第二話 歓迎会の夜 3.
「あ、ジーク!」 ティルティスの部屋へ向かうため、廊下を歩いていたジークはユークリフトに呼び止められた。 「副長、どうなさったんですか?」 「いやいや、歓迎会の話のことだよ」 「ああ」 言われてジークはうなずいた。 思い出してみると、後で行くと言っていたユークリフトは昨日は来なかった。 「昨日はごめんね。昨日ちゃんと言いに行こうと思ってたんだけれど、まあいろいろとあって」 「はあ」 「今夜のことなんだけれどね。時間は五時。場所はここね」 ユークリフトがメモの書かれた紙を手渡す。 「え、城じゃないんですか?」 「城じゃぱあっとできないからね。それに、城には門限もあるから、早めに行って早めに帰るのが、恒例なんだ」 「そうなんですか」 「じゃあそういうことだからよろしくね」 ユークリフトはにっこり笑って去っていく。 その背中を見ていたジークは手渡された紙に視線を落とす。 「どのへんにあるんだろう」 ジークはまだ王都に出たことがない。 初めて城に来たときに王都を通り過ぎてきただけだ。 「ライに連れて行ってもらうか」 地図を見ながら行くのは自信がないため、あっさりとそう決めて、ジークは廊下を歩いて行く。 馴れた道を歩いて行くと、離宮にあった部屋よりも少し大きなとびらが見えてくる。 こんこんとノックをして名を名乗る。 「ジークです」 「ああ、入ってくれ」 中から返事が返ってきたのを確認して、ジークはとびらを開けた。 二週間前の惨事ですべて書き直しになった書類が、このところずっと机の上にうずたかく積まれていた。それがすっかりきれいになくなっている。 あらかた片付けたらしいティルティスがうれしそうに目を細めた。 「ジーク!久しぶりじゃないか」 「久しぶりといっても、三日前にも顔を出しに来たんだけど」 「その後三日は会ってなかっただろう?久しぶりであってるじゃないか」 「まあ、そうかもしれないけど」 言いあいでは勝てないので、ジークはすんなりと引いた。そのほうが円滑に進むということは別の先輩で身をもって知っている。 ライオットとはちがう美貌の主は、執務机のいすで足を組んだ。 「最近はいそがしそうに城を歩き回っているって聞いているぞ。もうこき使われてるのか?」 「そんなことないよ。まだまだ、僕は全然役に立ってないから」 「卑下することはないぞ。ジークはよくやっているって、ルートからも聞いている」 「団長が?」 ジークは不思議そうに目を丸める。 ただ頼まれた書類を渡して回っているだけだ。ただの雑用と変わらない気もするが。 怪訝な顔のジークに、ティルティスはにっこり笑った。 「ここに慣れようと懸命だと聞いているから」 「あ……」 「意外と見てるだろう?だからルートが団長なんだ」 自慢げなティルティスの様子から、彼がとてもアルベルトのことを慕っているのがわかる。 なんとなく、故郷の兄を思い出した。 「で、今日はどうしたんだ?今日の護衛はジークじゃなかったはずだが」 ティルティスはジークの用件をうながす。 ジークは居住まいを正して口を開いた。 「僕は、地の術士の素質があるという話を聞いたんです」 敬語になっていることにわずかに眉根を寄せたが、話の腰を折らずにティルティスはうながす。 「うん。俺も聞いているぞ」 「僕は故郷で普通の学校には行きましたが、王都にある術士の専門学校には通っていません」 「そうだろうな」 「僕は、騎士をその、休職して学校に通うことになるんでしょうか」 「え?」 ティルティスが宝石のような碧い目をみはる。 転属とか、やめるとか、そういうことは言いたくなかった。 あえて避けた表現を飲みこんで、ジークはもう一度重い口を開く。 「ライみたいに術士で、騎士でもある人もいますが、僕ははっきりいってそれほど剣の腕がたつわけでもないし、術にいたっては初心者です。その……転属になるんでしょうか」 「ああ、その話か」 やっと合点がいったように、ティルティスがうなずいた。 せっかく久々に第二騎士団で転属願いを出してこない者が現れたのに、いまさら手放せるはずがない。 「まさか。そんなことはないさ。やめたいって言ってもしばらくは手放せないね。