第四章 ウィザード

3.


 

 リズリアは複雑な面持ちで通りを歩いていく。

 あのジェムは買いたたけたから、満足している。あの質に対して、かなり値切れたと思う。

 しかし―――ついでにいらないものまで引き取らされてしまった。

 しぶしぶ受け取った箱を手の上でぽんぽんともてあそぶ。

「いらないって言ったのに」

 おじさんもしぶとく引き下がらなくて、負けてしまった。

 あの根性には敬服する。

「さすが、商人だわ」

 負けるだけでなく、必ずどこかで勝ちを得ている。

「そういえば、私ったら、チェルトのことほったらかしにしちゃったわ」

 いまさらながらに思い出して、リズリアは通りを歩く人々を注意深く見回す。

 行きかう人々の中にはチェルトのすがたは見当たらない。

「目立つ服着てるからすぐ見つかると思うんだけど」

 ふと視界にあの民族衣装が映った気がして、リズリアはそっちに顔を向ける。

 噴水のあがっている広場の、噴水の縁にぼんやりとしたチェルトが腰かけている。

「あ、いたぁ」

 リズリアは口元に笑みを浮かべて、走っていく。

 ベンチに座った明るい顔の人々と対照的に、どこか夢の中をただよっているような覇気のない表情にリズリアはわずかに眉をひそめる。

「チェルト?」

 ひどくのろのろと首をめぐらせて、チェルトの金の双眸がやっとリズリアをとらえる。

「リズ……」

「もしかして、ひとに酔った?それとも、私が置いてったりしたから、怒ってる?」

「…………」

 リズリアの声すら遠いことのように聞いているのか、チェルトはゆっくりとまたたく。

 そして緩慢に首を横に振った。

「ちがうよ。酔ってないし、怒ってないよ」

「そ、そう?」

 反応の遅いチェルトに、リズリアは戸惑う。

「でもさ、なんかチェルト、変だよ?」

「……変、かな?」

「うん」

 リズリアはちょこんとチェルトのとなりに座る。

 下からチェルトをのぞき込んで、リズリアは視線を合わせる。

「あのね、もしもなにか悩んでることがあるんだったら、言ってね?」

「…………」

「一人で悩むと、ぐるぐるって同じことを考えちゃったり、深刻になりすぎちゃったりするんだって。みんなで考えてみればすごくいい考えが浮かんだりするし、自分じゃ思いもつかないような面から考え直させてくれるものだよ。だからね」

