第一話 第二騎士団 3.
「はい」 部屋の中から低い声で応えが返ってくる。 「あぁ」 扉の中から返事が返り、ジークは頭を抱える。 ティルトがそんなジークを呆れたようにちらりと見やって、ノブを回して扉を開ける。 扉の奥、執務机で書類に視線を落としていた男が来客に顔を上げる。 黒髪の男のかけた細い銀縁眼鏡の奥の黒い瞳がすっと細められる。落ち着いた雰囲気の生真面目そうな男だった。 黒い制服を完璧に着こなしている大人の男性を前に、ジークは憧れの眼差しでほうっとため息をつく。 「離れで迷子になっているようだったので、連れてきた」 明らかに年上であるにも関わらず、ティルトは敬意の「け」の字も払っていないような態度で切り出す。 「迷子って……」 それをとがめようかどうしようかと悩んでいたジークはあっさりとばらしたティルトを非難の目で見るが、ティルトはそれを難なくかわす。 「離れって、結構歩いたんだね」 横から声をかけられ、ジークはそっちを見上げる。 茶金髪の穏やかな青年がジークよりも濃い茶色の瞳で優しげに見つめている。優しげなこの青年も、剣を扱う第二騎士団の一員らしく、黒い制服を着ている。だがそれとは裏腹にその顔はニコニコと微笑んでいるので、ジークの緊張も少しほぐれる。 「そうなんですか?似たような場所が続いていたので、自分ではよくわからなかったんですが」 「王太子殿下の離宮は王城の奥だからね、かなり歩いているよ」 「王太子殿下の離宮?え、え、離れって……」 ジークはざぁっと血の気が引くのを感じた。 そんなところをうろちょろしていて、よく止められなかったと思う。 というか、今日から配属替えとはいえ、一般人がそんなところに易々と入れるのは、警備にも問題があると思う。 青を通り越して文字通り紙のように白くなってしまったジークの肩にティルトが手を置いた。 「何事もなかったんだし、気にするな。それよりあいさつあいさつ」 気にするなと言う方が無理な話だが「あいさつは人間関係の基本だ」ティルトの言葉に納得して、居住まいを正すと、ジークは黒髪の男に向かって敬礼した。 「第四騎士団エッディフト支部よりやって参りました、本日付で第二騎士団に配属となります、ジーク・ゼオライトと申します。若輩者ゆえいろいろと行き届かないところもございますが、よろしくご指導ください」 貴族の子弟が始めて騎士団に入れられるときに親から何度も練習させられたような口上を述べるジークを茶金髪の青年がくすくすと笑う。 黒髪の男は無言でうなずいた。 「俺は第二騎士団長のアルベルト・バーンズ。そこの優男が副長のユークリフト・ウェラキッシュ」 ニコニコ笑っている優しげな副長が軽く会釈する。 アルベルトの視線がすいっとティルトに移る。 「それで、あなたはあいさつなさったのですか?」 「名前は言ったぞ」 ティルトは自信満々だが、先ほどの二人の様子を見てだいたいどうなったのかがよくわかる。 「……そうですか」 小さく息をついたアルベルトは右手でティルトを示した。 「そこにおわす御方が俺たちが仕え、守るべき御方、王太子ティルティス・セルエスタ・エセルヴァーナ殿下だ」 そこ?嫌な予感がした。 なんとなく予想はついたが、ジークはアルベルトの視線を追っていく。 悪い予感ほど的中するものだ。敬うの「う」の字も見せずに接していた美しい少年が、小首をかしげながらジークを見上げていた。 「で、殿下。……数々の非礼をお許しください、殿―――」 「俺は、お前にティルトと呼べ、と言ったんだけどね」 「……畏れ多いことです」 眉根を寄せて、苦しげな表情でうつむくジークに、不愉快そうにティルトが眉間にしわを寄せる。 「ジーク……」 「殿下、ジークのことを気に入ったのはよくわかりました。お二人のときや我々と一緒のときは構いませんが、公の場ではジークのためにもお控えください」 アルベルトの視線が痛いほど突き刺さる。ティルトは嘆息した。 「わかっている。私はそこまで馬鹿じゃない」 コンコンとノックされ、アルベルトが「はい」と答えると、 「こちらに殿下はおられますか?」 かちゃりと扉を開けて入ってきた文官らしい男はティルトの姿を見つけてほっと胸をなでおろす。 「ああ、こちらにおられたのですか。 至急殿下にお目をお通しいただきたい書類がありますので、お部屋にお戻りください」 「ふむ、仕方がないな」 時間切れか、と肩をすくめるティルト。 「では後は任せたぞ、アルベルト」 「はい」 「ジーク」 すっかり感じの変わったティルトの様子に驚いて、ぽかんと口を開けていたジークは反応が遅れる。 「は、はい」 「一日も早くそなたがここの生活に慣れることを私は望んでいる」 「はい、努力いたします」 「期待している」 ティルトは大きくうなずいて、文官に促されて執務室を出て行く。 その後姿をぼんやりと見送っていたジークの肩にぽんと手を置かれる。 「驚くほどの変わり様だったかい?」 まだ驚きから抜け出せないでいるジークはのろのろと顔を上げる。ジーク自身、決して身長が低いわけではないが、ユークリフトは長身だった。 「でもあれが、もともとのティルティス殿下なんだ」 「え?」 「初めて会ったのは七年前だけれど、 始終あんな感じでね。今よりももっと接しにくい子だったよ。今ではだいぶ変わったけどね」 ねえ、ユークリフトがアルベルトに同意を求めるが、アルベルトはそれには答えずただ中指で眼鏡を押し上げた。 「俺たち第二騎士団の業務は第一に殿下の護衛だ。城の中及び外での警護は基本的に交代で行われる。そのうちお前にも回るだろう」 「第二騎士団は人数が少ないから、すぐ回ってくると思うよ」 ユークリフトがアルベルトの言葉に補足する。 「それから殿下が国内の視察や他国を訪問なさる際のお供をすることだ」 「殿下は視察が好きだから、よくお出かけになるからね」 微妙な顔をしたユークリフトが遠い目をする。 何か嫌な思い出でもあるのだろうか。 そんなことを考えていると、アルベルトがジークの気をひきつけるために咳払いをした。 「第二に近衛の仕事だ。緊急時は王都や王城警備にも借り出される。これはよほどのことがなければ回ってきたりはしないだろう」 「そうそう。ぼくらが近衛に入ってから十年くらいたつけれど、一度もないからね」 「騎士が借り出されないのは平和な証拠だ。平和であるに越したことはない」 アルベルトの眼鏡の奥の黒い瞳が細められ、和んだ気がしたので、ジークは思わず微笑んだ。 「はい、僕もそう思います」 平和なら、大切な人たちが傷つくことがないから。 アルベルトは釘を刺しておくことも忘れない。 「だが、だからと言って日頃の鍛錬を怠るな」 「はい」 ジークの返事にアルベルトは表情を変えずにうなずいた。 「ユークリフト、ジークに制服を」 「ああ、そうだね」 ユークリフトはアルベルトの執務机の斜め前にある少し小さな自分の机の上に置いてあった黒い制服一式を手に取った。 黒い制服は白い制服と並ぶ騎士たちの憧れ。 それを見事に着こなす二人の先輩の姿にジークも目を奪われていた。 「よく励むよう」 「がんばってくださいね」 アルベルトとユークリフト、それぞれの言葉を受け、「はい!」元気よく答える。 ユークリフトは微笑みながらジークに制服を渡す。 ジークはそれを恭しく受け取って、宝物のように大事そうに抱えた。
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