第一話 第二騎士団

8.

 

 声を発した人物に、部屋の視線が集中した。

 テルフィルド伯が口を挟んで、今さらながらジークは伯爵がまだいたことに気がついた。

 ティルトにしても、時間を大切にするテルフィルド卿がわざわざこの場に残っていたことが驚きだった。効率を第一とするこの伯爵が途中で上手く抜け出せないはずがない。

 なぜ残っていたのか、ティルトには不思議だった。

「落ち着いて、頭を冷やされよ。殿下の御前であるぞ」

 テルフィルド伯爵は静かに告げる。だが興奮しているテーヌ子爵には通じなかった。

「殿下の御前だからこそ、心を鬼にして言っているのです。黒騎士団の一員であるということは、いわば殿下の代行者でしょう!そのような立場にある者が弱い立場にある民に手を上げるとは何事ですか!」

 ここぞとばかりにテーヌ子爵の口は止まらない。

 ティンターナウ公爵家の足を引っ張ろうという意識が感じられる。

 こんなところにも政争があるのかとジークは変なところで感心していた。

「このような乱暴者が次期公爵ではティンターナウ公爵家も長くはありませんな」

 ふっと嘲笑を浮かべたテーヌ子爵に言い返そうとティルトやライオットが口を開く前に、誰よりも先に反応したのはジークだった。

「お言葉ですが子爵、今のは失言でしょう」

「なに?!」

「子爵はライオットの一族を侮辱したのですよ?それはいくら子爵といえど……いえ、だれにも許されることではありません。ライオットに謝るべきです」

「ジーク……」

 ライオットが驚いたように大きく青い瞳を見開いている。

 ジークが言い返すとは思っても見なかった。それはこの部屋にいた者はみんなそうだったようで、全ての視線がジークを凝視していた。

 驚いた顔をしていたテルフィルド卿はジークを見直したらしく、意外なことに満足そうに微笑んでいた。

 だがただ一人、逆の方向にショックを受けた人物がいた。

「謝れ……ですと?」

「そうです。先の発言は明らかに言いすぎでした。それはあなたが一番わかっているはずです」

「お前に言われる筋合いはないわ、こわっぱ!」

「誇りを持つのは良いことです。が、高いだけの矜持は必要ないどころか、むしろ邪魔になります。意地になるべきではありません」

 アルベルトのように淡々と言うジークに、

(ジークもやはりゼオライト伯爵の息子というわけか)

 変なところでティルトは感心した。

 おもしろくないのはテーヌ子爵だ。本当に悔しそうにギリギリと奥歯を鳴らす。

「おのれ、東の蛮族の血をつぐ卑しい生まれの分際でっ!」

「蛮族ではありません。勇猛果敢な武の一族、ウェンド族です。戦の際には陛下の剣となり盾となる陛下の尖兵であることに誇りを持っています。ウェンド族は誇り高い民族です」

「しょせんは野蛮人、たかが野蛮の民に誇りもクソもあるものかっ!」

「それは偏見でしょう。閣下は彼らを、僕らを知らないからそんなことが言えるのです」

 感情に任せるテーヌ子爵と淡々と事実を述べるジーク。その視線の交差するところでは火花が散っていた。

「ああ、知っているとも!辺境の地、エッディフトの東の山脈に住む山岳地帯の山猿どもだ。その山猿の親玉の孫なのだろう?山猿の中でも一際野蛮な山猿の血を引いているということだ!」

