第三話 先生と生徒
3.
「―――であるからして、大規模な術は図にあるように陣を用いて多人数で行います。これは、術の初心者にも応用でき……」 クレアの声が頭に残らず耳を通り過ぎていく。 あれから一週間がたった。そのうちの三日、クレアはあまり聞く気のないジークに辛抱強く教えてくれている。ただ単に王太子の頼みである以上、断れないのかもしれない。 教科書を開きながらも、ジークは別のことを考えていた。 (歓迎会の日は、仲良さそうに見えたんだけどな) 第二騎士団は、ライオットとサーフィス以外は比較的友好関係にあるのだとジークは見ていた。 だが、そうでもないのだろうか。 ジークに対しては、みんなそれぞれによくしてくれるのに。 (どうしてかなぁ) 試験のときは、ソールとサーフィスが仲が悪いようには見えなかった。 仕事と割り切るときだけは、険悪な仲でも連携をとろうとするのだろうか。 人間関係は仲良くありたいと思うだけではやっていけないこともわかっている。理屈だけではうまくいかない。だが――― (それって、なんだか寂しいよな) 「ジーク・ゼオライト!」 「は、はいっ!」 考えにふけっていたジークは突然現実に戻されてあわてて顔を上げた。 机についていたひじをはずして、ジークは背筋を伸ばす。 クレアが小さくため息をもらした。 「理論はおもしろくないのですね」 「す、すみません。そういうわけではないのですが……」 せっかくティルティスが頼んでくれたのに。 こうしてわざわざクレアが来てくれたというのに。 活かせない自分が情けなかった。 「術とは、本来理論を知った上で使うべきなのですが……」 クレアは思案にくれて腕を組んだ。 「あなたには実践の方がいいのかもしれませんね」 クレアはぱたんと本を閉じた。 「外へ出ましょう。実際に使ってみようと思います」 「え、は、はい」 ジークはあわてて立ち上がった。
外の鍛錬場は、今は訓練時間ではないため、がらんとしていた。 「ちょうどいいですね、ここでやりましょう」 クレアが立ち止まって、鍛錬場を見回す。 広い空き地には、ところどころに剣の練習用の棒にわらを巻いたものが立っている。 わざわざ鍛錬場まで来て剣の練習をしなくてもちょうどいい相手が近くにいるため、ジークはここまで来たことがない。 初めて見る場所で、ジークはものめずらしさにきょろきょろとしていた。 「ここに来るのは初めてですか?」 「はい」 「そうですか。もう少し行ったところにも術の練習場もあるのですが……まあここでもいいでしょう。あなたは地の術士ですから、それほど場に左右されないですし」 「え、場に左右されないって?」 「世界に大地のないところはありません。ですから、大地の精霊は世界のどこにでもいます」 「でも、僕はエッディフトでは術なんか使ったことないんですが」 そもそも、術士であることすら知らなかったのだ。 場に左右されなかったなら、なぜ故郷では使えなかったのだろう。 「エッディフトは大地の精霊の対存在である風の精霊の多いところです。風の精霊の力におされて、大地の精霊はじゅうぶんに力を発揮できないのでしょう」 「はあ」 そういうものなのだろうか。 質問しておいてこう思うのもなんだが、術のことはよくわからないので、ジークはクレアに任せることにした。 「疑問を持つのはとてもいいことです。少なくとも、あなたは興味を持っているということですから」 「あ、あははは……」 「では、まずは精霊に語りかける練習をしましょう。ジーク、気持ちを落ち着けて楽にしてください」 ジークは目を閉じて深く息をすいこんだ。 故郷の緑のにおいによく似ている香りがした。なつかしい香りだ。 身体から余分な力の抜けたジークを見て、クレアが満足そうにうなずいた。 「そう、その調子です。では心をとぎ澄まして自然の声を聴いてください」 さあっと風が木々を揺らす。 ジークはどんな小さな音も聴きのがさないために、静かに呼吸をくり返す。 風の音、鳥の声がジークの耳にとどく。 「精霊の声は人間には意味としては理解できません。ですが、感じることはできます。あなたの感じている世界のあらゆるところに、精霊は存在します」 「はい」 「では、精霊に語りかけてみましょう。ジーク、心で精霊に語りかけるのです」 (こ、こんにちは) ジークは心の中でつぶやく。 特に何かいつもとちがうような様子は感じられなかった。 「心で思うだけでは精霊には届きません。それでは精霊は人の心が読める存在になってしまうでしょう」 「あ……」 「精霊は種類にもよりますが、もともとそれほど人の世界に興味があるわけではないのです。精霊自体が、世界のようなものなのですから。