第三章 勇気のあり方
2.
チェルトは横合いからジャンプしてリズリアごと地面に倒れる。
ゆっくりと流れる景色に、リズリアはほんんの一瞬のことが永遠のように感じられた。
キメラの大きなあぎとが、一瞬前までリズリアの立っていたところをかすめた。
どさりと地面に倒れこむと同時に、
「チェルト!」
リズリアは自分を守るように覆いかぶさるチェルトを呼んだ。
チェルトに邪魔されたキメラは地面に着地すると、すばやく身をひるがえす。
しかし突然のことにリズリアもチェルトもまだ体勢を立て直せない。
ふたたび飛びかかろうとしたキメラの鼻先をひゅっとなにかがかすめて、キメラはすばやく飛びすさった。
がきっと音を立てて、固い岩の地面にきらりと光るなにかが突き刺さる。
さっと目を走らせたリズリアの視界に、トランプカードが入った。
「一人でなぁに楽しんでんだい?」
勝気な声に、リズリアは安堵のため息とともに声をもらした。
「ルカ……」
腰に手を当てて、ルカがニヤリと笑う。
「助けたのは私ということを、お忘れなく」
エリアがカードをかまえたまま、リズリアを安心させるように微笑んだ。
「エリアも……よかった、二人とも無事で」
「アンタは、あんまり無事そうにないね」
「見ての通りよ」
チェルトを上に乗せて転がったまま、リズリアは軽く肩をすくめる。
ルカが片目をつむってみせる。
「あ〜あ〜、やだねぇ、昼間っからさぁ」
「ななな、なに言ってるのよ、ルカったら」
「いちゃついてるヒマがあったら、さっさと倒しておけばよかったのにってことさ」
「い、いちゃついてなんかないもん!」
リズリアは顔を真っ赤にして怒鳴った。
ルカはからかうようについっと流し目をよこす。
「ふうん?そう?」
「そ、そうに決まってるでしょ!」
「ルカ、さっさと倒してジェムをいただきましょう」
エリアが冷静な声で告げる。
「それもそうだね」
「ちょっと、まだ私の話は―――」
「あー、はいはい。あとでゆっくり聞いてやるよ。それより、こいつを倒すのが先だろ?」
「そ、そりゃそうだけど……」
「リズが苦労してんだ、どうせ、ジェムの効かない相手なんだろ?」
「…………」
リズリアは反論できなくて、だまりこむ。
ルカはグローブをはめると、ばしっと両手を合わせた。
「だったら、アタシとエリアの出番ってワケだ」
「そういうことね」
エリアもカードを構える。
エリアの得意なのは投剣よりも、カードのほうだ。
ただの紙切れと思うなかれ。
エリアの投げるカードは、岩をも切り裂けるジェムマジックの込められたカードだ。
意気込み十分なルカとエリアを見て、リズリアはふうっと息をついた。
「今回は、任せるわ」
「最初から、素直にそう言やいいのさ」
ルカがにやりと笑ってキメラに向かって走る。
ルカとエリア、二人がいればなんてことない相手だろう。
ほっと一息ついて、自分をかばってくれたチェルトの肩をとんとんと軽くたたく。
「チェルト、チェルト」
呼びかけると、ピクリと身を震わせ、チェルトがゆっくりと顔を上げた。
「だいじょうぶ、チェルト?」
ぼんやりとどこか現実を見ていないようなまなざしに、リズリアは緑色の瞳を揺らす。
「リズ……ケガは?」
「平気。チェルトのおかげだね」
ニコッと笑うと、チェルトが安心したようにきゅっとリズリアを抱きしめる。
「よかった……」
「つっ」
顔をしかめるリズリアにはっとして、チェルトは身を離す。
右腕の裂傷に、あちこち細かな切り傷が目立つ。
キメラと対峙していたときのものだ。
チェルトの柳眉が苦しげに寄った。
「ごめん、気がつかなくて」
「いいの。これくらい平気よ。こんなのかすり傷だし」
「かすり傷じゃないよ。こんなに血が出てるじゃないか」
チェルトはリズリアの傷をあちこち確かめながら、さわりそうになって手を引っ込める。
まるで自分がケガをしているかのように、痛そうな顔をする。
「だいじょうぶ。これくらい平気だから」
「リズは、癒しのジェムは持っているの?」
「ケガしてもそのうち治るもの。だから持ってないわ」
ヒールジェムは比較的、人々に望まれやすいジェムだ。
必要とする人間も多いし、なにより使用回数が多いため壊れやすい。
「それに、ヒールジェムは高いから」
需要が高いのに対し、なかなかできるものでもない。
供給が追いついていないのが現状だ。
「リズは、無茶ばかりだね」
チェルトが苦笑して、そっとリズリアの右腕を取った。
