第四章 ウィザード
2.
市場はものすごい人だった。
店だけでなく、露天もたくさん出ていて、あちこちから威勢のよい売り文句が飛ばされている。
生まれて初めて見る光景に、チェルトは足がすくんで立ち止まる。
「な、なんかすごいね」
「この町は王都に向かう商人が立ち寄るところだからね、いつもこんな感じなんだ」
「リズは前にも来たことあるの?」
「ええ。この町には何回かね。チェルトは?」
「僕は、初めて。こんなにたくさんの人を見るのは初めてだよ」
「チェルトの生まれ故郷は辺境の村なんだっけ。そうしたらこんなにたくさんのひとはなかなか見る機会がないわね」
「村にも商人はときどき寄りに来たよ。だけどこんなにたくさん来ることはありえないでしょ?」
「そりゃそうだね」
「それに村には店もあまりないから」
一軒しかないわけではなかったが、数えるほどだったのはたしかだ。
「うちの村もそうだったよ。この町は大きいからね。じゃ、チェルトは初市場?」
「そうなるかな」
「じゃあ私が案内するよ!おもしろいものいっぱいあるんだよ?」
「じゃあ、おねがいしようかな」
「うんうん、任せてよ」
リズリアははりきって市場に足を踏み入れる。
あちこちの店の果物や品を一つ一つ教えながら大通りを進んでいく。
「あれは南のほうで採れる果物で、あっちは北の工芸品。そっちは連邦の名産品だよ」
おいしそうな色とりどりの果物や、手縫いのししゅうの施された鮮やかな布など、目を引くものがあちこちに飾られている。
たくさんの人々が足を止めるのもうなずける話だ。
「へぇ。あちこちからいっぱい集まってるんだね」
「交通の要所だもん。王都に行くには、ここを通るひとも多いわけだからね」
あちこちに視線をさまよわせながら市場を見ていたリズリアの目がきらりとかがやく。
「あ〜!」
となりのチェルトがびくっと身を震わせる。
「どうしたの?」
「ジェムだ!」
リズリアが駆けていく。
「あっ、ちょっとリズ!」
置いていかれたらチェルトにはなすすべがない。
あわてて声をかけたが、ジェムに気をとられたリズリアの耳には入らなかったようだ。
またたく間に人ごみに消えるリズリアに、チェルトはため息をついた。
「案内してくれるんじゃなかったのか?」
人ごみをすり抜けて、リズリアは露天商が広げているジェムの前にやってくる。
「やあ、お嬢さん。どうだい、見ていかないかい?」
ジェムを売っているおじさんがにこにこしながら話しかけてくる。
「向こうから見えたから、見に来たのよ」
「そうかい。ゆっくり見て行ってくんな」
おじさんはあれこれ話しかけて邪魔をするつもりはないらしい。いすに座ったままぷかぷかとパイプから煙を出している。
リズリアは全てのジェムに目を走らせる。
(やっぱりジェムは露天に限るわ)
店を構えて売っているところよりも安いのがウリだ。
そのぶんまがい物も多いが、ひっかからなければ得をする。
ときおり掘り出し物が入っているのも、露天の良いところだ。
リズリアの目が、一つのジェムの上で止まる。
「おじさん、これ……」
「おっ、嬢ちゃんは目が高いな。それは昨日入ったばかりのウィンドジェムだよ」
リズリアはそれを手にとって見定める。
黄緑色のジェムは、美しくカットされたブローチだ。
細工されていない自然のものを好むリズリアとしてはあまり目をつけないものだが、いつになく目を引かれた。
「きれいなカットだろう?有名なジェム細工師がやったものなんだ」
おじさんがにこにこしながら言う。
日にかざすと、見る角度でキラキラと微妙に色合いが変わる。
有名なジェム細工師が加工したというのは本当かもしれない。
ふれていると心地よい風が身体を吹き抜けるような気がする。
「たしかに、質もいいし、文句ないわ」
「だろう?いい品だよ?どうだい?」
リズリアがまじめくさった顔でおじさんを上目遣いに見上げる。
「いくら?」
「金貨十枚」
リズリアは眉をひそめる。
金貨二枚であの宿屋で一週間過ごせる。
ジェムを買おうと思うと、金貨五枚は出さねばならない。
ちなみに、洞窟のアイスジェムは金貨二十五枚だった。
ジェムマジックの効かないキメラが守るくらいだ、当然だろう。
にしても、ちょっと高い。
「高いわ」
「これだけの品だ、安いもんだよ」
「金貨四枚」
「そりゃわしに飢え死にしろって言ってるようなもんだよ」
「だいたい、有名なジェム細工師って言ってるけど、だれのことか言ってないじゃない」
リズリアが言うと、うっとおじさんがつまる。
いかにもしぶしぶといったかんじで、おじさんは答えた。
「トルワ・マグナールだよ」
「最近ちょっと名のあがってきたジェム細工師ね。まだ有名なって言えるほどのひとじゃないわ」
