第三章 勇気のあり方
 

3.


 

「なにこれ……」

 リズリアは戻ってきたイェル村で、呆然としながらつぶやいた。

 夕暮れ時でオレンジ色に染められた村は、しぃんと静まり返っている。

 夕飯の用意をする時間帯、家々からあがるはずの煙は一つとしてあがっていない。

 のどかだった村は行く前とは大きく変わっていた。

 鳥の声も、虫の声もせず、人々の穏やかな笑い声もしない。

 その上、村のあちこちに人々が倒れている。

 まるでこの村の時間だけが、突然止まったようだ。

「なんなんだよ、これ……」

 ルカも驚いてきょろきょろと村を見回している。

 エリアは眉根を寄せながら、注意深く倒れている人に近寄って行き、彼らの首元に手を当てる。

「死んではいないわ」

 エリアはぺちぺちと頬をたたくが、まったく反応しない。

 深い呼吸をしながら、人々はただただ眠っている。

 死んだように眠っている村人に、リズリアは真っ青になる。

「これって……ロワード事件の?」

「眠り病ってやつか!」

 ルカはちらりとリズリアを見て、くやしそうにぐっとこぶしを固める。

「ちょっと起きてる人がいないか、探してくる」

「あ、ルカ!」

 エリアが呼び止めるが、ルカは走っていってしまう。

「もう、気になったら一直線に突き進んでしまうんだから」

 エリアがあきれたようにつぶやいて、振り返る。

 真っ青になって立ち尽くしているリズリアの肩に気遣わしげに手を置く。

「だいじょうぶ、リズ?」

「……へ、平気よ」

 真っ青を通り越して、真っ白になっているリズリアは見ているほうが痛々しいくらいだ。

 エリアは後ろで戸惑っているチェルトの腕を引いた。

「エ、エリアさん?」

「リズを、お願い」

 真剣な光を宿す夜色の瞳に、チェルトも真剣な顔でうなずいた。

「わかった」

「私はルカを」

 エリアはチェルトにうなずいて、ルカの後を追って行った。

 チェルトは小刻みに震えているリズリアに声をかけた。

「だいじょうぶかい、リズ?」

 ゆっくりと、ぎこちなく首をめぐらせて、リズリアは色のない顔でチェルトを見上げる。

「だいじょうぶ……じゃない……かも」

「リズ……」

「どうしよう……どうしよう、チェルト!私、私はどうすればいいの?」

 リズリアはチェルトに向き直る。チェルトの服の胸元を、もともと白い手がさらに真っ白になるまで強くにぎりしめる。

「どうしよう、どうしよう……」

 悪夢にうなされているように焦点の合わない目で、どうしようとくり返す。

 リズリアからはふだんの元気さも明るさもかけらも見えない。

 すっかり動転して、狂ったようにどうしようとくり返す。

 チェルトはリズリアの肩を抱いて、いつもよりも意識して穏やかな声音で言った。

「落ち着いて、リズ」

「だって、だって、今朝までみんな元気にしてたのに!」

「まだそうと決まったわけじゃないよ。それに、ルカさんとエリアさんが見に行ってくれてるから」

 言ってる自分でも、気休めにもならないと思った。

 チェルトだって初めて見る光景だが、呆然とするひまもない。

 自分が戸惑っていても、自分よりも取り乱している人がいると、自然と落ち着くのは本当だなと心から思った。

 リズリアはふるふると力なく首を振る。

「いや……いやだよぉ、また私だけ置いてかれちゃう……」

 リズリアの大きな緑色の瞳から、大粒の透明なしずくがぽろぽろとこぼれた。

「あのときみたいに、父さまと母さまに置いてかれちゃう!」

「しっかりするんだ、リズ!」

 ぎゅっとチェルトがリズリアの背に腕を回す。

 きゅうに抱きすくめられ、リズリアは息をのんだ。

「リズ、ここはイェル村だ。ロワード村じゃない」

「イェル村……ロワード村じゃない……」

 チェルトの言うことをただくり返すリズリアの目をのぞき込んで、チェルトは目元を和ませた。

「リズは置いてかれたりしない。ルカさんもエリアさんも、僕もいるじゃないか。リズは一人じゃない」

「…………」

 ゆっくりと目を閉じて、リズリアはチェルトの胸に顔を押し付ける。

 今までも弱いところは、だれにも見せたことなんてなかった。

 こんな弱いところを、見せたくない。

 せめて、顔だけでも。

「私、一人じゃないよね?」

「ああ」

 あのとき―――ロワード事件が起こったとき、ちょうど村を出ていたから、リズリアはかろうじて難を逃れた。

