第六章 ドラゴンの瞳

 

4.

 

 リズリアの肩が震えている。

 手を伸ばしかけて、チェルトはやめた。泣き顔など、見られたくないだろう。

 感動に浸っているリズリアをそっとしておいて、チェルトは横になっている女王の肩を揺すった。

「しっかりして、姉さん」

「うっ……」

 女王がゆっくりと目を開ける。

 ゆるくまたたかれた瞳に、チェルトはほっと目元を和ませた。

「よかった、だいじょうぶ?気分はどう?」

「ここは、どこ?」

「王の私室だよ。あなたの部屋だ」

 女王はゆっくりと首をめぐらせて部屋を見回す。

「私……私、そういえば私、自分で話しているの?」

「そうだよ、姉さん」

「あなた……チェルト?」

「そうだよ」

「チェルト!」

 女王が身を起こしてぎゅっとチェルトに抱きついた。

 実の姉なのだと、グレースもチェルトも言っていた。嫉妬するなんて、ばかげている。理性の上ではそうわかっていても、気持ちの上ではなかなか割り切れない。

 恋なんて、そんなものだ。

 リズリアは痛む胸に気づかないフリをして、チェルトに微笑む。

「よかったね、チェルト」

 チェルトは首だけめぐらせ、リズリアを視界におさめる。

「ありがとう、リズ」

「私は、なんにもしてないんだけど」

「わざわざこうして来てくれたじゃないか。それに、きみのおかげでこうしてすべて丸く収まった」

「あはは……」

 かわいた声で、リズリアは笑った。

 なんというか、複雑な気持ちだ。

 心配していたのも本当だけれど、嫉妬して追ってきたなんて、言えない。

 女王はチェルトから腕を離し、チェルトの目をのぞきこむ。

「よかった、チェルト。よかった……ごめんね、約束守れなくて」

「ううん、いいんだ。心配かけて、一人で背負い込ませてごめん」

「いいえ。結局、あなたが背負い込むことになってしまったわ。私、見ていることしかできなかった。あなたを守りたいと思っていたのに、守れなかったわ」

「十分守ってくれたよ。本当に、ありがとう、アンジェラ」

 聞き捨てならない言葉に、リズリアは「うん?」首をかしげた。

「アンジェラ?」

 それはチェルトが愛している人の名前だったはずでは―――

「リズ、紹介するよ。このひとはアンジェラ。僕の、姉さんだ」

「アンジェラ……お姉さんだったの」

 リズリアは呆然としてつぶやく。

 勝手に勘違いして、勝手に嫉妬して、ホントバカみたいだ。

「チェルトのせいよ。まぎらわしい言い方をするから」

 一気に気の抜けたリズリアは、がっくりと肩を落とす。

 わかっていないチェルトは首をかしげた。

「どうしたの、リズ?」

「なんでもないの。私の早とちりだから」

《すまなんだな、アンジェラ》

 頭の中に声がひびく。

 グレースがすまなさそうに言った。

《そなたの意思を無視してやってきたこと、わらわも少し、反省しておる》

 アンジェラが顔を上げる。

「いいえ、氷の女王。わたくし一人であったなら、国はかたむいていたかもしれません」

 アンジェラは苦しげに顔をゆがめて、うつむいた。

 押しが強いあの大臣たちを抑えるためには、あのくらい厳しくなくてはしかたがなかったのかもしれない。自分ひとりだったなら、あの大臣たちに押されるばかりか、その上私欲を肥やそうというやからたちに囲まれ、国は食い潰されていたかもしれない。

