第五章 氷の女王


 

3.


 

 愛しいものと瓜二つの顔を持つ青年の身体から力が抜ける。

 その身体を支えながら王はくすりと笑う。

「まだまだ青いのう」

 生気を吸われて意識を失ったチェルトを抱きかかえ、王はその額にちゅっと口づけた。

 フィリップは顔をそむけた。

 視線を感じ視線を移すと、にやにやしながら男が部屋に入ってきていた。王は不機嫌そうに顔をしかめる。

「無粋なやつじゃ」

「いやぁ、とんでもないものを拝ませてもらいましたよ」

 ははあと両手を合わせて、茶目っ気たっぷりに茶色の瞳を王に向ける。

「それで、例の件のほうは?」

「せっかちなやつじゃな」

「もともとそういう性分なんで」

「フィリップ」

 言わずとも王の言いたいことのわかる側近は、王の腕からチェルトを受け取ると、ソファーに身体を横たえる。

 王は机の小引き出しの中から紙を取り出した。

「覚えていてくださって光栄ですね」

「催促しておいてよう言うわ」

 王は置かれていたペンを取り、さらさらとサインを施す。

 見せびらかすようにその紙をひらひらと振ってみせる。

「これで満足かえ?」

「ええ、もちろんですよ」

 王はしゅっとその紙をレオンのほうに投げてよこす。

 レオンははしっとそれを受け止めた。

「投げないでくださいよ」

「そなたにとっては、大切な書類じゃからな」

「ええ。もちろんですよ」

 大事そうにレオンはその紙をふところにしまいこんだ。

「その紙一枚で、そなたはこのリコルル貴族じゃ。怖ろしい男よの、貴族の地位のために仲間を売るとは」

「お褒めにいただき、光栄ですね」

「ふん。さっさと帰るがよい。わらわは忙しいのでな」

「陛下、そろそろ朝議の時間にございます」

 懐中時計を調べて、フィリップが告げる。

「もうそんな時間か」

 王は愛しそうに眠っているチェルトを見つめる。

 チェルトの目元を隠している前髪を指でそっとのけてやる。

 無垢な寝顔に微笑むと、きりりと顔を引き締め、

「行くぞ、フィリップ」

「はい」

 王はさっさと部屋を後にする。

 行く前にチラリとフィリップがレオンを見る。すいっと目を細めたレオンを確認し、そのまま王に従って出て行く。

 扉を出て行ったことを確認して、レオンはふところからさきほどの書類を取り出した。

「損な役回りだけど、ま、成功ってとこか」

 薄い紙にくいっと力を入れると、レオンの持っていた紙は重ね目がはずれ、二枚にきれいにわかれた。


 


 


 

