第五章 氷の女王


 

4.


 

 ロワード村の広場の芝生の端には、古くて大きな木があった。

 そこは小さいときリズリアが大好きだった場所で、なにもしないときはあの木の下でいつまででも本を読んでいた。

 懐かしいロワード村の風景に、リズリアは目を細める。

 夢に見るのも久しぶりだし、小さなリズリアをこうしてみるような夢もめずらしい。

「リズリア」

 呼ばれて振り返ると、父がにこやかに笑いながら近づいてくる。

「父さま!」

 小さなリズリアが思わず立ち上がって父親に抱きついた。

「お帰りなさい!」

「ただいま」

 抱きついてくる娘に、苦笑しながら父親はリズリアの頭をくしゃくしゃとなでた。

「ほら、おみやげだよ」

 父がふところから黄緑色のきらきらかがやく宝石を取り出した。

「なぁに?」

「ジェムだよ」

「じぇむ?」

「そう、これはウィンドジェム。風の力が込められた魔法の宝石だよ」

「魔法の宝石?」

「そう。こうした魔法の宝石には三つの種類があってね、自然にできたものが天然宝石、ジェムマスターの中からさらに選ばれた者が自然の力を借りて作り出すものが人工宝石、そして永いときをかけてゆっくりゆっくり作られた特別な宝石を輝石というんだよ」

「う〜ん?」

「それはね―――」


 

 リズリアははっと目を覚ます。

 宿屋の天井が、目に入ってきた。

「すごい昔の夢だわ」

 無邪気に遊んでいられたころの、思い出だ。

 そんなことがあったことすら、このところ思い出すこともなかった。

 父が、母が教えてくれたことは数え切れないくらいにある。

 忘れてはいけないことが。

 リズリアはぱんぱんと両手で頬を叩いた。

「しっかりしろ、リズリア!」

 今日は、忙しくなる日だから。


 


 


 

 すがすがしい朝のひんやりとした空気に包まれて、太陽が薄いヴェールのような光でかがやいている。

 ふわぁぁと大きなあくびをして、兵士はあわてて口を押さえる。

「いけねっ」

 となりに立つ兵士がばしりと兵士の背をたたいた。

「おい、たのむぜ?しっかりしてくれよ」

「おう、悪いな」

「そんなことしているところを陛下に……いや、陛下の騎士たちに見つかってみろ。一発でこれだ」

 兵士は手で自分の首をちょんとやってみせる。

 一瞬で青くなって、男もうなずいた。

「そそそ、そうだな。いかんな」

「おれまで連帯責任になっちまう」

「陛下は厳しい方だからな」

「しっかり見張らないとな」

「そうされると、困るんだよ」

「え?」

 振り返る前に、ばきりと顔面にこぶしが入ってくる。

 吹っ飛ばされた兵士はくたりと力なくたおれこむ。

 もう一人にも首筋に手刀が入り、あっさりと昏倒させられる。

「悪いね」

 ルカがニヤリと笑いながら全然悪びれずに謝った。

 白昼どころか、早朝から堂々と少女たちは城へとやってきていた。

「あら、ちゃんと申しわけないっていう気持ちを持って言わなくてはダメよ?」

「アンタに言われたくないね。アタシたちの中でいちばん言いたい放題じゃないか」

 ルカははんっと鼻で笑う。

「そもそも困った王さまになんにも言えないやつらに言うようなもんじゃないんでね。言うべき相手ってのがあんだよ」

「まあ、言うわね」

「忠臣や賢臣ってのは、大事な主がまちがった方向に進まないようにいさめられるやつなんだよ」

「そうね。そうかもしれないわ」

「だろ?」

 ルカはふふんと胸を張った。

「言う人がいないなら、アタシたちが言ってやんなきゃな。アタシら、いちおうこの国の国民なわけだし」

「そうね。じゃ、派手にやりましょうか」


 


 


 

