第三話 先生と生徒

 

1.


 

「いいですか?術士とは、精霊と語り合うことのできる者のことをさすのです」

「はい」

「世界に作用する精霊たちの力を借りることによって、常人にはない大きな力を行使することができるようになります」

 ぼすぼす、と毛足の長いじゅうたんをふみながら、長い茶色の髪の女性が部屋を歩く。

 ジークの鼻先でふわりとほのかに花の香りが香った。

「つまり、あなたはまず、精霊を感じることができるようにならねばなりません。そして精霊に話しかけ、彼らにあなたの依頼を頼めるようになって、初めて術士としての一歩をふみ出すことになるのです」

 机の前を行ったりきたりしている女性を見上げ、ジークはぼんやりしていた。

(わかるような……わかんないような……)

 女術士の声はジークの耳を素通りして、外のけんそうのように流れていく。

 ジークは顔をしかめて本に視線を落とす。

 近衛騎士にばってきされて、故郷のエッディフトからここ王都へと出てきたジークは、ここで術士の才能があるということを知った。

 せっかくだからついでに学んでおけというジークの主の言葉により、ジークはこうして休みを返上して家庭教師につくことになった。

 女はクレア・ミレーと名乗った。

 ジークの主、ティルティス殿下が見つけてきてくれた宮廷術士だ。

 講義が始まってすでに一時間、教科書代わりにと持ってきた本とクレアの話を聞いて過ごしている。

 はっきり言ってまったく実感がわかない。

(そもそも、僕は術師だなんてよくわかんないんだよね)

 術士だと言われているが、実際にジークが意図して使ったことはない。

 ただ暴発したのかなんなのか、よくわからないが使ってしまったのが二回あるだけだ。

(それなのに、術士っていってもなぁ)

「―――聞いているのですか、ジーク・ゼオライト」

 はっと我に返って、ジークはあわててクレアを見上げる。

 青い目が怒りをともしているように見えるのは、きっと気のせいではない。

「す、すみません、先生。聞いていませんでした」

 素直に謝ると、クレアが眉根を寄せた。

「一度で聞いてください。私とてひまなわけではないのですよ」

「すみません」

 ジークは小さくなってあやまった。

 クレアがパタンと持っていた本を閉じた。

「休けいにしましょう。話に集中できなくては講義になりません」

「本当に、すみません」

「しかたがないでしょう。最初は実感などわかないものです」

 クレアの言葉は心の中が読まれたようで、ジークはどきりとした。

「昼をはさんで次の講義は午後からにします。それまでに気力をやしなっておいてください」

「はい」

「では」

「ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げると、クレアはちらりとジークに視線を落としただけで無言で部屋を出て行く。

 は〜と、ジークは机に突っ伏した。

「さっぱりだ〜」

 勉強はきらいではなかったと、ジークは思っていた。

 だが実際はそうでもなかったのかもしれない。

 学校の授業はこれほどきつくはなかった気がする。だから苦手だと感じるのだと、そう信じたい。

「僕、術士には向いてないんだよ」

 ジークはぶつぶつと口の中でつぶやいた。

 しまったばかりのとびらが開いて、ライオットが部屋に入ってくる。

「おうおう、やってたみたいだな」

「あ、ライ。お帰り」

 ジークは突っ伏していた机から顔を上げる。

 ジークの故郷では見たことがないくらいに美しい容貌の先輩の顔も、だいぶ見慣れてきた気がする。この顔を見るたびにどきどきすると同時に不安を感じていたのがずっとむかしの話のようだ。