「嬢ちゃんにゃ負けるなぁ。八枚」
「五枚よ」
「じゃあ、これもつけて七枚だ」
おじさんは足元に置いたバッグから小さな箱を取り出す。
もとは銀色らしい名残があるが、すっかり茶色に変色している。
リズリアはいやそうに顔をしかめる。
「なぁに、そのこきたない箱?」
「なんでも、開けると願いがかなうっていう箱らしいよ」
「うそくさいなぁ」
「うそだと思ったら、開けてみればいいよ?」
リズリアはおじさんの持っている箱を受け取って、上から下からためつすがめつ凝視する。
なんのへんてつもない、ただのきたない箱にしか見えない。
というよりむしろ、なんだか呪われそうな怪しいにおいがプンプンだ。
「いらないよぉ」
「このジェムといっしょにもらったからね。オマケでつけるよ」
どうにもゴミを処分したいらしい。
返そうとするが、リズリアに押しつけるように箱を押し戻す。
「そう言わずに。本当に願いがかなったらもうけものだろう?」
「そう言って、おじさんがそれをなんとか手放したいだけでしょ?」
「さ、どうする?それといっしょならジェムを金貨七枚にしてあげるよ?」
「う〜」
人ごみの中、なんとか進みながらチェルトはきょろきょろと市場を見回す。
ぶつからないように進むのは至難の業だと思う。
「なんでみんな、ぶつからないんだろう」
さきほどからぼこぼこひとにぶつかるので、嫌な顔をされっぱなしだ。
いつまでもこんなところにいたら、ひとに酔ってしまいそうだ。
正直、宿屋までも帰れるかどうか自信がない。
ここはおとなしく、リズリアと合流する方法を考えなければならなさそうだ。
「にしても、どこに行っちゃったのかな」
あれからひとの波にそって進んでいるのに、いっこうにリズリアが見つからない。
「消えたわけでもあるまいし、おかしいな」
これでも目が悪いわけではない。
見つからないはずがないのに、見つからない。
そんなに遠くのジェム売りの露天を見つけられるなんて、リズリアはエリアたちに聞いていたよりも筋金入りのジェムマニアだろう。
それほどに市場はひとが多くて、チェルトは難儀していた。
「困ったなぁ」
どうにかしたいが、どうしようもない。
人ごみのすき間の向こうに、噴水のあがる広場が見えた。
「あ、あそこなら見通しがいいかもしれない」
見通しがよかったら、きっとリズリアのほうが見つけてくれるだろう。
土地に不慣れな自分が探し回るよりも、勝手知ったるリズリアが探したほうが効率がいいはずだ。迷子になる可能性も少ない。
「あそこで待ってよう」
チェルトは広場に向かって歩き出す。
「兄ちゃん兄ちゃん!」
ぐいっと肩をつかまれて、チェルトは驚いて振り返る。
「はい?」
肩から大きなかばんをさげたふくよかな男がにこにこしながら声をかけてきた。
「兄ちゃんのその服、森の民って言われるエンフェスの民の民族衣装だろう?」
久しぶりに聞く名に、チェルトは戸惑いながらうなずいた。
「ええ。そうですが」
「そうか!やっぱりな!おれは何度かあの村にも商売しに行ったから。見間違いじゃなかったか」
商人らしい男はうんうんと納得したようにうなずいて、上から下までじろじろとチェルトを眺め回す。
村のことを知っている。
村のことが聞ける。
いても立ってもいられなくなって、チェルトが口を開く前に男が訊ねる。
「どこで買ったんだ、それ?エンフェスの民の集落か?それともどこかの市場でか?」
「え?」
「なあなあ、教えてくれよ?いや、それよりもさ、それ売ってくれないか?」
男のギラギラした目にぞくりと震える。
なんなのだろう、この男は。
村のことを聞きたいという気持ちよりも、じわじわと広がる恐怖が勝っていく。
恐怖を感じてチェルトは逃げるように走り出そうとする。
だが商人のほうがいち早くそれに感づいて、チェルトの腕を引いた。
「待ってくれよ。なあ、頼むよ?金貨十枚、いや十五枚出すよ。足りないか?十八枚でもいいぞ?」
「やめてください、売るつもりはないです」
母が作ってくれた服だ。
故郷とのつながりは、これしかないのに。
売るなんてもってのほかだ。
しかし商人も引き下がるつもりは毛頭ないらしい。
「そりゃそうだろうな。じゃあ、金貨二十枚出してもいい。いまやすごいプレミアものだからな。収集趣味のある金持ちはどれだけ金を積んでもほしがるものだ。なんせ、二度と手に入らないものだし」
聞き捨てならない言葉が聞こえて、チェルトは聞き返す。
「二度と手に入らない?」
「ああ。七年前に、エンフェスの民は滅亡しちまったからな」
チェルトは周りの音が凍りつくのを聞いた気がした。
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