第四章 ウィザード

4.

 

 リズリアは人々の輪の方に視線を戻す。

 人垣の中に、ウィザードがいる。

「ウィザードっていうのは、ジェムマジックが効きにくい体質かしら?」

「まあ……多少は」

「前言ってた、属性によるってこと?」

 チェルトがうなずく。

「そ。でも、一般的に効きにくいのね?」

「普通の人に比べればだけど……」

「十分だわ」

 ニヤリと笑うリズリアに危険なものを感じて、チェルトは口元を引きつらせる。

「な、なにをするつもりなの?」

「ん〜、いいこと?」

 くちびるに人差し指を当てて、かわいらくしく小首をかしげる。

 だがチェルトには通用しなかった。

「リ、リズ、無謀なことはしないほうが……」

「だいじょうぶだいじょうぶ、私に任せなさいって」

「だから不安なんじゃ……」

 自信ありげなリズリアが胸を叩く。

「だいじょうぶだって。意外となんとかなるもんだわ。こういうことはね、なるようになるのよ」

 リズリアは言うと、チェルトの腕を引いて人垣に戻る。

「ねえリズ、本当にやめたほうがいいんじゃ……」

「なに言ってるの。あんなの見せられて、見捨てられないでしょ」

 棒を持った父親から男をかばうように女性が男に抱きついている。

「あんなふうに、身体全体で大好きって言ってるんじゃ余計にね」

 チェルトにも聞こえないくらいに小声でつぶやいて、リズリアはふところから透明なジェムを取り出す。

「チェルト、ある程度は覚悟してね?」

「え、ちょっと待って」

 チェルトのあわてた声が耳に入るが、さらりと聞き流して透明なジェムを右手の指にはさんだ。

「我に太陽を、ライトジェム!」

 カッと太陽よりもまぶしいかがやきが市場をのみこむ。

「うわっ!」

「な、なんだ?」

「め、目が……」

「なにも見えないぞ」

 人々が驚きにあちこちで声を張り上げる。

 目を閉じていたのに目がくらむほど強い光に、チェルトも頭を何度か振る。

「こっちよ、チェルト」

 まったく平気なリズリアはチェルトの腕を引いて人垣をすり抜ける。

 何度もまばたいていると、少しずつだが視界が戻ってくる。

「一人で歩けそう?」

「なんとか」

「じゃあ、任せるわ」

 リズリアはチェルトの腕を引いていた手を離すと、座り込んでいた青年と若い女の腕を引いて立ち上がらせる。

「立って、逃げるのよ」

「え?」

 困惑している女が聞き返す。

「とにかく立って。ここにいちゃいけないわ。こっちへ」

 リズリアは走って人垣を抜ける。

 何度かひとにぶつかったが、まだ闇の中でさまよっている人たちはあちこちのひとにぶつかっている。リズリア一人をいちいち気にかけている余裕はなさそうだった。

 驚き右往左往している人々の間を危うげなく走り抜けるリズリアは、人々と同様、目のくらんでいる青年と女を引っ張っていく。

 チェルトはなんとかその後を追っていく。

 市場を抜けて、家々の間を走り続ける。道を歩いている人が全力疾走する四人に怪訝に振り返るが、いちいち気にしている余裕はない。

「もうちょっとだから、がんばって、チェルト」

「う、うん」

 必死で追いかけるチェルトはこんなに走る機会はなかったのですでに息があがっていた。

 だがリズリアは息も乱さず走っていく。

 彼女ががんばっているのだから、自分もがんばらなければ。

 自分を叱咤して、足を動かす。

 町外れまで走り抜けたリズリアは、やっと足を止めた。

 女性と男からそっと手を離した。

「ここまでくれば、だいじょうぶでしょ」

 青年も若い女も荒い息をついている。

「リズは、本当に、足が速いね」

 追いつくどころか、追いかけるので精一杯だったチェルトは心のそこから感心して言った。

 リズリアは程よい運動で顔をほんのりと紅潮させながらニッコリ笑った。

「走るのは馴れてるからね。毎朝の習慣が、ほら、こういうときに役に立つでしょ?」

「その通りだ。僕も、運動しなくちゃって、思ったよ」

「やっておいて損はないわよ」

「あ、あの……」

 まだ息の整わない女性が、声をかけてくる。

 リズリアはひざに手をついて息も絶え絶えな女性に笑いながら答える。

「はい?」

「ありがとうございました。あのままだったら、私たち……」

「いいえ、気にしないで?ただのおせっかいなの」

 女性が前に折っていた身を起こす。

 そしてとなりに立つ青年に寄り添った。

「ありがとう、本当に」

 青年は息を切らせながらも、女性の肩に腕を回す。

「城に突き出されるところを助けてくださって、ありがとうございました」

「ウィザードなんですってね」

「ええ。彼女と離れ離れになるところでした。別れてしまうと、二度と会えなくなると聞いていたので」

「だから、あんなに身を挺してかばっていたのね」

 リズリアが言うと、女性が頬を染めてこくりとうなずいた。

「大好きなのね。あなたたち、お互いのこと」

 リズリアが確認するように言うと、二人は顔を見合わせる。

 お互いの瞳に二人が映っている。

 その瞳が、なによりも雄弁に語っていた。

「そう。助けてよかった。あなたたち、全部捨てて二人だけで初めからやっていく気はある?」

「そのために、二人で準備を進めていたんです」

「その前に、父にばれてしまって、あんなことになってしまいましたが」

「準備してたものもなにもないみたいだけど、二人だけでやっていける?」

「はい。二人いっしょですから」

 二人が声をそろえて言うと、リズリアは「そう」と言って、ふところから金貨を三枚取り出した。

 商人から値切ったジェムの残りだ。