「侵入者らしい!」

「こんな朝っぱらから」

「度胸のある奴らめ」

「東門か」

「かなりやるらしいぞ」

「急げ、援軍を求めている」

 ばたばたと駆けて行く兵士たちが通り過ぎるのを見計らって、リズリアは柱の影からそっと身を乗り出す。

「ルカたち、派手にやってくれてるみたいね。私もがんばらなきゃ」

 リズリアは気合いを入れなおし、通路をひたすら走る。

 ルカたちが敵をひきつけてくれているおかげで、城の兵士たちはほとんど本来の持ち場にはいなかった。

 そのため、侵入も容易だ。

「ホント、ルカとエリアさまさまよね」

 角を曲がろうとして聞こえてきた足音に、通路に出かけたリズリアはあわてて足を止めて「おっとっと」壁際に寄る。

 背中を壁にぺたりとつけて、リズリアは息をひそめる。

 ちょうどそのすぐ後にばたばたと通路を兵士たちがまっすぐに走っていく。

 そのまま走っていたら見つかっていた。

「ふぅっ、あぶないあぶない」

 額をぬぐい、リズリアは息をついた。

「もっと注意しなくっちゃね」

 リズリアはそうつぶやいて、兵士たちの足音がしっかりと遠ざかってから通路に躍り出て城の奥へと走る。

 細い通路を突き進むと、広間の横道に出てくる。

 青いじゅうたんが敷きつめられた、王座の間に続く広間のような道を奥へと進み続ける。

 階段の上から一人の男が現れ、リズリアはあわてて足を止める。

「あら、予想外のひとがいるじゃない」

 チェルトを村まで迎えにやってきた、あのフィリップという男だ。

 できれば、会いたくない相手に会ってしまった。

 こればっかりはしかたがないだろう。会いたくないからといって会わなくていいというものでもない。

 金髪碧眼の青年は、階上から眉をひそめた。

「これはまた……」

「こんにちわぁ」

 ひらひらと手をふりながら、リズリアは必死で考える。

 ここを突破する方法を。

 腰に剣を佩いた青年は、身体をリズリアの方に向ける。立ち姿からはわずかなすきも見出せない。

 リズリアはごくりとのどを鳴らした。

 果たして、勝てるか。

「なぜ、来たんだ」

 すぐに構えるでもなく、フィリップが戸惑うような声音で訊ねる。

 リズリアは口角をきれいにつり上げる。

「なぜ?もちろん、チェルトを助けて、レオンに一発お返しするためよ」

「……たった、それだけのために、追ってきたというのか?この城まで」

 信じられないものでも見るような目で、フィリップがリズリアを凝視する。

「失礼ね、たったそれだけって、たいした理由じゃないの」

「それだけの理由で、あの方を敵に回すと?」

「怖いって評判の王サマのこと?あら、うわさだけじゃわからないでしょ。それに、恐怖政治ってのは、最後には倒されるって決まってるのよ」

「そんな軽い考えでは、あの方に近づくことすらできないぞ」

「立ちはだかるっていうなら、相手をするまでよ。私の目的は、あくまでもチェルトを助けることだもの」

 フィリップが考え込むようにうつむく。

 ほかごとに気をとられているように見えるが、リズリアに対しての警戒もおこたっていない。

(思ったとおり、デキるわね。やっかいだわ)

 口を一文字に結んで、リズリアは顔をしかめる。

 これをどうやって突破しようか。

 そう考えていると、フィリップが顔を上げる。

「本当に、チェルトさまをお助けするつもりがあるのか?」

「な、なに言ってるのよ。そのためにここまで来たんだもの、当たり前でしょ」

 わざわざ危険な陽動作戦をルカとエリアに任せているのだ。これで失敗したら自分で自分を許せない。

 フィリップがリズリアを見定めるようにじっと見る。

「なにがあっても、どんなことを知ったとしても、あきらめないと言えるのか?」

「当然。あきらめたことも、失敗したこともないのが自慢の、ジェムハンターですから」

 リズリアをじっと見つめていたフィリップはゆっくりとまたたいた。

「なれば、少し試してやろう」

「うっ、やっぱそうきたか」

 リズリアはジェムを取り出して身構える。

 ゆったりと段上から降りてきたフィリップは剣をすらりと抜いて、切っ先をリズリアに向ける。

 その姿には一分のすきもない。

(戦闘経験は向こうが上か。でもジェムマスター相手の経験はあまりないはず。私の方が剣士相手に戦ったのが多い)

