第六章 ドラゴンの瞳


 

3.


 

「うん、ありがとう、リズ」

 リズリアを見上げたチェルトが、ふと柳眉をひそめた。

「リズ、なにを持ってるんだ?」

「え、なにって?」

「なにか、持ってない?」

「え、別になにも特別なものなんか持ってないけど」

 リズリアはふところをごそごそと探る。

 ジェムが四つ出てきたのと、こきたない小箱が出てきた。

「あ、そういえば入れっぱなしにしてたみたい」

 リズリアは取り出した小箱を見せた。

「ほら、ウィンドジェムを買ったときに、露天のおじさんからもらったのよ。開けると願いがかなうっていう箱らしいけど」

 チェルトが手を出してきたので、リズリアはその手の上に箱を置いた。

 チェルトはまじまじとその箱を見つめる。

「そんなにめずらしい?」

 どう見ても変色して茶色くなってしまったなんの変哲もないこきたない箱だ。

「どこにでもあると思うけど」

「その箱っ!」

 女王が突然声を上げて、リズリアはびっくりしてビクリと身を震わせた。

「え?」

「その箱、どこで手に入れたのじゃ?」

「だから、露天商からもらって……」

「露天商?」

「ええ。町の通りで店を広げているひとの店で、よ。買い物したら、くれたの」

「市井に……流れていたのか」

 女王は動揺のあまり瞳を揺らす。

 探しても探しても、見つからなかったのに。

 いや、探しても探しても見つからないはずだ。

「大事な、ものだったの?」

 女王はなにも言わなかったが、顔色ですぐにわかった。

 女王の顔は、遠く離れていた大切なひとを想っているような顔だった。

 リズリアはふとチェルトを見る。

 そして顔色を変えた。

「チェルトっ!」


 


 


 