「あいにくと、これだけしか持ち合わせがないのよ。でも、二人の門出に差し上げるわ」

「いいんですか?」

 金貨を前に、女性が金貨とリズリアを見比べている。

「ええ。私が余計な手出しをしたわけだしね。一文なしじゃ、困るじゃない」

「なにからなにまで、ありがとうございます」

 青年と女性とが深々と頭を下げる。

 リズリアは両手を振った。

「いいのいいの。私は私のために、やったことだからね」

 何度も何度も頭を下げて、二人は寄り添いながら街道を歩いていった。

 その後ろ姿が見えなくなるまで、リズリアは街道に立っていた。

「いいの?リズ」

 チェルトがちらりと視線をよこすと、リズリアはふふっと小さく笑った。

「かわいいじゃない、あの二人」

「洞窟のジェムを売って手に入れたお金なんでしょう?」

「いいのよ、ちょっとくらい。しっかりしてるルカのことだもん、どうせあたしが使いすぎないように財布から必要最低限のお金は抜いてるんだから」

 それも一行の財務担当のルカの仕事だ。

 小さくため息を漏らし、

「リズって、本当に、お人よしなんだね」

 苦笑しながらチェルトが言った。

 そんなチェルトをリズリアが振り返る。

「あら、いまごろわかったの?」

「いや、よりいっそう、考えを深めたというのかな」

「でもね、言ったでしょ?これは、私のためにやったのよ」

「リズのためにって、なにがリズのためになるんだ?」

「いいことすると、めぐりめぐって自分のところに戻ってくるんだって」

 それが、情けは人のためならず。自分のためにするものだということだ。

「本当にそう思ってるの?そうとは限らないんじゃない?」

「考え方しだいよ。それにね、それだけじゃなくて、これは私の賭けかな」

「賭け?」

 意味がつかめず、チェルトが首をかしげる。

「あのひとたちを助けて、あのひとたちは私におせっかいなとか、余計なことをって言うかどうか、私と私の賭け」

「……勝ったの?」

「あのひとたち、うれしそうだったでしょ?」

「そう……だね」

「でさ、これで証明になる?」

「え?」

 聞き返すと、リズリアはむっとしてくちびるを尖らせる。

「さっきチェルトが言ったんじゃない。怖がられて、嫌われて、追いやられるしかないって。ウィザードは幸せにはなれないって」

「…………」

「あの女の人、ウィザード嫌ってた?怖がってた?あの二人、幸せそうには見えなかった?」

「……なかには、例外もあるよ」

「疑り深いね、チェルトも。エリアは?ルカは?私は?」

 リズリアは深く息を吸い込む。

 そんなに動きまくらなくてもいいのにと思いながら胸に手をあて心臓を押さえる。

(ああ、そっか)

 なんでいつもどきどきするのか。

 こっちを向いて欲しいといつも思っているのに、なぜ目が合うとそわそわしちゃって、目をあわせていられないのか。

 うれしいのに、なんとなく苦しい。

 なんでこんな気持ちになるのか。

 なんでチェルトのことがずっと気になっていたのかが、よくわかった。

(私、チェルトのこと、好きなんだ)

 顔が熱い。

 これだけ不自然なリズリアを見ていても、顔色一つ変えないこのひとは、ニブちんっぽいからきっと気付かないだろう。

 だから気にすることないのに。

 〈あの言葉〉くらいじゃ気がつかないから心配することないのに。

 でも気になってしまう。

 いつもなら気にせず口にできるのに、こういう場合に限ってなぜかひどく勇気のいる〈あの言葉〉を口にのせた。

「私たち、チェルトのこと好きよ?」

「…………」

「私はあの二人、幸せになれると思うよ?月並みな言葉だけど、だから、元気を出して?」

 月並みだけど、そのぶん心はこもってるから。

 同じ言葉を使うひとたちよりも、ずっとずっと強く想ってるから。

 気づいてほしい。

 でも、気づかないでほしい。

 相反する気持ちを持ちながら見上げるリズリアに、

「……リズには負けるなぁ」

 小さなため息とともに、チェルトが困ったように笑った。

 やっぱり気がつかなかったか。

(でも、まあいいや)

 心配しているっていうことは、伝わったみたいだから。

 リズリアははにかみながら微笑む。

 視線を合わせていられなくて、照れて視線をそらす。

 ごまかすように胸を張った。

「負け知らずのリズリアさまだもん。賭けに勝てるのはあたりまえなの。こう見えて、私たち《グロリアス》は勝率高いジェムハンターなのよ」

「勝率?」

「ジェムハントの勝率。勝ちは成功、負けは失敗」

「なるほど」

「そゆこと。だから、負けないもん」

 太陽がリズリアの顔を赤く照らし、町の向こうに消えつつある。

「もうこんな時間になっちゃったのね」

「遅いって、心配してるかな?」

「また無駄遣いしてるんじゃないかって、きっとお金のほうを心配してるわ。ルカもエリアも現実的だもん」

 女の子なのにムダ遣いのないルカやエリアのほうが不思議でならない。

「買い物楽しいのに」

 ムダ遣いしたくなる気持ちをわかってほしいのに。

 チェルトがくすっと笑う。

「帰ろうか?みんなが待ってるよ」

「そうね。ま、また買い物くらいできるもんね。また来ようね?」

「そうだね」

「あ、せっかく荷物もちに来てくれたのに、あんまり買わなかった」

 損した〜と頭を抱えて嘆いているリズリアをほほえましそうに見つめながら、チェルトは宿への道を歩き出す。

 沈み行く太陽が町をオレンジ色に染め上げる。

 燃えるように赤い空を漆黒のカラスが一羽、飛んでいった。

 

          

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