「たしかに、厳しい判断も多くて、わたくしも心苦しい思いをしたこともありましたが、あなたのおかげで今も国は安定しております」

「そういえば、今の王は怖いけど、政治能力はあるって、聞いたことがあるわ」

 リズリアが思い出したことを口にする。

「でも、これからはチェルトがいるから、だいじょうぶ。わたくしも手伝うわ、だからいっしょに国を支えましょう、チェルト」

 アンジェラが微笑みながら言うと同時に、ばたばたと王の私室へと足音が近づいてきて、扉が勢いよく開けられた。

「リズ!」

 ルカとエリアが飛び込んでくる。

「ルカ、エリア!よかった、無事だったのね!」

「あったりまえだろ」

 リズリアが駆け寄ると、エリアが抱きついてきて、ルカがリズリアの頭をくしゃくしゃとなでる。

「リズこそ、ケガがなくてよかったよ」

「陛下!」

 フィリップが駆け込むと、アンジェラが目を和ませる。

「フィリップ、苦労をかけましたね」

「アンジェラさま?」

 コクリとうなずいたアンジェラに、ふらふらと近寄って、フィリップが彼女のそばでひざをついた。

「長い間、苦しんでおられるのを知りながら、お救いすることができなかったふがいない私をお許しください、我が君」

「わたくしのほうこそ、あなたには迷惑をかけましたね、フィリップ」

「いいえ、とんでもございません。陛下の力となるのが我が喜び」

「なんだよ和んじまってさ。ちょっと遅かったみたいか」

 困った顔でレオンが入ってきたことに気づき、リズリアがこぶしを振り上げる。

「レオン!あんたって奴は!」

「リズ、もういいよ。もう、エリアが叩いたから」

「えっ、エリアが!」

 レオンにぞっこんラブラブのエリアが。

 驚いた顔で見ると、エリアが大きくうなずいた。

「当たり前でしょ。リズを泣かせたんですもの」

 当然よ、とエリアはすまして答えた。

 アンジェラはレオンに顔を向けた。

「ガディアの方ですね。叔父様から?」

 レオンはその場でひざをついた。

「ガディア連邦捜査局のレオン・ロイスターと申します。ガディア大統領ヴィンセント閣下から手紙をあずかってまいりました、陛下」

「そう。叔父さま、約束を守ってくださったのね」

「いいえ、遅くなってしまいましたから、無効でしょう?守ったとはいえません。閣下なら、おそらくそうおっしゃられるでしょう」

「お手紙はお預かりしておきます。返事を出したいので、もう少し滞在してくださるかしら」

「ええ。お返事をいただいてから、帰還することになっております」

「アンタって、えらいやつだったのか」

 ルカが感心したようにつぶやく。

 立ち上がったレオンがにやりと口の端をあげる。

「そうだぞ、うやまえ」

「ば〜か。やなこった」

「ねえねえレオン、なんの手紙なの?」

 リズリアが訊ねると、

「守秘義務があんの」

 そっけなくレオンが答える。

「けちぃ」

「そういう問題じゃねぇの」

「よろしいのよ。過ぎたことですもの」

 アンジェラが穏やかに告げる。

「わたくしになにかあったとき、チェルトをおねがいしますと頼んでいたの」

「う〜ん、よくわかんないんだけど」

 首をかしげたリズリアにレオンがため息混じりに言う。

「だから、女王になにかがあったとき、チェルト殿下の身を守るためにガディアに身を寄せられるようにしてたんだよ」

 チェルトの後見人となってくれるよう、叔父に頼んでいたのだ。

 形だけの養子として、なにかがあったときチェルトを守れるように、そしてまた事態が収まったときにチェルトがリコルルに戻ってこられるように手紙を書いておいたのだ。

 それには、女王の直筆のサインが必要だった。

「え〜、それってレオンってばチェルトのこと知ってたの?」

「当然。あー、今までの無礼をお許しください、殿下」

 頭を下げたレオンにあわててチェルトが両手を振った。

「や、やめてよ、そんな。今までといっしょでいいんだ」

「でも、これからはチェルトといっしょですもの。せっかく力を尽くして下さろうとしていただいたけれど、必要なくなってしまったわね」