 どさりと倒れた騎士を見下ろし、ルカはぱんぱんと手を払った。

「ふう。ひと段落ってか?」

「そのようね」

 あちこちに倒れた騎士たちや兵士たちが転がっている。

 気絶しているだけとはいえ、倒れた人間が見渡す限りいると、まさに馬車を襲ったときのように死屍累々という感じだ。

 今にしろ、あのときにしろ、殺してなんていないけど。

「それにしても、けっこうやったな」

「一仕事し終えたという感慨もひとしおね」

 エリアが言い終わると同時に、城の門から一人の男が堂々と歩いてくる。

 その手ににぎられた抜き身の剣に、ルカは笑みを浮かべた。

「まだ終わっていないみたいだぜ」

「……そのようね」

 エリアがばさりと髪をかきあげる。

 剣を持った青年、フィリップはあたりを見回す。

 ふっと小さなため息をもらした。

「たった二人を相手にこれだけいて、一矢も報えなかったのか。情けない限りだ」

「悪いね、アタシら強くって」

 全然悪びれずにルカがニヤリと口の端を上げた。

 そんな挑発をさらりと流し、

「腕に自信があるようだな。だが陛下の命は絶対。私に課せられたのは賊の退治。お相手しよう」

 フィリップは剣を構えた。

「へっ、おもしろいじゃないか」

「ルカ、油断してはダメよ。相手のほうがリーチが長いのよ?」

「わかってるよ!」

 ルカはだっと一気に間合いをつめ、フィリップに迫ると、フィリップが剣を横になぐ。

 ルカはそれを読んでいたらしく、全力疾走してきた足を急に止める。

 ルカの身体すれすれを剣がなぐ。

 フィリップの目がわずかに瞠られて、ルカはテンポをわずかにずらして長い足を振り回す。

 凶器で蹴り飛ばされながらも剣をふるったフィリップからルカは間合いをとった。

 一瞬のことだったので、いつもほど力の入らなかった蹴りだが、青年が小さくうめいた。

「本気できなよ。女だと甘く見てると痛い目にあうよ?」

 こぶしを突き出してルカは言い放った。

「ちょっとルカ、煽ってどうするのよ?」

「うるさいね、勝負の世界に手加減なんて許さないよ!」

 眉をひそめ、フィリップは剣を構えなおした。

「女性だと思い、甘く見ていたことは認めよう。全力でいかせてもらう」

「のぞむところだ、こい!」

 言って聞くような相手じゃなかった。

 エリアが額に手を当てると同時に、ルカとフィリップがぶつかり合う。

「お、もうやってるのかよ?」

 聞き覚えのあるのん気な声に、エリアは勢いよく振り返った。

「よお、エリア」

 気まずそうなレオンが、手を上げた。

「レオン!てめっ!」

 気づいたルカがレオンをちらちらと見る。

 気を散らしながら戦えるような相手ではないので、ルカはフィリップを見据えるが集中できない。

「くそっ!」

 しかしフィリップもまた、調子の狂ったルカの攻撃に戸惑い、二人は再び間をとった。

「てめっ、よくも騙したな!」

 ルカがレオンを見て怒鳴ると、エリアが無言でつかつかとレオンに近づく。

「エリア?」

「っ!」

 エリアがばっと手を振り上げて、ばしんっと小気味よい音をたててレオンをぶった。

 まさかレオンに好意を寄せているエリアが、レオンをぶつとは夢にも思っていなかったルカは目を丸くしている。

 レオンは避けることなく、エリアの平手を受けた。

「……ってぇ」

「リズを、泣かせた罰よ」

 震える声で告げるエリアの言葉を、レオンは無言で聞く。

「二度はないわ。次にやったら、絶対に許さない」

 うるんだ瞳でエリアがにらみつけられる。

 レオンは目をそらすことなく、エリアと目を合わせていた。

「悪かったよ」

「おい、アタシにも一発殴らせろ!」

「それは遠慮しとく。お前にマジで殴られたら、歯の数本は覚悟しなきゃなんねぇし」

「リズだけじゃない、エリアも泣かせたんだ。それくらいはあったり前だろ!」

「悪かったって!」

 レオンは両手を合わせてルカとエリアに頭を下げた。

 フィリップがそれを目を細めて眺めていた。

 レオンはふところから取り出した封筒をひらひらと振りながら、

「んで、朗報を持って来たんだけど、聞く?」

 満面の笑みでルカとエリアを交互に見つめた。


 


 


 