 ぺろりとくちびるをなめて、リズリアはぐっと緑色のジェムをにぎりしめる。

「我が敵をからみとれ、アースジェム!」

 緑のジェムがカッとかがやき、城の手入れされた観葉植物からありえないつたのようなものが伸びる。

 しかしフィリップは難なくそれを斬り捨てる。斬り捨てられたつたが、茶色く変色して塵と消える

「なっ?魔剣!」

 ウィザードの使う魔術、ジェムマスターの使うジェムマジックは斬ることはできても、消すことはふつうはできない。

 リズリアはくちびるをかんだ。

「陛下の側近を勤めるのだから、これくらいはできないと話にならない」

 リコルル王はウィザードを集めていると聞く。ウィザードやジェムマスターの反抗も考えられているということか。

 うかつだった。

「さて、どうする?」

 フィリップにジェムマジックは効かない。

 かといって、リズリアには武術一般の技術はない。付け焼き刃が通じる相手でもない。

 だが、負けられない。

 この先に、チェルトがいるのだから。

「私はジェムマスターだもの。当然、ジェムで勝負するわよ」

 単発が効かないなら、組み合わせればいい。こういうときこそ、腕の見せ所だ。

 無言でフィリップが剣を構え走る。

「我に―――」

「させん」

 走り寄るフィリップの方が速くて、リズリアは蹴り飛ばされる。

「きゃあっ!」

 どさりと転がったリズリアの手からライトジェムがころころと手の届かないところまで転がっていってしまう。

 あわてて身を起こし、地の宝石を突き出すが、フィリップが剣をリズリアののどに突きつけるのと同時だった。

「貴女が呪文を唱えるよりも、私が剣を突き出すほうが速いが?」

「どうかしら?」

 恐怖がないはずはないだろうに、少女は口に笑みをはく。

 緑の瞳はこんなときなのに澄み切っている。

 この少女なら、このリコルルに、そして王に深く食い込んでいる呪縛を断ち切ってくれそうな気がする。

 平気で、かんたんにやってのけてくれそうな気がする。

 信じたい、不思議とそう思わせられる。

「わかりました」

 フィリップがため息をもらすようにつぶやいて、剣をにぎる手に力を入れる。

 リズリアは思いっきり後ろに跳び退る。少しでもダメージを減らすために。

 だがフィリップは剣を引き鞘に収める。

「陛下とチェルトさまはこの先、陛下の部屋におられます」

「え?」

 拍子抜けしたリズリアがすっとんきょうな声をあげる。

 敬愛し、忠誠を誓う主でなく、たった一回顔を合わせただけの少女のほうを信じたくなるなど、家臣にあるまじきことだろう。

 だが―――

「王座の間の奥に階段があります。中央の大扉が、陛下の部屋です」

「それって―――」

「お行きなさい、ジェムハンターの少女よ。きっと、あの方をお助けください」

 フィリップは通り過ぎざまに言葉を残す。

「心してかかられるがいい。陛下は私のように甘くはない」

 振り返ることなくそのまま歩み去って行く。

 見逃してくれた。

 そしてなにかをリズリアに託していった。

 それに応えなくてはならない。

「ありがとう、フィリップさん」

 その背に声をかけ、リズリアはじゅうたんの続く道を駆け抜ける。

 この先に、チェルトが、そして王がいる。

 

          

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