5.
(なんでこんなことに……) ジークはうんざりしながら思った。 さきほど帰ってきたはずの鍛練場に戻ってきたジークは小さく息をついた。 派手に開けたはずの大穴は、クレアがきれいに直してくれたらしく、そんなものができたような気配は見受けられない。 目の前には余裕の笑みを浮かべた女騎士が木剣を手に立っている。 「さあ、かかってらっしゃい」 (かかってらっしゃいって言われてもな) 女騎士がよこした木剣を手に、ジークは困りはてていた。 ぐいぐいと女騎士に引っ張ってこられてしまったジークは、あれよあれよというまにこうして木剣をにぎらされていた。 「騎士たる者、日ごろの鍛練は大事よ。それも、王太子を守る第二騎士団とあればなおさらね。さ、構えなさい。いくわよ?」 女騎士はすっと剣をまっすぐに持って剣礼をすると、ジークに斬りかかってくる。 ジークはあわてて女騎士のくり出してきた剣を受け止める。 「止めたわね、うん。いいわ、その調子よ」 「そ、そんな」 「問答無用!」 女騎士はさっと飛びのく。しかたなくジークも剣を構えなおした。 女騎士が片眉を跳ね上げた。 「へえ、なかなかさまになっているわね」 「それはどうも」 「それじゃ、形だけではないと示しなさい」 女騎士がふたたびかかってくる。 二度、三度と木剣がぶつかる音が続く。 父や兄のようにジークの打ち込む剣をただ防ぐジークの練習のための剣ではなく、ライオットのように容赦なく打ち込んでくるのともちがう。 女騎士の剣はジークには初めて対峙する不思議な相手だった。 「筋も悪くはないわね。だれに習ったの?」 「父と、兄です」 「王都では?」 「ライオットです」 「ライ?」 女の剣が止まり、女がジークから距離をとった。 「そう、ライに教わっているのね」 「い、いけませんか?」 「いいえ。ただ、それなら手を抜くわけにはいかないわね」 「え?」 「あのライオットの教え子ということになるのでしょう?あの子が人に教えるなんて信じられないけれど、うそをつくようにも見えないし」 女騎士はさきほどまでの余裕の表情を捨てて、真剣な顔でジークに木剣の切っ先を向けた。 「いくわよ」 先ほどとは比べ物にならないスピードで迫る女騎士の剣先をそらすので精一杯だった。 女騎士の剣は決して男にも劣るものではなかった。速さも重さも十分にある。 どこかジークに反撃のチャンスをくれる剣の師たちとちがい、女騎士は真剣にジークに挑んでくる。 (いけない、よそ事考えてちゃ) 思った次の瞬間、女騎士の剣が目の前に迫っていた。 ジークは大きく蜜茶色の瞳を見開いた。 「っ!」 (怖い!) 瞬時に恐怖がわき起こる。 突然時間が遅くなったかのように、音がなくなりすべてが止まっているような感覚を受ける。 ぶわっとジークの周りを濃い緑の匂いが取り巻いていく。 この匂いがするとき、どこか気持ちよくて意識がもうろうとしていくような気がする。何も考えなくてよくて心地よい。 ジークは一瞬、それに身をゆだねかける。 ―――私といっしょにいるとき以外の精霊への語りかけを禁じます クレアの言葉が頭の中によみがえる。 ジークははっと我に返る。 (いけない) 約束を守らなければ。 ジークは必死で自分を叱咤して、意識を引き上げる。 かあんっと高い音がして、ジークは手がしびれるのを感じた。 それとともに音が戻り、ジークを包むように取り巻いていた緑の匂いがうそのように消え去った。 音が戻ると同時に、止まっていたかのような景色も動き出す。ひどく長く感じたのは、ほんの一瞬だったのかもしれない。 そう思うと汗がふき出し、気づいたらジークは地面に座り込んでいた。 「だ、だいじょうぶ?」 女騎士があわてて駆け寄ってきて、ジークに手を差し伸べる。 「ごめんね、つい本気になっちゃった。ライに教わったなんていうから」 耳には入るが、女騎士の言葉の意味が頭に入ってこなかった。 ジークはゆるゆると首を振った。 「いいえ……」 「本当にごめんね?あなた、試合とかやったことないの?」 「はい」 「そうなの」 鍛錬のための練習はあっても、試合はやったことはなかった。故郷では、剣の技術を見せものにはしたりしない。 女騎士はジークの手を取って立ち上がらせる。 ぐいっと引かれて、ジークはいやいやながらも立ち上がる。 「悪かったわね。お礼に飲み物はごちそうさせてもらうわ」 「お気づかいはけっこうです」 「私がやりたいんだから、やらせてちょうだい」 女騎士は人好きのする笑みを浮かべた。
