくすくすとティルティスが笑う。

 一度でもそれを経験した者は、それを知っている。ティルティスも知っているし、ジークももちろん知っている。

「がんばっているのは知っている。クレアもわかっているよ」

「失礼します、お茶をお持ちしました」

 メイドがトレイを手に部屋に入ってくる。

 いつも言わなくてもこの女性はティルティスとジークの分を持ってきてくれる。

 仕事中だからと、絶対に物を口にしないアルベルトとクロス以外の団員はティルティスと一緒にお茶を飲むことを知っているからだ。

「いつもありがとう」

 ジークがにっこりと笑いかけると、女性は小さく笑った。

「お気になさらずに。これが仕事ですから。どうぞ、ジークさまもお座りになってください」

 フィオルはてきぱきとなれた動作でお茶の準備をしていく。ジークが手伝えそうなことはないので、いつもしかたなく席につくことしかできない。

「今日はファンダン地方の花茶です」

「そうか」

 ティルティスとのお茶の時間は好きだ。いろいろな場所のお茶を飲める機会などなかなかないから、仕事の中でも楽しみな時間だ。

 だが、ティルティスはこう見えて甘いものがきらいだ。見た目天使中身悪魔な先輩は見た目どおり甘いものが大好きだが、精巧な人形のようなティルティスは外見を裏切って甘 いものを受けつけない。

 だから紅茶に茶菓子がつかないし、砂糖も用意されないのだが、ジークは甘党のため砂糖がないと紅茶が飲めない。

 いったいどこで知るのか、フィオルはティルティスのことだけでなく第二騎士団員のことまでよく知っているらしく、ジークの紅茶には砂糖が二つ皿に乗っているし、クッキーが数枚そえられる。

「フィオルさん」

 おずおずと声をかけると、手を休めることなくフィオルが答える。

「はい?」

「あの、砂糖を入れてもだいじょうぶでしょうか」

「ええ。かまいませんよ。甘くてもおいしいお茶を選びました」

「す、すみません」

 ジークは小さくちぢこまるばかりだ。

「気にすることはないぞ、ジーク。変わったお茶を仕入れるのも、第二騎士団員について調べ上げるのもフィオの趣味だ」

「まあ、殿下。それではわたくしが変な女みたいではございませんか」

 心外だと言わんばかりにフィオルが反論した。

「失礼、つい口がすべってしまった」

「レディに対して口がなっていませんわね!」

 フィオルがぺいっとティルティスの頭をはたいた。

 ジークが目を丸くする。

 いつものことなのか、ティルティスは乱れた髪を片手で直した。

「口より先に手を出すレディがよく言うよ」

「あら、それではライオットさまみたいではありませんの。いっしょにしないでくださいまし」

「同じようなものだ」

「まあ!」

 フィオルとの不毛な言い争いをするティルティスを見て、ジークはなんとなく納得した。

(そっか。フィオルさんは、ティルトにとってお姉さんみたいな存在なんだ)

 気兼ねなく何でも言い合える仲なのだろう。

 現国王陛下の子どもはティルティスと例の妹姫―――もどきの弟―――殿下らしいから、ティルティスは自分よりも年上の兄弟姉妹がいない。

 ティルティスとて子どもらしく甘えられる存在も必要だろう。第二騎士団長のアルベルトが兄だとしたら、さしずめフィオルが姉なのだろう。

 その他の団員は、友達、だろうか?

 一人考え事に沈んでいる間に、フィオルが手際よく紅茶を入れる。

「ごめんなさいね、ジークさま。はしたないところをお見せしてしまったわ」

「いいえ。フィオルさんが殿下にとってどんな存在なのかがよくわかりました」

「うふふふ」

 にっこりと笑って、フィオルはきれいに頭を下げた。

「それでは、ごゆっくりなさってください」

 フィオルは邪魔しないように部屋を出て行く。

 いなくなったのを確認して、ティルティスはカップを持ち上げる。さわやかな香りが鼻をくすぐった。

「まったく、フィオのやつ」

 ジークは砂糖を入れて、スプーンでかき混ぜる。

「いい人だよね、フィオルさん。美人だし」

「器量がいいからな」

「じゃあ、もてるんだ?」

 ぴくっと、ティルティスの眉がはねる。

 ジークはそれに気がつかなかった。カップをソーサーに戻して、クッキーをほおばる。

「ライももてるし、ソールさんもいろいろ話を聞くしさ。第二騎士団もみんなもてるみたいだね。ティルトの周りは美男美女が集まるのかな。あ、まあ、僕は例外だけどさ。でも特に団長―――」

 がたんっとティルティスが立ち上がる。

 ジークはおどろいてぽかんとソファから見上げる。

「ど、どうしたの?」

 びっくりして目を丸くしているジークを見下ろして、ティルティスは片手で口をおおう。

(何をやっているんだ、俺は)

 立ち上がった本人が、本当はいちばんおどろいていた。

 きゅっと眉根を寄せた複雑な顔の主に、ジークは首をかしげる。

「ティルト?」

「フィオ!」

「はい」

 隣の小さな続き部屋から声が返ってくる。

「天気がいいから、今日は外で飲む。外へ準備してくれ」

 早口でティルティスがまくしたてる。おっとりと、フィオルが答えた。

「かしこまりました」

「行くぞ、ジーク!」

 ずんずんと歩いていってしまうティルティスをぽかんと見送っていたジークはあわてて立ち上がる。

「ま、待ってよ!」

 ばたばたと走っていく足音を聞きながら、フィオルはぱたんと本を閉じた。

「殿下ってば、変なところでまだまだ子どもね」

 ふうっとため息をもらし、フィオルは子どもっぽい嫉妬で出て行ってしまった主のために、お茶の準備をし直しに行った。

 

 

          

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