そういう彼らに語りかけるのですから、精霊に話しかけることを念頭においてください」 クレアの言葉をもう一度はんすうして、ジークは深く呼吸する。 (精霊は、世界) 世界が精霊なら、いま耳で目で身体で感じ、ふれているものも精霊なのかもしれない。 それなら、毎日気づかないうちに感じているはずだ。 (はじめまして。僕はジーク) ジークを取り巻く空気が変わる。 森の中にいるように、土と緑のにおいが強くなる。 「精霊の気があなたに向いたようですね。では、今度は何か頼んでみましょう」 ジークは突然のむずかしい言葉に眉をひそめた。 (そんなこと言われても、何を頼めばいいのかな) 術士といって思い浮かぶのは、あの気の強い先輩だけだ。 一度だけ間近で見たライオットの術を思い出した。 次の瞬間、爆音がとどろき、砂煙が巻き起こった。
ばっと目を開いたジークの前には、深い大きな穴が地面に口を開けていた。 穴から少し離れたところにクレアが青い目を見開いてしりもちをついていた。 「……あれ?」 ジークは首をかしげる。 まるで隕石でも落ちたように丸く開いた大きな穴の中には、剣の練習用のわら人形のざんがいがさびしく転がっている。 どう考えても練習の邪魔にしかならない。 こんなものついさっきまではなかった。 なぜこんなものができているのか、ジークにはよくわからなかったが、いやな汗がジークのほおを伝った。 こういうときほど、この予感というものは当たるものだ。 「もしかして……僕がやってしまいましたか?」 「…………」 黙りこんでいたクレアはよろよろと立ち上がって、見たくないものから目をそむけ、ため息をもらした。 「これは、私の責任でしょうね」 「……すみません」 ジークはがっくりとうなだれた。 またやってしまった。 自分の力を制御できないなど、くやしくて情けなくてしかたがない。 「いいえ。はじめにきちんと説明しなかった私も悪いのです」 クレアが小さく首を振った。 「精霊に語りかけるときには、頭の中で自分だけで思う意思と精霊への言葉をはっきりと分けねばなりません」 「え?」 「両方いっしょくたにすると、精霊はあなたの考えを語りかけだとかんちがいして読み取り、それを実行してしまいます」 ジークはさあっと顔色を変えた。 まさか―――あの時のライオットの行動を思い出していたから、その頭の中の映像どおりに、精霊は実行してしまったのだろうか。 風と地のちがいか、人を巻き込んで木がまるはだかにされていたのと、地面に大穴と術にちがいはあれど、危険な術を使ってしまったのにはちがいない。 真っ青になってジークは頭を抱えた。 「なんてことを……僕はまた……」 「ジーク・ゼオライト、あなたの教師として命じます」 クレアはどことなく疲れたかんじがうかがえる。 ジークは神妙な面持ちでうなずいた。 「はい」 「私といっしょにいるとき以外の精霊への語りかけを禁じます。今のままでは、あなたのその力は危険以外のなにものでもありません」 「……はい」 ジークはしょんぼりとしてうつむいた。 こればかりはジークだけのせいでもない。たまたま力を持っていて、たまたま彼のそばには術士としてはやっかいな人物がいただけだ。彼だけのせいにするのは少しかわいそうだろう。 「今度は術士の訓練所で練習しましょう。あちらのほうがもう少しやりやすいはずです。私も少しやりすぎました。あなたは術士としては初心者だということを忘れていたかもしれません」 「いいえ、できそこないの生徒でもうしわけありません」 「そんなことはありませんよ。だれでもはじめはできないのですから。それよりもジーク、精霊への語りかけのときにいつもと変わったことはありましたか?」 ジークは少し考えて、顔を上げた。 「ええと、そういえばなんとなく、においがしたような……」 「におい?」 「はい。森の中にいるような、緑のにおいです」 「ではジーク、それを忘れないでください。それがしはじめたら、あなたと精霊がつながっているということです。あなたの考えが、精霊に伝わる可能性があります」 「は、はい」 ジークがこくこくと何度もうなずいた。 クレアは小さく息をついた。 「では、今日はここまでにしましょう。ここは私が片づけておきましょう」 初心者のジークにこれを直せというのは少々酷だろう。 ジークはすまなそうに眉を寄せ、頭を下げた。 「すみません。お願いします。ありがとうございました」 どこか肩を落としたまま、ジークは鍛錬場に背を向ける。 「……殿下に、ご相談しなければ」 その背を見ながら、クレアがぽつりとつぶやいた。
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