第三話 先生と生徒

 

4.


 

「はあ」

 ため息をもらしながら、ジークは王城の庭に面した通路に腰をかけていた。

 ライオットは今日は夜までティルティスについているはずだから、当分帰って来そうにない。

 一人の部屋に帰る気にはなれなかった。外にいた方がまだ気が晴れそうだ。一人で部屋にいたらよけいに気がめいりそうだった。

「どうして僕はこう……」

 うまくいかないのだろう。

 失敗ばかりで、先生に迷惑をかけたばかり。その上ろくに話も聞けない生徒だ。

 クレアもあきれはてて、いつ放り出されてもおかしくない。

「僕のバカ」

 ジークはひざを抱えてひざにこつんと額をぶつけた。

「そこにいるのはだれ?」

 一人考えにふけるひまもないらしい。

 ジークは顔を上げると、声の主を探す。すぐ後ろからこげ茶色の髪をきれいに結い上げた女騎士がやってくる。

 赤い制服のその女は、王城や王都警護の第三騎士団の団員だと知れる。

「す、すみません」

 ジークはあわてて立ち上がると服についたほこりを払った。

「ここは王城の奥、一般人が見学に立ち入れるのは大広間までよ」

 まったく、警備の者は何をしているの、と女騎士は憤慨する。

 今日は非番だったので、制服を着ておらず、私服姿だったことをジークは思い出す。国民とまちがえられているらしい。ジークはあわてて両手を振った。

「ちがうんです。僕は、第二騎士団の者です」

 ジークは携帯していた第二騎士団の騎士徽章を示した。今日はちゃんと持っていて良かったと心底安堵した。

「騎士?なぜ制服を着用していないの?」

 疑わしそうな女の視線にジークは眉根を寄せた。

「ええと、今日は非番だったので……」

「まったく、それではまちがわれても文句は言えないでしょう」

「すみません」

 ジークはうなだれる。

 またしても失敗してしまった。一つうまくいかないと、雪だるま式にうまくいかなくなるものなのだろうか。

 女騎士は腕を組んでジークを上から下までながめる。

「その徽章をみると、あなた、黒騎士なのよね?」

「え?はあ、まあ」

「ふうん。そう」

 女騎士はきれいな青い目を細めた。

「いいわ。ちょうどひまをもてあまして相手をさがしていたところなの。いらっしゃいな」

「ええっ?!ど、どこへですか?」

 女騎士はにっこりと笑った。

「黒騎士団なんてめったに出動しないでしょう?腕がなまっていないか、調べてあげる」


 


 


 