「チェルト?」

 リズリアはおどろいてチェルトの肩を揺さぶる。

 チェルトは箱を手にしたまま、ぼんやりと虚空を見つめている。

 作り物めいた黄金の瞳が強く光を放つ。

 なんの反応も示さないチェルトにリズリアは混乱を深めた。

「チェルト、チェルト、しっかりして!」

「祖先の意志を継ぎ、いにしえの誓約を交わさん」

 意外にもしっかりとした声音に、リズリアは声を失う。

 女王が顔を上げ、じっとチェルトを見つめる。

「我が名はチェルト・エルヌス・リコルル、我が祖たるシャストの血を引く者」

 チェルトの視線がふいに落ち、箱に注がれる。

 手に持っていたくすんだ茶色の箱は、チェルトの手が触れたところからまばゆくかがやく銀色に変わる。

「なっ……」

 リズリアが驚きに声を上げる。

 チェルトの顔が女王に向けられる。

 瞳は妖しいまでにかがやいていたが、その目には意思の光が宿っていた。

「ずっと、忘れていてごめん」

 チェルトの目が伏せられる。

 女王はゆっくりとチェルトに歩み寄る。

 害しようという意思は感じられない。女王とチェルトに気おされて、リズリアは身を引いて道を開けた。

「……永かった。わらわは、ずっとこの日を待っていたのに」

「箱と、ドラゴンの瞳、そして君がいて、初めてできるようにまじないがかけてあったんだ。だから、今までの王たちをどうか、うらまないでほしい」

「思い出してくれたから、いいのじゃ。わらわはこのまま、ずっと忘れ去られたままかと思っておった」

 チェルトが立ち上がり、箱を差し出す。

「我が意を見届け、正しき道へと導きたまえ。氷の女王、グレース」

 女王の身体からぱあっと光が放たれると、色とりどりの数え切れないほどのジェムが現れる。

「ななな、なにこれ!」

 リズリアは驚いて声を上げた。

 部屋に突如として現れたジェムは、宙に浮いたまま女王を取り巻いている。

 光が強くなっていき、まぶしくて目があけていられなくなり、リズリアは手で覆いながらも目をつむった。

 目を焼くようなきつい光ではなく、柔らかく包み込むような優しい光が部屋を照らし出す。

 光が収まり、リズリアはゆっくりと目を開ける。

 身体から力が抜けた女王を両腕で支えたチェルトが立っていた。

 宙に浮いたジェムたちが、二人を守るように囲んでいる。

 チェルトの顔がリズリアに向けられる。

「だいじょうぶ?リズ」

「だいじょうぶだけど、チェルトその目!」

 リズリアは思わず指をさしかけてあわてて手を引っ込めた。

 チェルトの右目は、分厚い永久凍土のような青色に変わっていた。

「な、なんで?」

「契約の証だよ。ほら」

 チェルトが取り出して見せた箱には、からみつく竜が彫り起こされた見事な細工が見て取れる。

 一見して高価なシロモノであると理解できる箱の緻密な竜の瞳に、あの金の宝珠が収められていた。

 にぶいかがやきだった金色は、きらきらと存在感を放つ黄金に変わっている。

 まるでさっきの妖しくかがやいていたチェルトの目のようだった。

「契約の証って、女王との?」

「うん、グレースとの。そして、ドラゴンの瞳との」

 はめ込まれた金の宝珠を優しくなでて箱を開けると、紅いクッション材に包まれて、美しい青い宝石が収められていた。女王のむねでかがやいていたあの宝石だ。

 さきほどよりも、鮮やかにかがやいている。

《人間の娘よ、わらわの名を聞いておったろう?名で呼ぶがよい。そなたには、特別に許そうぞ。そなたも、わらわを助けるのに一役買っておったからの》

 突然頭の中に声が響いてリズリアはびくっと身を震わせる。

「え、女王?」

《グレースじゃ》

「グレースね、わかったわ。じゃ、私も人間の娘じゃなくて、リズリアよ」

《よかろう。覚えてやるゆえ、ありがたく思え》

「あ、ありがと……」

 リズリアはひくひくと口元を引きつらせながらかろうじて口にした。

 チェルトはフタを閉じて箱をテーブルの上に置くと、女王の身をソファに身を横たえる。

 そして部屋を見回した。

「これをなんとかしなくてはね」

 まだ宙に浮いたジェムがリズリアとチェルトを取り巻いている。

「そうだね。みんなの命の源だもんね」

 チェルトが両手を広げると、ジェムが反応して光りだす。

「リズ、手伝ってくれる?」

「え?な、なにを?」

「これを、あるべき場所へ帰すんだ」

「かか、帰すって」

「人からジェムを取り出せるのは、選ばれたジェムマスター。戻すことができるのもまた、同じジェムマスターだよ」

 父が言っていたことを思い出した今は、それにうなずけるが。

「私、どうすればいいの?」

「リズ、だれにでも使えて、いちばん強力な魔法ってなんだか知ってる?」

 わからなくて困った顔をするリズリアに、チェルトが微笑む。

「強い想いだよ」

「強い想い……」

「願って、リズ。みんなを元に戻すために」

 リズリアは両手を合わせて目を閉じる。

 お世話になったひとたち。

 ならなかったひとたち。

 事件に巻き込まれたひとたちはたくさんいて、そこには大事なひとたちが含まれているから。

 みんなを元に戻したい。

 みんなでまた、笑って過ごせるように。

 リズリアの身体から光があふれ、ジェムを巻き込んで強くかがやく。

「グレースを、僕たちを守ってくれて、ありがとう。みんな、もういいんだよ」

 チェルトの優しい声がすると、ジェムがぱっと方々に散っていく。

 自分たちのあるべき場所に、帰るために。

 リズリアはゆっくりと目を開いた。

「ありがとう、リズ」

「ううん。私こそ、ありがとう」

 これで、父さんと母さんが目を覚ましているはず。

 私が、私たちが救えたのだ。

(父さん、母さん、私やったよ)

 これで、胸を張って故郷に帰れる。リズリアはこぼれ落ちそうになる涙をぬぐった。

 

          

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