 帰った村で迎えてくれるはずだった父と母は、そして村の人たちはだれ一人としてリズリアを迎えてはくれなかった。

 音のない村で、どれだけ泣きじゃくってもただ独りだった。

 半年では、まだ乗り越えられていない。

 だが、ここにはぬくもりがある。

 心配してくれるルカもエリアもいるし、ここで抱きしめながらいっしょにいてくれるチェルトもいる。

 独りじゃない。

 それが、こんなにも安心感を与えてくれるものだとは思いもしなかった。

 リズリアの呼吸が落ち着きを取り戻し、身体の震えが収まっていく。

「もう、だいじょうぶだろう?」

 チェルトは落ち着きを取り戻したリズリアから、腕を離そうとする。

 離れていくチェルトの服に、リズリアはしがみついた。

「お願い、もうちょっとだけ……」

 泣いている顔は、見られたくない。

 そう思ったリズリアの気持ちが通じたのかどうかはわからなかったが、チェルトは無言でその背を優しくとんとんとたたいた。

「うわっ、なんだこれ?」

 突然男の声がして、チェルトはそちらに顔を向ける。

 声をかけられるまで、まったく気配が感じられなかった。

 肩にくたびれた袋をかついだ、旅なれた様子の茶髪の男は、

「すげぇ光景」

 不謹慎にもぴゅうっと口笛を鳴らす。

 男の出現にぱちぱちとまばたいているチェルトにチョコレート色の目を向けた。

「んで、こんな村の中で、アンタらのん気に抱き合ってる場合じゃないだろ?」

「は、はぁ」

 今ひとつ状況のつかめないチェルトが生返事を返すと、リズリアが顔を上げた。

「うるさいわね、だれよ!」

 わずかに赤くなった目でキッとにらみつけると、

「あれ、リズじゃないか」

 男はにこやかに笑いながら近寄ってくる。

「レ、レオン?」

 リズリアが驚いた顔をして、男を見上げる。

 人懐っこそうな男はリズリアの肩をばんばんたたいた。

「でかくなったなぁ」

「でかくって、前に会ったの三ヶ月くらい前なだけじゃない。おかしいわよ」

「そうか?じゃ、きれいになったなってほうがいいのか」

「そんなの私に聞かないでよ」

 顔をしかめたリズリアの顔をのぞきこんで、レオンが目を細める。

「あれ、なんだよ、目が赤いじゃん。もしかして泣いてたのか?」

「んなわけないでしょ!」

「そうかぁ?」

 レオンがニヤニヤと笑うので、リズリアはさりげなく足を踏み出してレオンの足を踏みつけた。

「いてっ!いって〜」

「自業自得よ」

 レオンは踏まれた足を押さえながら片足でぴょんこぴょんこと飛び跳ねる。

 そんな二人にあっけに取られて、チェルトはぽかんとしながら見ている。

 リズリアははっと我に返って、チェルトからそっと離れた。

「ごめんね、チェルト。ありがとう」

「いいや。それはかまわないけど」

 チラリとチェルトの視線がレオンに向けられる。

 リズリアはレオンをゆびさした。

「このひとは、私の幼馴染みで、レオンっていうの」

「指さすなよな。あ、初めまして。俺はレオン。レオン・ロイスターってんだ」

 レオンがすっと手を差し出したので、チェルトも反射的に手を差し出した。

「僕はチェルト・エンフェス」

「へぇ。チェルト。いい名前だな」

「それは、どうも」

 あいさつ代わりに言われた言葉に、チェルトもさらりと流す。レオンはリズリアに顔を向けた。

「にしても、こんなとこでなにしてんだ?」

「ジェムハントして、戻ってきたらこんなんになってたのよ」

「はぁん。なるほどね」

 レオンが村を見回す。

「こりゃまた、眠り病か」

「そうみたい」

「で、リズのことだからまたつまらん考えでも考えてたんだろ」

「つまらん考えってなによ」

「そりゃ、私がこの村に来たからとか、私だけまた助かってしまったとかさ」

「……そんなに、うぬぼれてないわ」

「そう?ならいいけどよ」

 レオンが頭をかりかりかく。

 幼馴染みにはまるでお見通しなのがくやしくて、リズリアは知らないふりを通した。

「まいったよ……ホントにだれも起きてないね」

 ルカたちが通りの向こうから帰ってくる。

「ルカ!」

「よっ!」

 レオンが片手を上げる。

 レオンに気づいて、エリアがものすごい勢いで走ってくる。

「レオンさん」

「よっ、エリアちゃん。元気してた?」

「はい。レオンさんこそ、お元気でしたか?」

「おう。この通り、ぴんぴんしてるぜ」

 どんっと胸をたたいてレオンが笑う。

 エリアはレオンを前に、頬を染めながら微笑んでいる。