 クッションを抱えて黙り込んでいるリズリアに目を向け、ルカははあっとため息をついている。

 エリアはというと、カードを広げたテーブルの上で突っ伏している。ときおり小刻みに肩が震えている。

 あれからずっとこの調子だ。

 このままではいけない。

 ルカは意を決してリズリアに声をかける。

「いつまでそうしてんの?」

 顔をクッションに押しつけて、リズリアはくぐもった声でつぶやく。

「アンジェラ、だって」

「は?」

「愛してるって」

「ああ」

 ルカはなにを言い出すのかと首をかしげる。

「自覚したと思ったのに、もう失恋だぁ」

 リズリアはクッションに顔をうめたまま、低くうなる。

どんな顔をしながら言っているのかわからなかった。

「なんだよ、アンタ。そんなんで悩んでるのか」

 ルカがあきれたように額に手を当てる。

 リズリアがばっと顔を上げる。

「そんなんじゃないもん。深刻だもん」

「深刻、ねぇ」

「気づいてすぐの大打撃、しかも撃沈だもん」

 自分の気持ちにやっと気づいて、これからこの気持ちを少しずつはぐくんでいくのだと思っていた矢先にこれだ。

 へこんでもへこみきれない。

 せめて、言ってみてもよかったかも。そう思うと同時に、言わなくてよかったとおもって安堵している自分がいる。

 こんなときなのに、自分の方がかわいいのかと思うと、自分で自分がいやになる。

「でもアンタ、実際にアイツに聞いたわけじゃないじゃん」

「そうだけど……」

「じゃ、ちがうかもしれないよ?」

「なにが、どうちがうのよ」

「だから、たとえば……そうだなぁ、親とか姉妹とか従姉妹とか幼馴染みとか」

「最後のほうは十分恋人になるじゃん」

 うっかり墓穴を掘った。

 ルカはカリカリと頭をかく。

「で、あきらめんの?」

「…………」

 リズリアがだまりこむ。

「私、信じない」

 それまで黙っていたエリアが唐突に口を開く。ルカは振り返った。

「なにをさ?」

「レオンさんのこと。きっと、なにか考えがあってやったのよ」

「なにか考えて、アタシたちをだまして、しびれ薬飲ませたって?」

「なにも考えがなくて、あんなことしないわ。ううん、できるはずがないわ」

 エリアやルカはともかく、本当に妹のようにリズリアのことをかわいがっていたのだ。

 それをあんなにかんたんに裏切れるとは思えない。

 エリアはテーブルに伏せていた身を起こす。

 その目は赤くはれている。

「そりゃ、短い付き合いじゃないから、アタシだって信じたくないってのはあるよ。けど さ、現実を見てみなよ」

 ルカが両手を広げる。

 現実に、レオンは見事裏切ってくれた。

 エリアがいっしょに買ってきたと言う言葉にあっさりとだまされてしまった。

「なにが目的かわかんないけど、アタシらを裏切ったのは事実だよ」

「でも、まだ私の占いは終わりじゃない」

 エリアの占いには、まだ協力者が残ってる。

「そりゃ……そうだけど……」

「その協力者が、きっとこの状況を打開してくれる」

 エリアが散らばったカードを片づけ始める。

「ちょっと、エリア?」

「私、行くわ」

「え?」

 エリアはカードを集めて、とんとんとそろえてふところにしまう。

「レオンさんを追うわ。あのひとを追えばきっと協力者が出てくるはず」

 ルカがなにか言いかけて口をつぐむ。

「私も、行く」

 リズリアがクッションから顔を上げる。

「私の気持ちはこんなんで負けるような気持ちじゃない。ルカの言うとおり、じかに聞いたわけじゃないしね。それに、レオンのやつは、一発殴ってやんないと気がすまないし」

「それには、アタシも賛成だ」

 ルカがばしっと手を打ちつける。

 この上なく小気味よい音がした。

 ルカは本気だ。

 エリアは口元をひきつらせた。

「ル、ルカ……あまり熱くならないでね」

「ああ、いたって冷静だね」

 エリアとリズリアを泣かせた罪は重い。

 レオンはもちろん、チェルト、アンタも許さないからね。

 ルカのふふふという低い笑い声に、エリアは底知れぬ不安を抱いていた。

「き、きちんと作戦を立てて行きましょうね。ね?」

 エリアが言うが、ルカもリズリアもすでに自分の世界に入っていて聞こえていない。

「城へ行きましょ!」

 一人、リズリアだけがルカの様子に気づいていなくて張り切っている。

このままでは二人ともこのまま城までつっこんで行ってしまいそうだ。

「ちょっと待って、二人とも。城に行くのはいいけれど、どうやって中に入るつもりなの?」

「そりゃもちろん、正面突破」

 ルカの猪突猛進な答えに、エリアはめまいを感じた。

「いくらなんでも、王城を正面突破はムリだと思うわ」

「そうか?」

 ルカがむうっとうなる。

 エリアもさすがにあきれた。

「もうちょっと考えてよ」

「じゃ、エリア、いつものおねがい?」

 元気を取り戻したリズリアがニッコリ笑う。

 エリアは苦笑して、片づけたばかりのカードを広げた。


 


 


 

 こつこつと足音をひびかせて、レオンは大きな館を歩いていた。

 他と同じなんのへんてつもないとびらを開くと、窓に向かって壮年の男が立っていた。

 がっしりとした机を背に、男は後ろ手に手を組んでいる。

「うぃっす」

 片手をあげて言うと、男がゆっくりと振り返る。

「おお、帰ったか」

「ええ。うらみにうらまれて、帰還っす」

「そう責めるな」

 男が苦笑する。

 レオンは男に歩み寄ると、ふところから女王からもらった書類を取り出す。

「これが、例の書類です」

 レオンから書類を受け取り、男はさっと目を通す。

「ふむ。よくやってくれた」

「まあね。なんといっても、おれですから」

 二枚の紙のうち、もう一枚を男がレオンに手渡す。

「こちらはおまえにやろう。あれだけ危険をおかさせたのだから、ついでに貴族になっておけ。せっかくあれがくれたのだろう?」

「おれにはそんなの、性にあいませんから」

 レオンは受け取った紙をビリビリと細かく破いて床にほうった。

 床に散った細切れの紙片を見て、男が目を細める。

「もったいないことを」

「おれは今の生活のほうが合ってるんです」

「おまえらしいよ、レオン。しかしこれで、やっとあの子との約束を守ることができそうだ」

 もう一枚の書類を見つめ、男は切なそうに目を細める。

「長いこと、かかってしまった。あの子に何度も頼まれていたというのに」

 なにかがあったら、頼みますと。

 何度も何度も、繰り返し頼み込んできた願いをかなえるのに、十四年もかかってしまった。

 そのせいであの子が必死で守ろうとしたものまで苦しめる結果となってしまった。

「ちゃんと仕事したんすから、おれにも休暇をくださいよ?」

「わかっておるよ」

 男は書類を丁寧にたたむと、用意していたもう一つの書類を取り出す。

「これがもう一つの書類だ」

 男はそれも丁寧にたたむと、二枚をきれいな封筒にしまいこむ。

 赤い蝋をたらして、それに指輪を押し付ける。

「頼んだよ」

 言わずともわかっているレオンは、大きくうなずいた。

「わかってますよ。ちゃんと届けてきます」

 レオンはそれを受け取って大事にふところにしまいこんだ。

 すぐにきびすを返す。

 そして思い出したように足を止め、もう一度振り返った。

「この仕事が終わったら、今度こそホントに絶対に休暇くださいね」

 

          

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