「どちらが野蛮でしょうか。少なくとも相手に対しての礼節を知り、敬意を払える彼らの方がずっと人間としてできています。彼らは生まれで差別などしたりしない」

「わしの方が山猿よりも劣っていると言うのか‽」

「ウェンドの民は少なくとも相手を見下したりすることはないと言っているのです。あなたは、どうですか、子爵閣下」

 じっと見つめるジークは顔色一つ変えない。テーヌ子爵は視線で射殺しかねないような凶悪な目でジークを睨みつけている。

 二人の戦いに誰も口をはさめなかった。

「エッディフトの人質の分際で分をわきまえず、わしに口答えするとは……よほどこの王都にいたくないと見えるな、ジーク・ゼオライト」

 蜜茶色の瞳がわずかに揺れた。

 テーヌ子爵はそれを見逃さなかった。

「わしは宰相をなさっておられる宰相公爵閣下の補佐をしておる。わしが公爵のお耳に入れたなら、お前のような者、王都にはおれなくなるぞ」

「…………」

 ジークは眉根を寄せ、目を細める。

 王都にいられなくなったからといって、じゃあ帰ろと帰れるほど簡単な問題ではない。ジークはエッディフトの代表として来ているのだ、そのジークが王の不快を買ったとあっては、エッディフトの民の死活問題だ。

 もちろんゼオライト伯爵がやられたまま泣き寝入りなど考えられないし、子煩悩な伯爵がジークを守らないはずがない。

 それこそ伯爵家と王家の戦争になってしまう。

「そうだろう?せっかく上手く殿下に取り入ることができたのだからな」

「取り入るなど……」

「まったくうまくやったものだな。どうやってあの見る目の厳しい殿下のお眼鏡にかなったのか、お教えいただきたいものですな」

「…………」

 ジークは口をつぐんで、唇をかみ締める。

「テーヌ子爵、口が過ぎるぞ」

 見かねたティルトが口を挟むと、子爵は険しい表情をティルトに向ける。

「いいえ、殿下も今一度考え直されるべきです。あれだけエッディフトからの人員派遣をしぶっていたゼオライト伯が承諾した後はいやにあっさりと、しかも騎士になって日の浅い自身の次男をよこしたのですぞ」

「伯のしぶった気持ちはわからんでもない。それに、ジークを指名したのは、伯爵でなく議会の方だろう」

 秀麗な顔を歪めてティルトは心苦しそうに答える。

 子爵の言うとおり、エッディフトからの派遣は東の権力者に対する押さえのための事実上の人質だ。何かあったら、真っ先に命を奪われる、そんな役に自身の息子を差し出せと言われた伯爵の気持ちはいかばかりか。

 だがそんな裏事情を抜きにして、ティルトはジークを気に入っている。

 そう簡単に手放す気など毛頭ない。

 冷えた紅茶を飲み干して、ティルトはカップをソーサーに戻した。

「子爵は私の判断を疑っているのか」

 鋭く視線を向けて凄絶な笑みを浮かべるティルトに、テーヌ子爵は声を上げて笑い始めた。

 ひとしきり笑い終わった後、怪訝な顔のジークの肩をがっと掴む。

「つっ」

 ぐっと爪が食い込むほどに強く掴まれて、ジークが痛みに顔を歪める。

「任務は大成功だろう?」

「に、任務?何のことを……」

「当然お父上、ゼオライト伯から言われた任務ですよ」

「父さ……父から?」

 ジークは意味がわからなくて睫をしばたたく。

 父は最後までしぶっていた。持っている権力全てを使ってこれをはねつけようとしたのだ。

「子爵、子爵は勘違いをなさっております。今回の辞令、父は反対しておりました。父の反対を押し切ったのも、陛下へ返事を出したのも僕です」

 勝手なことをと父にも兄にも怒られた。

 でも、守られているばかりは嫌だったのだ。ジークだって大切な人たちを守ってあげたい、役に立ちたかったのだ。

 それがたとえ、二度とエッディフトには戻れなくなるかもしれないとしても。

 だがテーヌ子爵は鼻で笑った。

「うるわしき父子愛ですか。あくまでお父上をかばわれるのですね」

「いいえっ、本当に僕が……」

「これだけ忠実なら伯爵の犬の育て方というのはよほど上手いのでしょうね。ぜひともお聞きしたい。何と言っても全てが伯爵の思惑通りに動いているのですから。ねぇ。伯爵の間者殿?」

 思いがけない発言にジークが息をのんだとき、それまで口をはさむ間もなかった者たちの瞳が一様に細められる。


 

「父さんはそんなんじゃない!」

「ジークはそんなことしねぇよっ‼」


 

 この日、エセルヴァーナ史上初のもっとも大きな災害が王城をおそった。

 

 

               


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