 言葉を切って、リズリアは息を吸い込む。

 言いたいことをわかってほしい。

 伝わってほしいと思う。

 とても心配しているのだということが。

「言いたくなったら、言ってね?いつでも、いっしょに考えるから」

「…………」

 リズリアの優しい言葉が、重く沈んでいた心を浮かび上がらせていく。

 心からの思いは、ひとを癒せる。

 軽くなっていく気持ちを感じて、チェルトは目を閉じる。

 心配してくれているのはわかった。

 ずっと、リズリアは気遣うような表情をしていたから。

 チェルトはゆっくりと目を開ける。

「ありがとう、リズ」

 いつもの穏やかな表情に戻ったチェルトに安心したようにリズリアはほっと息をついた。

「よかった。いつものチェルトに戻ったみたい」

「心配かけて、ごめんね」

「いいのいいの。心配はかけさせるためにあるんだし。そのために仲間がいるんでしょ」

「そっか」

「そゆこと」

 リズリアはふんっと胸を張ると、立ち上がってチェルトの腕を引いた。

「ね、チェルトはまだあんまり見回ってないでしょ、もう少し歩こうよ?」

「……そうだね」

 リズリアに引っ張られ、チェルトも立ち上がる。

「ね、行こう?」

 歩き出すリズリアの少し後ろを、チェルトはほんの少し距離を持ってついていく。

「この町は広いね」

 ここに来てから思っていたことを、チェルトは口にする。

 歩いても歩いても、市場がとぎれない。

 家はどこにあるのだろうと思うくらい、店がたくさんつらなっている。

「そりゃあ、王都の近くだからね。このくらいの広さはどの町もあるんだよ。都市群って言われるくらいだしね」

 リズリアが笑いながら言うが、笑顔の戻ったチェルトの顔がふいに曇る。

「そのことなんだけど……」

「なんのこと?」

「リズ、どうして、この町に来たんだ?」

「え?」

 思わず立ち止まると、後ろを歩いていたひとが背にぶつかってくる。

「あ、ごめんなさい」

 リズリアがあわててあやまるが、ぶつかった男が嫌そうに顔をしかめながらそのまま通りすぎていく。

 またぶつからないよう、リズリアは人々の足のスピードに合わせて歩き出す。

「ねえチェルト、どういうこと?」

「僕が、乗っていた馬車のこと、知らないっていうことはないだろう?」

 言わんとすることに思い当たって、リズリアはあいまいにうなずいた。

「ああ、うん、そうね」

「王都に近づいたら、そのぶん危険が増すとは思わなかったの?」

 チェルトは深刻な顔をして訊ねる。

 リズリアはぱちぱちとまばたいた。

「思わなかったよ?」

「え、どうして?」

「じゃあ聞くけど、チェルトはなんで危険だと思うわけ?」

 きり返してくるリズリアから、チェルトはそっと視線をそらした。

「……いまは、僕が質問してると思うんだけど」

「うん。だから私も質問し返してるの。私は危険だなんて思ってなかった。なんでチェルトはそんなこと思ってるの?」

「それは……」

 自分がふった話だから、言わなければならない。

 でも、言いたくない。

 知ってほしくない。

 どこかでそう思っている自分がいる。

「それは?」

 リズリアが澄んだ緑色の瞳で見上げてくる。

 うそが、つけない。

 チェルトは苦しげに眉を寄せる。

「それは……」

 チェルトの言葉をさえぎって、派手に音をたてて、近くの店の扉が開かれた。

 若い男が一人、勢いよく飛び出てきて地面にしりもちをついた。

 続いて棒を振り回す壮年の男を、若い女が後ろからはがいじめにして止めようとしている。

「やめて、やめてよっ!」

「突き出してやる!」

 女の必死の力で、なんとか男を引きずって青年から引き離す。

 市場の人々が集まって円を描いて彼らをかこんでいた。

 ざわざわと人々がざわめいている。

「なにかしら?」

 すぐ近くで起こっていることに、リズリアの意識がそちらに向けられる。

 チェルトはそんなことにほっと安堵の息をついてしまう。

「やめて、おねがい父さん」

 娘が棒を振り上げる父親を止めているらしい。

 父親はぶんぶんと首を振る。

「こいつをかばってどうなる!陛下に突き出すべきだろう!」

「いや、おねがい!」

「ウィザードなんぞ!」

 ビクリとチェルトが大きく身を震わせた。

 リズリアの目が細められる。

「ウィザードだって?」

「あのうわさの……」

「摩訶不思議な術を使うっていう……」

「ジェムなしでジェムマジックを使うんだろう?」

「いや、おれたちに害をなすっていうやつらだろ」

「人間が困るさまを見るのが好きなやつらか」

 人々がひそひそと口々に言いはやす。

 それまで好奇心丸出しだった人々の視線は、地面に座り込んでいる青年をとがめるような敵意の視線に変わる。

 リズリアはその変化に戸惑ってあたりを見回す。

「なになに、なにを言ってるの?」

「リズ、こっちへ」

 チェルトがリズリアの腕を引いて人の輪から離れる。

「ちょ、ちょっと、チェルト?」

 人垣から十分に離れてから、チェルトはリズリアの腕を離した。

「彼らには関わらないほうがいい」

「なにを言ってるの?」

 リズリアは信じられないものでも見るような目で、チェルトを見上げる。

 チェルトがそんなことを言うなんて、信じられなかった。

「陛下に突き出せ!」

「ウィザードを町に放すな!」

「我らの正しい世界のために!」

 人々の雄たけびのような声が市場の一角でひびく。

 さきほどの女性の悲鳴が聞こえてくる。

 リズリアは反射的に振り返る。

「リズ」

 静かな声で、チェルトが呼んだ。

 名を呼ぶ声にリズリアはチェルトを見上げる。

「僕らを、ウィザードを取り巻いているのは、こういう目なんだよ」

「チェルト……」

「陛下は、ウィザードがおきらいなんだ。城にウィザードを集めるのも、おきらいなものを目の届く所に置いておかれたいんだよ」

 いつ、なにが起こってもすぐに対処できるように。

 いざ起こったときに、仲間内でなんとかできるように、飼いならしておきたいのだから。

「全然恵まれてなんかない。自然の恵みなんかじゃないんだ。怖がられて、きらわれて、追いやられるしかない。ウィザードには、幸せなんてないんだよ」

 嫌っているとは言え、結局受け入れてくれるのは王だけなのだ。

 王のこの政策が続いたせいで、ただでさえあまりいい印象のなかったウィザードに、いまや人々は敵意しか向けてはくれない。

 だから、最後には城しか行くところがなくなる。

「城なら、同じウィザードがいるから―――」

「傷をなめあえるの?」

「っ!」

 チェルトの瞳が怒りに燃える。

 リズリアは静寂に包まれた森のような瞳で、チェルトを見上げていた。

「ねえ。それで幸せだったの?」

「…………」

「チェルトは城にいるとき、幸せだった?」

「それは……」

 清すぎる瞳に耐えられなくて、チェルトは顔をそむける。

「あのとき、森で初めてあなたに会ったとき、あなたは救いを求めているように見えた。だれかが腕を引いて、助けてくれるのを待っているように見えたわ」

「救いなんか……」

「求めてない?でもね、少なくとも、私には見えたの。助けてって、心が叫んでいるように」

 捨てられた子供のような、すがるような目をしていると思った。

 拒絶されるのが怖いから、自分からは言いだせないのだと思った。

 放っておけなかったのだ。

 リズリアは人の輪のほうに目を向ける。

「私は昔からおせっかいだってよく言われるわ。見捨てられない性格なの。それで怒られることも何度もあったけど」

 リズリアがなつかしそうにつぶやく。

「そんなの、リズが損じゃないか」

 気をまわして、怒られるなんて。

「人それぞれ考えがちがうもの。いやがるひとだっているわ。いいの、結局はみんな、自己満足でしょ?私もそうなの。私がいやだから、やりたいの」

 ニッコリ笑うリズリアに、怒気をそがれてチェルトは目をまたたかせた。

 

          

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