 おとなしくて淡々としているエリアの変わりように、チェルトは目を丸くした。

 リズリアは小声で耳打ちする。

「エリアはね、レオンのことが好きなのよ」

「そうなの?」

「びっくりしたでしょ?」

「うん。エリアさんはあんまり表情豊かとは思わなかったから」

「職業上ね、あのほうが神秘的なんだってさ」

「そうなんだ」

 そんな話が二人の間でされているとはつゆ知らず、エリアはレオンを見上げてぽーっとしている。

 レオンはゆっくりと歩み寄ってくるルカに顔を向けた。

「お前も元気そうじゃん、ルカ」

「当然だろ。アンタはあいかわらずムダに元気みたいだな」

「ルカもあいかわらずかわいげのない」

「アンタにかわいくしたってしかたないじゃないか」

「それもそうだな」

 レオンがあっさりと納得する。

「ところでルカ。だれも、起きてなかった?」

 リズリアは不安そうに訊ねる。

 ルカが辛そうに眉根を寄せた。

「ああ。残念だけどね」

「そっか……そうだよね」

 リズリアが長いまつげを伏せる。

 明るい緑色の瞳がかげりを帯びる。

 静まり返った村を吹き抜ける風は、まるですすり泣いているかのようだ。

 すでに太陽は山の向こうに消えかけている。

 藍色に染まった空には、まばらに星もかがやき始めている。

「なあ。ここでこうしていてもはじまんねぇし、ここは一つ、宿屋に勝手に泊めてもらわねぇ?」

 だまりこむ面々に、レオンがことさら明るく言う。

「アンタね、よくそんなことが言えるね」

 ルカが眉間にしわを寄せる。

「だってそうだろ?お代はテーブルにでも置いときゃいいだろ。今からとなりの町まで行くとしたら、とてもじゃねぇけど今夜中にはたどり着けねぇし」

「野宿になっちまう、ってことね」

「そういうことだ。ここにはとりあえず寝床も食い物もあるわけだから、金さえ払えばいいんじゃねぇ?」

「でも、レオンさん」

 エリアがちらちらとリズリアに視線を送る。

 リズリアの故郷もまたこの村のようになっている。

 リズリアの気持ちを思うと、簡単には決められない。

「エリアちゃんの気持ちもわかるよ。村はこんな状態だし、寝にくいだろうこともな。でもな、今夜強行するよりも、明日の朝、となり町まで行ったほうが安全だとおれは思う。特に、ハントしてきたばかりなんだろ?」

 エリアも文句が言えなくて、口をつぐんだ。

 たしかにジェムハントをしてきたばかりだから、疲れていないとはいえない。

 こんな状態で夜間移動を強行しては、むしろ支障をきたすかもしれない。

「私はだいじょうぶだから」

「リズ」

 リズリアがはっきりとした声で答える。

 さきほどよりはいくぶん顔色がよくなっていた。

「村の宿屋さんには申しわけないけど、泊めてもらいましょう」

「リズが、いいなら」

「私も、賛成だわ」

 ルカもエリアも特に文句はない。

 レオンがくるりと振り返り、チェルトに視線で問う。

「あ、僕は別に文句ないです」

 もともと、文句が言えるような立場ではない。

「そ?じゃ、決まりだな。手伝えよ、おまえら。村人たち、てきとうに家の中に運んでやんねぇとな」

 さっさと意見をまとめると、レオンはずんずんと村を進んでいく。

「なんでアイツが取り仕切ってるかねぇ」

 ルカが不満そうにつぶやいて、のそのそと歩き出す。

 エリアは軽い足取りでレオンを追っていくと、レオンのとなりに並んで歩いていく。

 立ち止まっているリズリアがムリしているように見えて、思わずチェルトは声をかけていた。

「本当にだいじょうぶ?」

「うん。だいじょうぶ」

 そこで言葉を切って、リズリアはチェルトを上目遣いに見上げる。

「ねえ、チェルト」

「なに?」

「もしも……」

「うん?」

 チェルトはいつもどおりの穏やかな声音で訊ねてくる。

 リズリアはさっと視線をそらす。

 恥ずかしそうに顔を伏せて、

「やっぱりなんでもないわ。そうそう、レオンを手伝わなくっちゃね」

 リズリアはきびすを返して走っていく。

 もしも、ダメそうになったら、また頼ってもいい?

 そんな、自分に似合いそうにない言葉は、口が裂けても言えない。

 のどまで出かかった言葉を、リズリアはなんとかのみこんで宿屋に走った。

 冷たい夜風が肌寒いはずなのに、風呂あがりのように身体は芯から熱かった。

          

C) Copyright Yuu Mizuki  2005-2008.  All  rights  reserved.