でも、たしかに術については学んでおいたほうがジークのためにもなるな」 ティルティスが考え込むようにあごに手を当てる。 ふと気づくと、ジークが捨てられる子犬のような目で見つめている。ティルティスは苦笑した。 「ジークには悪いが、しばらくは休暇を返上してもらって家庭教師でもつけるかな。それについてはこっちで探そう」 「ティルト……」 「とりあえず、無意識で術を使わないように、しばらくは気でも張っておいてくれ。今までは使ったことがなかったんだろう?」 「うん」 王都に来るまで術士なんて遠い存在だと思っていた。まさか自分がそうだったなんて夢にも思ったことはない。 「これまで一度も使ったことなかったよ」 「なら、たぶん問題ないだろう。術に関しては、ジークには才能があるようだから、損はないんじゃないか?」 「だといいけど」 まだ不安そうな顔のジークに、ティルティスは口元に笑みを浮かべた。 「ライの言ってた心配事って、それか」 「え?」 「しばらく前からジークがなんか悩んでるようだからって、ライオットも心配していたからな」 「ライが?」 部屋ではそんなそぶりを見せなかったから、ジークはおどろいた。 聞いてきたのだって、昨日が初めてだった。 ライオットなりの気遣いだったのだろうか。 「悩むことはないぞ。大きくなってから才能が開くということはあまりないが、大きくなるまで知らなかったというのはよくある話だ」 「そうなの?」 「ああ。ジークだけではないから、安心しろ」 「そっか」 ジークはやっと安堵した表情を浮かべる。 自分だけではない、それがどんなに安心をよぶことか。 これから学んでいけば、きっとだれかの役に立てる。ジークは心の中でぐっとこぶしをにぎりしめた。 ティルティスはおもむろに引き出しを引いた。 「ちょうどいい、ジークに頼みたいことがあるんだ」 「僕に?」 ティルティスは引き出しからきちんと封をされた封筒を取り出して机の上に置いた。 「これを、王都で店を出しているゲインという男に届けてほしいんだ」 「ゲイン、さん?」 「そう。《シスアの木》っていう店を開いている。彼にこれを渡してほしい」 ティルティスは封筒をジークの方へと押し出す。 「僕みたいなのが行ってもだいじょうぶ?顔が知られていないのに、不審に思われないかな?」 「制服で行ってくれればいい。城を出ることを許可する」 ティルティスはそばにあった書類にさらさらとサインをして、それもいっしょにジークの方へ押した。 ジークはそれを受け取らずにじっと見つめている。 「行ってくれるか?」 はじかれたように顔を上げて、ジークはこくこくと何度もうなずいた。 「うん。あ、いえ、はい!もちろんです!」 初めてのティルティスからの依頼だ。 うれしさに思わず顔がゆるむ。 「が、がんばります!」 あまりのうれしそうな顔に、ティルティスが複雑そうな顔をする。 ジークはそれを心の中で不思議に思う。 たかが手紙を届けるだけなのに、何をそんなに意気込んでいるのか、と思われているのだろうか。 「まあ、その、なんだ。頼んだぞ」 「はい!任せてください!」 ジークはそれらをふところにしまいこむ。 「今夜はジークの歓迎会らしいな」 「あ、ティルトも聞いたんだ」 すっかりご機嫌になったジークはいつもの口調に戻っていた。 「そうなんだ。なんか、みんなに悪いよね」 「いや、そんなことはないと思うぞ。ある意味やつらの楽しみというかなんというか……」 「気分転換にもなるって、副長も言ってたからね」 「そうかもな」 なんとなく疲れたようなティルティスにジークは首をかしげる。 「どうかしたの?なんだか疲れたみたいだけど」 「いや、平気だ」 「そう?」 「そう歓迎会、それに間に合うように帰って来いよ?」 「あ、そうだね!僕、じゃあ行ってくる!」 ちゃっと敬礼して、ばたばたとジークはあわただしくティルティスの部屋を出て行く。 入れ替わりに入ってきたテルフィルド卿が不審げに眉をひそめた。 「なんですかな、あれは」 疲れたようにティルティスは答えた。 「人を疑うことを知らない、素直でまじめな我が騎士だよ」
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