ぼんやりと女騎士と初めて会った階段に腰かけて、ジークはため息をもらした。 「なにやってるんだろうな……」 ひざの上にひじをついて、手の上に顔をのせたジークは手入れの行き届いた王庭を眺めているようでどこも見ていなかった。 思い出せば出すほど、自分が恐ろしくてしかたがない。 あのとき、もしもクレアの言葉を思い出さなかったら。 あのまま意識を飛ばしていたら。 どうなっていたか、恐ろしくて考えたくもない。 そもそもなんとか意識が保てたからよかったものの、ひとつまちがえば大惨事だったかもしれない。 今ならクレアの言っていたことがわかる。 「危険以外のなにものでもない、か」 まったくもってその通りだ。 正しすぎで反論もできない。 「こんな力……」 「何をぼそぼそ言っているの?」 ぴとっとジークの頬に冷えた水をひっつけて、女騎士がにこっと笑った。 「あ、すみません」 女騎士からグラスを受け取って、ジークは頭を下げる。 「ありがとう、でしょう?」 「ありがとう、ございます」 「よろしい」 重々しくうなずいて、女騎士はジークの横に腰をすえた。 「あなたがうわさの黒騎士団の新入団員ね」 「うわさ、ですか?」 「ええ。王城ではもちきりよ?殿下が認めた新しい騎士がいるって」 「僕は、そんなんじゃありません」 ジークは顔をしかめる。 そんなたいしたものではない。ほとんどお情けで入れてもらえたようなものだ。 「そんな顔しないでよ。顔までは知られていないけど、有名なのは本当よ」 「そうなんですか」 「ええ」 「でも、すぐにそれも消えるでしょう。僕は先輩たちのようにはできそうもありません」 「あら、だいじょうぶだと思うけど」 女騎士はにっこりと笑って軽く言う。 ジークはじろりと横目でにらんだ。 「他人事だと思って、軽く言ってくれますね」 「だってそう思うもの。だいじょうぶよ」 「でも、あなたは知らないから」 さきほど、危うく大けがをするところだったと。 ジークはひざの上でぎゅっとこぶしをにぎりしめた。 女騎士は青い目をぱちぱちとまばたかせる。 「何を?」 「僕は、危うくあなたに大けがをさせるところだった」 「けが?私が?なぜ?」 女騎士は小首をかしげて訊ねる。 ジークは苦しげな表情でうつむいた。 「僕は、地術士なんです。でも、まだ術士の勉強を始めたばかりで、ろくに使いこなせなくて」 女騎士は真剣な表情でうなずいた。 ジークの話をちゃんと聞いてくれるらしい。 「さっきだって、怖いって思ったら……あやうく、あなたを傷つけるところでした」 「でも、あなたはそうしなかった」 「偶然です。たまたま、そうなっただけ。クレアさんの、先生の言葉を思い出さなかったらうまくいかなかったかもしれません」 「それはきっかけに過ぎないわ。言葉が止めたわけじゃない。たしかにあなたが、自分で止めたんだもの」 女騎士はジークを元気付けるようににっこりと笑う。 「だいじょうぶ、自信を持って。まだまだこれからよ。あなたはきっといい術士になれるわ。もちろん、いい騎士にもね」 女騎士は自分のグラスに口をつける。 先ほどから女の立ち居振る舞いには隙がみえない。女騎士はいったいどういう人なのか、ジークは少し興味が出てくる。 「赤い制服を着ているということは、第三騎士団員ですよね?」 「ええ。まあ、そうね」 「あなたはいったい……」 「アミュさま〜!」 ばたばた派手な足音とともに騎士が走ってくる。 その男も赤い制服を着ていた。 「あら、もう時間かしら」 女騎士が立ち上がる。 その拍子にふわりと、ほんのりと花の香りが香る。 (あれ?) どこかでかいだことがあるような気がするにおいだ。 見上げるジークに、女騎士はにっこりと笑いかけた。 「また会いましょう、新人くん」 さっそうと去っていく女騎士の背から、ジークは目が離せなかった。
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