第二章 洞窟の魔物

1.

 

 美しい王城の庭園、バラの咲き誇る庭に王は立っていた。

 白いイスとテーブルの置かれた庭で、王はバラに手をふれていた。

 真っ赤なバラに、王の白い手がよく映えた。

 長い金髪をリボンをからめてまとめている。

 豪奢な衣装に身をつつんだ王は、碧い瞳を和ませる。碧い瞳と対照的な紅が目元にさしてあるのが、柔和な王の顔だちを鋭く、厳しいように見せていた。

 けれどバラを見つめる横顔は、たとえようのないほどに美しい。

「美しかろう、フィリップ」

 そばにひかえる側近に、王は声をかけた。

 美しい主に、フィリップは頭をたれる。

「陛下にはおよびません」

「世辞が上手いこと」

 くすりと笑って、王はぶちりとバラを折った。

「わらわはこれが、いちばん好きじゃ」

「存じております」

「まさに王の花にふさわしい。そうは思わぬか?」

「はい、陛下」

「恐れ入ります、陛下」

 ひざまずいて、騎士が一人、王の庭園へと入ってくる。

 ちらりと視線をやって、王は不機嫌に答える。

「わらわの庭に、許可なく入るとは」

「も、申しわけありません、陛下。しかし、早急に申し上げたきことがございまして」

「申せ」

「はっ、東のモルトーブより帰還途中の馬車が、何者かに襲われたもよう」

 フィリップの瞳がわずかに揺れた。

 王は無表情に聞き返す。

「積荷は?積荷は無事なのであろうな?」

「そ、それが、まだ情報が錯綜しておりまして、正確にはつかめず……」

「急ぎ情報を集めよ。積荷の確保が最優先じゃ。必ず積荷を無事にここへ」

「我らの忠義にかけまして、陛下」

「王の威信を傷つけるものじゃ、なんとしても犯人も捕えよ!」

「はっ!」

 騎士は深く頭をたれて、庭を出て行く。

 王は唇をかみしめる。

「わらわに喧嘩を売るとは……」

「陛下……」

「必ずや、地獄を見せてくれるわ」

王の白い胸元で、大粒の青いペンダントが揺れた。


 


 


 

 朝のすんだ空気の中、呼吸を整える。

 小さくてのどかなイェル村には、離れてしまって久しいどこかなつかしい空気がただよっている気がする。

 宿屋の庭の木の下、チェルトは木に向かって立っていた。

 閉じていた目を開いて、目の前の木を見つめる。

 おもむろに手を出すと、そっと木にふれた。

「なーにしてんの?」

 後ろから声をかけられて、チェルトはゆっくりと振り返った。

 宿屋の門の近くに、首にタオルをかけたリズリアが立っていた。

「リズリアさん」

「リズでいいって。さんなんて、なんかヘン」

 リズリアは動きやすいTシャツにハーフパンツといういでたちだ。

 リズリアはチェルトのもとにちょこちょこと寄って来る。

「で、なにしてるの?」

「別に。僕の故郷は森に囲まれていたから、自然にふれ合うのが当たり前だったんだけど、このへんはあまりないから、外に出ようかと」

「そうねぇ。リコルルは平野が多いから。となりのガディア連邦は山やら盆地やらが多いから、あの近くに住んでたの?」

「うん。ガディア寄りのリコルルの端だね」

「そっか。私は連邦の出身なんだ。もともと両親と連邦に住んでたんだけど、まあいろいろあって、リコルルに移り住むことになって」

「連邦、か」

 チェルトがふっと苦しいような困ったような、複雑な笑顔を浮かべる。

 リズリアはチェルトの恰好をじっと見つめる。

 チェルトは見たことのない変わった服装をしていると思う。

 昨日から気になっていたことを口にする。

「ねえ。その服も、民族衣装みたいなの?」

「そうだよ」

「そうなんだ。私てっきりリコルルのウィザードの制服かと思ったよ」

「ウィザードには制服はないよ」

 リコルルのウィザードたちは王家とそんな関係ではない。

 だが内情を知らないリズリアは無邪気に笑う。

「でもあるのかなって思って」

 リズリアはタオルで額の汗をぬぐった。

 チェルトは朝から機嫌の良さそうなリズリアにまぶしそうに目を細めた。

「リズは運動してきたの?」

「朝は走ると気持ちいいよ。早起きは三文の得っていうしね」

「そうなの?さんもんってなに?」

「よくわかんないけど、どこかの通貨の単位じゃないかな」

「ふうん。それにしても、リズは早起きなんだね」

「まあね。チェルトこそ、早いじゃない。昨日はあんなんだったし、起こしに行かなきゃいけないかなって思ってたけど」

 リズリアのからかうような言い方に、チェルトは困ったように柳眉を寄せた。

「僕も早起きは慣れてるから」

「田舎は都会よりさらに早起きって、イメージあるもんね」

「それは……ちょっとわかんないけど」

 チェルトはそのまま地面に腰を下ろす。

 背中を木にあずけたまま、あごをそらして木を見上げる。

 下から見上げる木は、枝葉の間から日の光をこぼしてキラキラ光っている。

「僕の故郷は、森しかないところだったけれど、自然の恵みはたくさんあったんだ。自然にふれてると、故郷に戻ったみたいで落ち着くんだ。というか、あるのが当たり前みたいになってて、ないと逆に落ち着かなくてね」

「森に囲まれた村、か。きれいなところなんでしょうね」

「のどかで、きれいなところだ」

 チェルトは、ゆっくりと目を閉じた。

 霧に包まれた静かな朝。

 木々の間から差し込む優しい日差し。

 みんなで作った肥沃な大地。

 明るい人々の笑い声。

 あるのが当たり前だったのに、いつから聞いていないだろう。

「空も、大地も、いま僕がいるここと、故郷とつながっている」

 辛くても、苦しくても、ときに寂しくても、いつかは帰れるはずだから。

 元気な父母と、みんなのことを思えば、もう少しだけがんばれるから。

 故郷に思いを馳せるときだけ、楽しい気分になれる。

「こうしていま父さんや母さんはなにをしているんだろうって、考えるくらいしか、自由時間にすることなかったから」

「ふうん。ウィザードって、秒単位で仕事が組まれるほど忙しいのね」

 リズリアは小首をかしげる。

 チェルトはそっと視線をそらした。

 彼女は知らない。

 これまでウィザードたちがなにをされてきたのか。

 チェルトはそっとこぶしをにぎりしめた。

「あ、そんなところにいたの?リズ!」

 リズリアが顔を上げると、二階の窓からルカとエリアが手を振っていた。

 リズリアは腰に手をあてて、窓のよく見える位置に歩いていく。

「ルカ!起きたの?」

「もうとっくとっく。アンタを待ってたんだって。メシにしようぜ!」

「うん!私おなかすいちゃった!もうぺこぺこ!」

「だろうと思ったから、頼んでおいたよ。ま、てきとうでよかっただろ?」

「うんうん!」

「もうそろそろ、帰ってくると思っていたの」

 エリアが人差し指で下をちょいちょいとさした。

「すぐ下りるわ。先に行っていて」

「りょうか〜い」

 エリアが窓を閉める。

 リズリアはチェルトに振り返る。

「さ、朝ごはんにしよっか。今日はしっかり食べておいてね。この後洞窟探険だからね」

「わかった」

「じゃ、行きましょうか」

 リズリアはチェルトに手を差し出す。

 ぽかんと見つめていたチェルトは、微笑んでその手を取った。

 

           

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