痛みにわずかに顔をしかめる。
「チェルト……痛い」
「ちょっとがまんして」
チェルトの真剣な声に、リズリアはおしだまる。
左手でリズリアの腕を取ってチェルトは右手をかざす。
チェルトの右手が黄金の光をともし、リズリアの腕に金色の柔らかな光が吸い込まれていく。
「あたたかい……」
リズリアの身の内に優しくて強い力が入ってくる。
ケガをしたことがないわけではない。
ときにはひどいケガを受け、病院に行ってヒールジェムを使ってもらったこともある。
だがそれとはなんだかちがうような気がする。
早すぎない、ゆったりとした穏やかな流れの中、リズリアはゆっくりと息をはき出す。
夢の中のようにふわふわとして、このまま身を任せたいくらいに心地よかった。
「力のコントロール、苦手なんじゃなかったっけ?」
からかうように言うと、チェルトは苦笑した。
「リズが教えてくれたんじゃないか」
「私が?」
「正しい方向に、程よく力を入れるんでしょ?」
「あ……」
ビンのふたを開けていたとき、そんな話をしていた気がする。
「要領、いいじゃない」
「先生がいいのかもね。これでよしっと」
くすっと笑って、チェルトは手を離した。
リズリアの右腕には傷の跡も残っていない。
身体中についていたあちこちの小さな傷も、きれいさっぱり消えている。
「チェルトって、すごいのね」
「これでも、ウィザードだから」
「ありがとう。チェルト」
「……僕のほうこそ、なにもできなくて、ごめん。こんなに、ケガをさせてしまって」
辛そうに眉根を寄せる。
リズリアの手が、自然に上がってチェルトのほおにふれるかふれないかの瞬間―――キメラの苦しそうな断末魔が聞こえてきた。
リズリアはあわてて手を引っ込めると、ばっと後ろを振り返る。
キメラの身体が黒い珠のようなものに吸い込まれたかと思うと、しゅんっと消えうせた。
「ふんっ、たいしたことないね」
ルカが手を握ったり広げたりしながらつまらなさそうに言った。
「いいじゃないの。苦労が少ないと、楽だもの」
エリアは台座に近づいて、青く光るアイスジェムを手に取った。
「アイスジェム、いただき」
「あっ、私の落としたジェムは……」
リズリアはエリアを見て思い出し、きょろきょろとあたりを見回す。
そして両手で頭を抱えた。
「ひぃっ、踏みつぶされてる〜!」
きらきらと赤と黄緑色の破片が、洞窟の明かりに反射して光っていた。
ルカがあきれたように目を細めて、腕を組んだ。
「ほっといたのか?ま、当然だろ。すぐ拾わなかったのか?」
「そんな余裕なかったの!」
「落っことしたのもリズだろ?じゃ、自業自得じゃないか」
「いやぁ、私のジェムがぁっ!」
「しかたないじゃないの。またどこかで手に入れるしかなさそうね」
リズリアは両手で抱えた頭をいやいやというようにぶんぶん振る。ちょっとかわいそうな目でエリアが見ている。
ルカがさっさと歩き出す。
「あきらめんだな。さ、このアイスジェムを金に換えてこようぜ」
「ううぅぅ」
「そんなとこで泣いてたってしかたないだろ。さっさとこのジェムを金に換えて、うまいもんでも食って忘れるんだな」
「忘れらんないよ!」
なみだ目で見上げるリズリアの肩を、ルカがとんとんとたたいた。
「泣くな泣くな。とにかくこんな辛気臭いところとはおさらばしようよ。あ〜、動いたら腹減ってくるわ」
「ルカぁ」
「そんなことしていても、元には戻らないんだからあきらめなさい。さ、イェル村に換金しに戻りましょう」
「エリアまで……」
さっさと行ってしまうルカを、エリアが追っていく。
リズリアはぺたりと座り込んでいたが、気遣うようなチェルトの視線に気力をふりしぼって立ち上がった。
「私たちも行きましょう。たしかに、ここにこれ以上いてもしかたないし」
「う、うん」
リズリアはやり場のない怒りに肩を震わせてずんずんと突き進む。
チェルトは立ち止まり、台座をチラリと振り返る。
さきほどのあれは、魔法生物だ。だからあれには死はない。
生きてもいなくて、死んでもいないもの。
心を痛める必要は、ないはず。
でも―――心のどこかに引っかかる。
救えるはずなのではないか、と。
「チェルトー、早くー!」
リズリアが呼んでいる。
気持ちを吹っ切るように首を振って、チェルトは三人を追った。
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