第二章 洞窟の魔物
4.
持ってきていたかばんから、リズリアはビン詰めにされたマヨネーズと、ふくろに包まれたパンを取り出した。
パンには、ハムときゅうりもはさまれている。
「お昼にしましょ。はい、どうぞ」
ふくろにはいったパンを手渡す。
「ありがとう」
「あ〜、おなかすいたぁ」
リズリアはひざの上に包まれたパンを置いて、マヨネーズのビンを取った。
「ふんっ!」
右手で力いっぱいビンのふたを回し、左手でぐっとビンを支える。
ぎゅっと回そうとするが、固く閉められたビンのふたが開かない。
「うぐぐぐ……」
思いっきり力を入れてみるが、ふたはびくともしない。
リズリアは手を止めた。
「もう、ルカってば、しっかり閉めすぎ」
「ぼ、僕がやろうか?」
「う〜、頼んだ」
リズリアは痛くなった手を振りながら、チェルトにビンを渡す。
「やっぱり力じゃ男の子には負けちゃうわね」
「だといいけど」
チェルトはぐっと手に力を入れる。
「待って!それ、逆!」
リズリアがあわててその手を止めさせる。
「え?」
「ふたは、右に回すのよ。右に回して開けるの。逆よ?」
「え、そうなの?」
「そうよ!」
ふたを逆に回すと、ふたは簡単に回る。
「ほら、開いたでしょ?」
「本当だ」
「うそなんか言わないわよ。失礼ね」
「そ、そんなつもりじゃないよ?」
「あたりまえでしょ?そんなつもりで言ってたなら、なぐるわよ?」
「え?」
さあっと顔を青くするチェルトを、リズリアはくすくすと笑った。
「じょうだんよ」
「本気に聞こえたけど?」
「気のせいよ」
ふたをゆるくして、チェルトはリズリアに手渡す。
「はい」
「ありがと」
リズリアは受け取ったマヨネーズのビンから、マヨネーズをスプーンですくってパンにぬる。
「逆に回したら、よけいに固くしまっちゃうでしょ?かといって、正しい方向でも力を入れすぎるとふたが飛んでいっちゃうから。正しい方向にほどよく力を入れるのよ」
「逆方向に力を入れたらよけいに締まってしまう。正しい方向でも力を入れすぎたらふたが飛ぶのか」
チェルトはビンのふたをくるくると裏返したりしながらつぶやく。
「ビンのふただけじゃなくて、蛇口もジェムも、ね」
「正しい方向に、ほどよく力を入れる」
チェルトが自分の手を見つめる。
リズリアはスプーンをマヨネーズにさして、チェルトに手渡した。
「ってか、なんでビンのふた逆に回すかな?ふつうさ、こういうものって右回りで開けるでしょ」
「知らなかったよ。ビンのふたを開ける機会もなかったから」
「城に来てから?でもさ、故郷ではなにしてたのよ」
「故郷でもかな。家のことは、母さんに任せっぱなしだったから」
「女性に家のことを任せるのは、もう古いわよ?いまどき、男の人だって家事できるんだから!」
「そうなの?」
そう聞き返されると、いまいち自信がなくなる。
リズリアは腕を組んだ。
「う〜ん、うちが特殊だったのかな。母さんが破滅的に家事がダメでね、料理は爆発するし、洗濯は泡だらけになるし、掃除は全て捨てちゃうから」
たしかに、母は町でいちばんきれいで、愛嬌のある、気立てのよいひとだった。
だがなにをやらしてもダメな、本当になにもできないひとだった。
父が母のどこに惹かれたのか、いまだにわからない。
「だから、家事は父がやってたの。母さんがするのは裁縫だけ、かな」
「リズのお母さん、お嬢さま、だったの?」
チェルトが遠慮がちに訊いた。
苦笑して、リズリアは答えた。
「父さんとは、身分ちがいの恋っていうやつね。それで、駆け落ちしちゃったのよ」
「か、駆け落ち……」
「そうなの。それで、うちは各地を転々としていたのよ」
あちこちを旅しながらの、気ままな暮らし。
もともと冒険者の父に合わせるのは、母はとても楽しそうだった。
家に押し込まれて暮らしているのでは、決して体験できないものだから。
母はうれしそうに言っていた。
リズリアはもぐもぐとパンを食べ始める。
「父さんはもともと冒険者でね。私がジェムハンターをしてるのも、父さんの影響なの。とはいっても、父さんは私と母さんを食べさせるために、ジェムだけを狙うんじゃない賞金稼ぎに転職しちゃったんだけどね」
「賞金稼ぎ、か」
「うん。でも、本当に幸せそうだったわ。私も手伝いをしたりもしてたの」
「楽しそう。幸せだったんだね」
チェルトがまぶしそうに微笑む。
「そうね。幸せだったわ。簡単な依頼は、私が一人でこなしたりもしてたの」
リズリアはそこで言葉を切ると、パンから口をはなした。
「でも、もう会えないかもしれない」
「どういうこと?」
「私が両親と最後に暮らしていたのはロワード村」
「ロワード村?」
「ガディアの端にある、小さな村よ。人体から最初にジェムを作られた、全ての時間が止まった村」
チェルトが息をのむのが聞こえた。
「早く早く、早くなんとかしなくちゃと思ってきたわ。どうにかして父さんと母さんと助けなくちゃって」
「…………」
「正直、どうすればいいのか、私もわからないの」
リズリアは両手で顔をおおった。
いつものリズリアは明るく笑う。
こんな思いを抱えているなんて、これっぽっちも知らなかったし、気がつかなかった。
「お医者さまは、一年が限界、ジェムを使われたら半年ももたないって言われたわ」
「…………」
「怖い、私怖いの、チェルト。父さんと母さんと、二度と会えなくなるかもしれないのが、失ってしまうかもしれないのが怖いの」
「リズ……」
ここまで泣かずに話すためには、かなりの時間と労力が必要だった。
それでも話をしたのは、チェルトがなにかを知っているのなら、少しでもいいから、教えてほしかったからだ。
リズリアはチェルトにすがるようなまなざしを向ける。
「ねえチェルト、あなたはなにか知らない?」
「知っていたら、教えてあげたいと思う。でも、僕には教えられるような情報がない」
「……そっか。そうだよね。最初から、そう言ってたもんね」
リズリアはひざを抱えてパンをもそもそと食べるのを再開する。
目を伏せたまま詰め込むように食べている。
チェルトはパンに視線を落とす。
知らないと思っているだけで、もしかしたらリズリアにとって有益な情報を持っているのかもしれない。
少しのしゅんじゅんの後、チェルトは重い口を開く。
「七年」
突然口を開いたチェルトに、リズリアは顔を上げた。
C) Copyright Yuu Mizuki 2005-2008. All rights reserved.