 笑顔を向ける姉に、チェルトは困ったように眉根を寄せる。

「そのことなんだけれど―――」

《まだならぬぞ、アンジェラ》

 グレースが当然とばかりに口をはさむ。

「どういうことですか?」

「うおっ!なんだ、頭の中で声がする!」

 レオンが驚いて声を上げたので、

「うるさいよ、レオン。まあ、詳しい話は後でしてあげる」

 リズリアがむりやり丸め込んだ。

《まだ国のチェルトを受け入れる準備が終わっておらぬ》

「ウィザード、だね」

 チェルトが言うと、そうじゃとグレースが言った。

《ここは、印象的で威厳ある登場をしてもらわねばならぬ。いくらそなたにわらわとの契約の証があっても、それだけでは信用してもらえぬやもしれぬからの》

「わかってます」

 彼らにとっては、ふってわいたような、もう一人の王子だ。

 しかも、先王の子の中で一番やりにくい相手―――チェルトを喜んで迎える者もいるだろうが、嫌がる者もいないはずはあるまい。

《特にそなたはウィザードじゃからの。ウィザードは害ではないと、しっかりと示してもらわねばならぬ。それが、国に住む、いや、大陸に住むウィザードたちを救うことともなる》

「では、その受け入れ態勢は……」

《わらわとそなたで行うぞ、アンジェラ。チェルトが凱旋できる準備を進めるのじゃ》

「今のウィザードって、まだまだ印象悪いもんね」

《そういうことじゃ、リズリアよ。まあ、後の細かいことはおいおい話すとして、わらわは疲れた。少し休ませてもらうぞ。やっとわらわのベッドが返ってきたのじゃからな》

 グレースはそれっきりだまりこむ。

 アンジェラが部屋の中にいる人々を見回す。

「みなさん、いろいろとご迷惑をおかけしたようです。今晩はささやかながら宴を用意いたしましょう。ゆっくり休んでください」

「アタシら、城の兵士たちをこてんぱんに伸した賊だけど、いいの?」

 ルカが皮肉げに言うと、アンジェラはふっと笑う。

「その辺はわたくしたちにお任せください。フィリップ」

「承知いたしております」

 さっと一礼してフィリップは部屋を出て行く。

 倒れた兵士の介抱から、そのほかにもいろいろとやらなければならないことがたくさんあるはずだ。

 事後処理で大変であろうフィリップの背中を、リズリアはぼんやりと見つめていた。

「フィリップさんって、大変ね」

「ひとのこと言えんの?アンタに振り回されてるアタシたちはどうなのさ?」

「え、なにそれなにそれどういう意味?」

「さあ、自分で考えなよ」

 ルカが頭の後ろで手を組みながら言う。

「ルカの意地悪!」

「部屋の準備ができたそうですから、みなさん、部屋でゆっくりなさってください」

 アンジェラが言うと、扉のところにメイドが一人立っていて一礼する。

「どうぞみなさま、こちらへ」

 メイドに先導されて、リズリアたちは部屋を出ていく。いっしょになって部屋を出ようとしたチェルトを、

「チェルト、あなたは残ってちょうだい。話しておかねばならないことがあるの」

 アンジェラが引き止める。

「うん、わかった」

 立ち止まったチェルトを振り返っていたリズリアに、チェルトは笑いかけた。

「リズ、じゃあ後でね」

「うん、後でね」

 後ろ髪を引かれる思いだったが、リズリアは困った顔のメイドが目に入ったので大人しく部屋を出て行った。

 その夜は、女王主催の盛大な晩餐会が行われた。

 主賓はもちろん、すでに廃れていた王者の儀式を行ったという女王の末弟、王太子とそれを助けた冒険者たちだった。

 王の重臣たちを驚かせたのは、今までただのウィザードだと思っていた者が、王の実弟であったという事実だ。

 王太子の手には、儀式の証である始祖王シャストの箱があり、リコルルの王族特有の金の双眸は、契約の証たる氷の女王の瞳が片目だけ備わっていたという。

 

          

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