 昼休みで戻ってきた天使のような美貌の先輩は無造作に上着を脱いだ。

 中に着ていたシャツのボタンを一つはずす。

「暑いな、今日は」

「そうだね」

 窓を開けているにもかかわらず、今日はあまり風がない。

 ちょっとむし暑い気がした。

「んで、今のは?」

「ティルトの呼んでくれた先生」

「ああ、例の術士の家庭教師か」

「うん。宮廷術士のクレア・ミレー先生」

「ミレー?」

 けげんな表情でライオットが聞き返す。

 なぜライオットがそんな顔をするのかわからないジークは不思議そうにうなずいた。

「う、うん」

「ふうん……」

 微妙な顔で考え込むライオットにジークは不安になって訊ねる。

「なんか、気になることでもあるの?」

「いや、なんか引っかかったような気がしたけど……なんだったかなぁ。オレにもよくわかんねぇ」

「そんなふうに言われたら、気になるじゃないか」

「う〜ん……そう言われてもなぁ」

 がしがしときれいな金髪をかき混ぜる。

 ただでさえあちこちに跳ねているクセの強い金髪はさらに乱れる。それがセットしているように違和感ないのがライオットの不思議だ。

「なんかどこかで聞いた気がするんだけど、オレ覚えてねぇや」

「もう、ひとを不安がらせるようなことをしないでよ」

「しょうがねぇだろ!ふと思ったんだよ」

 ライオットは上着をいすにかけて、腰に手を当てる。

「おい、ジーク」

「なに?」

「先生が出ていったってことは、休みなんだろ?昼メシにしようぜ」

「あ、うん」

 ジークはあわてて立ち上がる。

 ライオットがノブに手をかけたとき、向こうからとびらが開けられる。

 がんっと、痛い音がした。

 ジークは口をおさえ真っ青になる。

 とびらの向こうには、あざやかな赤毛が立っていた。

「あ?」

 おかしな音に男は首をかしげる。

 ぎぎっときしんだ音をたてて、ゆっくりと戸が外へと動いていく。

 そこで鼻を押さえて震える金髪を見て、やっと自分のやってしまった過失に気づいた赤毛の男は顔色を変える。

「あ、ラ、ライ……」

 ライオットに気づいたサーフィスがすまなそうに顔をしかめて顔をそむける。

 顔をつき合わせればけんかが絶えない二人だが、ライオットについては否定はしないが、決してサーフィスはけんかを売って歩いているわけではない。

 ただ、二人はうまが合わないらしく、目が合えばすぐにけんかを始めてしまうようだ。

「てっ……めぇ……」

 ゆっくりと、不気味なほどにゆっくりとライオットが顔を上げる。

 ライオットの高い鼻が真っ赤になっている。

 その青の瞳は殺気に満ちていた。

「いい度胸じゃねぇか。オレにけんかを売りたいってか」

「わ、悪かったな」

 素直にサーフィスがあやまった。

 サーフィスが素直にライオットにあやまるなんて、明日は雨じゃなくてヤリが降るんじゃないだろうか。

 だからこそ、本当にわざとではないのだろう。自分に非がないときには、二人ともぜったいにあやまったりしない。

 めずらしい現象にジークは目を丸くするが、怒り心頭のライオットは気づかなかったようだ。

「悪かったなぁ?!そんな一言ですべてゆるされるならオレたちなんかいらねえんだよっ!」

「悪かったって、言ってんだろ。あやまってるじゃねえか」

「その態度が謝ってんのかよ?!あやまってねぇんだよ!」

 ジークははらはらと二人を見ていたが、見ているだけでは何も解決しない。

 勇気を出して、ジークは二人の間に割って入った。

「落ち着いてよ、二人とも」

「おまえは下がってろ、ジーク!」

 ライオットがジークを押しのけてサーフィスの前にずかずかと出て行く。

 背で負けていても、ライオットは迫力では負けてはいない。

「いまのはおれが悪かったって言ってんだろ。わざとじゃなかったんだよ」

「わざとじゃなけりゃなんでもゆるされると思うなよ?!」

「思ってねえからあやまってんだろ!」

「その態度があやまってねぇって言ってんじゃねえか!」

 先ほどの会話をくりかえしているように思う。

 このままではらちがあかない。

 ジークはもう一度二人の間に割って入った。

「ちょっと二人ともやめてってば!サーフィスは何の用事があってここに来たんですか?何も用事がないってことはないでしょう?」

 サーフィスが何の理由もなく、わざわざライオットのいるこの部屋を訪ねてくるとは思えなかった。

 案の定、サーフィスがぽんと手を打った。

「ああ、そうだった。ライ、団長が呼んでる」

「はぁ?!」

 疑わしそうにライオットが聞き返す。

「ほんとかよ」

「うそなんかつかねぇよ。というか、ついてもしかたがないだろ」

 赤毛が疲れたように言う。

 ライオットは眉をひそめていたが、いちおう納得したらしい。

「ふうん。わりぃ、ジーク。オレ、用事ができちまったみたい」

 ジークはほっと息をついた。

 なんにしてもこの状況からは解放されるらしい。

「うん。だいじょうぶ。行ってきてよ」

「そうか?悪いな」

 ライオットがサーフィスの横を通り抜けて部屋を出て行く。

 その際にも特に何の問題も起きなかったことに、ジークは胸をなでおろした。

「ノックをすべきだったな」

 がりがりと頭をかいて、後悔しているようにサーフィスがつぶやく。

「僕もそうすることをお勧めします」

 ちっとサーフィスが舌打ちをした。

「あいつにいやな借りを作っちまった」

「そんな。ライはささいなことで根に持つタイプじゃないですよ」

「ふつうのやつが相手ならな。多少は流してやるくらいのふところの広さは持ってるだろうよ。だがおれはあいつに嫌われてるからな。あいつ、嫌ってるやつにはとことん冷たいやつだから」

 サーフィスがふうっとため息をもらして、思い出したようにジークに顔を向けた。

「そうだ。おまえ、昼メシを食べる前だったんだろう?」

「え、はい」

「じゃ、ついでにおれが連れてってやるよ」

「え、でもライを待ってなくても?」

「だいじょうぶだろ、あいつだって子どもじゃないんだ。たまにはライ以外と食べるのもいいだろ。おれはおまえのこと、まだよくわかんねぇから話してみたいし」

 サーフィスの目は子どものようにきらきらとかがやいている。

 とても断れそうな雰囲気ではなかった。

 

 

          

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