「なるほど」

 クレアの報告を聞いたティルティスは机の上で手を組んだ。

「それは大変なことをさせたな」

「いいえ。私は問題ありません。吹き飛んだ土を集めるのがとても大変でしたが」

「…………」

 いやみを言うのも忘れないクレアに、ティルティスは閉口した。

 背後に立っているライオットも複雑な顔だ。

「しかし、あの少年、本当に今まで術を使えなかったのですか?」

「それはまちがいない」

「ですが……」

 クレアは言いかけて口をつぐむ。

 本来は学校でまったく使えない状態から学んでいく。

 ジークのように中途半端に術が使える状態から学ぶのは少しむずかしいとされている。

 理論を知らなくても使えるからこそ、知らないうちに術を行使してしまうことがあるのだ。

「あの少年は、精霊とつながることが比較的安易に行えます」

 あのときの教えた方法では、多くの術士では行えなかったはずだ。意味ある失敗をしてもらうための教えがあれだ。それなのに、ジークの語りかけは成功してしまった。

 精霊に語りかけようという心だけでは精霊には伝わらない。だから術士の多くは精霊と近づくために魔道具を持っているのだ。

「普通の術士は魔道具を使って精霊に語りかけます。ですが彼は魔道具を必要とせずに語りかけてしまった。決して他にそうした術士がいないわけではありませんが……」

 宮廷術士の中にも魔道具を使わずに術を使える人間はたくさんいる。

 クレアやライオットとて魔道具は必要ない。

 だが、そうした人間の多くも修行をつんで今では魔道具を必要としないというだけだ。初めて使うときから必要としないジークとは少し事情がちがう。

「そうだな。宮廷だけに限らず、魔道具なしでも術を使える術士はいる」

「ですが、初心者の彼は別です」

 ジークの中で、まだ自分の意思と語りかけを区別できていない。

 今のままではジークの考えすべてが精霊へと伝わり、精霊は術士の願いに応えようと力を発揮してしまう。

 離宮での一件を聞いた限り、ジークは精霊に好かれている。とすれば、よほど無理難題でない限り、精霊はジークの願いに応えてしまう。

「初めての精霊への頼みごとでいきなり攻撃しようとするとは思えません。おそらく、あなたの騎士を思い浮かべたのでしょうね」

「……まあ、術士としていちばんジークの近くにいて、実際に術を使ったところを見せたやつだからな」

 ちらりと二人の視線が向けられて、ライオットが居心地悪そうに身じろいだ。

「少し、いえ、とても危険な状態だと言えます」

「それで、あなたはどうお考えなんだ?」

 ティルティスはすぐさま切り返すように訊ねる。

 クレアは動じることなく答えた。

「術士として育てられるおつもりなら、しばらく、少なくともまともに術が制御できるようになるまでは、ティンターナウ公爵子息に近づけるのは危険です」

「おいっ、オレが邪魔だってのか?!」

 ライオットがくってかかると、クレアはあごをそらした。

「その通りです。そう聞こえませんでしたか?」

「なんだと?!」

 ライオットはぎりっと奥歯を鳴らす。

 もう見られないと、さじを投げることのないクレアにティルティスは微笑みを浮かべた。

 クレアはジークを見捨てる気はないらしい。それだけで十分だ。

 だがライオットはそうではなかった。

「もういっぺん言ってみろ!」

「あなたがいると、彼の術士としての育成には支障をきたすのです」

「オレのせいにするのかよ!おまえの教え方が悪いからじゃないのか?!」

「なんですって?」

 どんどんと二人の雰囲気は険悪になっていく。

 このままクレアにさじを投げられては、せっかく頼み込んだ意味がなくなってしまう。

「もうやめろ、ライオット」

「だって!」

「おまえは勤務中だろう。私語はつつしめ」

 ぐっとつまって、ライオットは不承不承口をつぐんだ。

 ティルティスはぎしりといすを鳴らして背もたれに背を預けた。

「だが、それに関してはジークがうなずくかどうか……。いつまでかかるか、わからないのだろう?」

「この調子でいけば、まともに制御できるようになるまで二年くらいでしょうか」

「まあ、毎日学ぶわけじゃないからな。そんなものだろう」

 術士の修行は制御できるようになってからが勝負だ。

 語りかけにかかる時間を短縮し、精霊とつながるのにかかる手間を省略するのが術士の次の仕事だ。

 ふところにもぐられたら、術士が勝つのはむずかしくなる。術士とて万能ではない。傭兵や騎士といわずとも、ただの人間が相手であっても気が散れば術士は術が行使できなくなる。

「だがそんな長い期間、離れていられるかどうか。ジークはライオットを慕っている。ライオットにとってもジークは初めての後輩だし、彼の担当官だからな」

「……わかりました。他に手を考えてまいります」

 頭を下げて、クレアが下がろうとする。

 ティルティスはあわてて呼び止めた。

「クレア、引き続きジークを見てくれるのか?」

「もちろんです。引き受けた以上、術士として一人前になるまではちゃんと面倒を見ます。それに、私以外で比較的暇な時間を持っている、もとい作っているのは、あの方くらいでしょう?いくらなんでも、初心者にあの方は……」

「そう、か」

 ほっとしたようにティルティスが微笑む。

「ありがとう、クレア。感謝している。特別手当を手配しよう」

「けっこうです。私も勉強になっていますから。それよりも、殿下。姉を邪険にしないでください」

 うっとティルティスがひるんだ。

「姉はあなたに嫌われているのではと、いたく気にしています」

きまり悪そうにティルティスは小声で返す。

「別に、嫌っては……」

「そうですか?」

「あ、ああ」

「それならいいのです。ひどく気にしていたので、私も気がかりでした。でも、姉の早とちりだったのですね。姉にもそう言っておきますから」

 失礼します、とクレアは王太子の部屋を出て行く。

 ずるずるといすからずり落ちかけて、座りなおしたティルティスは大きなため息をもらした。

「最後にしっかりやり返されたじゃねえの」

 ライオットがちらりとティルティスを見てつぶやいた。

「うるさい」

「でもそうか、思い出したぞ。クレア・ミレーか」

「…………」

 ライオットがあごに手をあててにやりと笑う。

 ティルティスは眉間にしわを寄せて、机の上で手を組みなおした。

「あの人の妹というわけか。よく頼んだな、ティル」

「その名で呼ぶな」

「またまた、強がっちゃってさ」

「強がってなど……」

「で、どうすんだよ?」

 ティルティスがいやそうにとなりに立つ騎士を見上げた。

「なにが?」

「邪険にしてるとは言わないが、嫌ってはいるだろ?」

「……否定は、しない」

 長い黄金のまつげを伏せ、ティルティスが消え入りそうな声でつぶやく。

 ふだんの公正な王太子ならば人を差別するようなことはしない。唯一の例外が、あの人だ。

 ライオットは低く笑った。

「ま、ムリに好きになることはなくても、ちったぁ考えてやれよ。向こうはたぶん、ティルトのことも好きだと思うぜ?」

 ま、理由もあるんだけどな、とライオットが笑いながら付け加えた。

 

 

          

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