第一章 グロリアス

2.

 

 

 重いまぶたをゆっくりと上げて、チェルトは何度もまばたく。

(いつの間に寝たんだろう)

 窓の外を流れていく景色をぼんやりとながめながら、チェルトは馬車に揺られていた。

 小さく頭を振って、チェルトは深呼吸をした。

 小さな窓の向こうではチェルトの気持ちを無視して緑の木々が流れていく。

(あれから七年か)

 国の辺境にある故郷からリコルル王国の王都へと出てきて七年。

 一度として帰郷を許されることがなく、あれから両親にも会うことはできなかった。

(父さんと母さん、元気かな)

 ときおり手紙は送ってもらっているのだが、返事が来ない。

 返事すら出せないほどに忙しいのだろう。

(当然だな。僕がいなくなる分、父さんたちに仕事が増えるわけだし)

 家の、そして村の手伝いをしていた男手が減るのだ。

 チェルトは飛ばしていた意識を戻す。

 森の中を走る馬車の周りには、騎乗した兵士たちが護衛している。

 護送馬車の中には護衛の騎士が一人、そして四六時中行動を監視している監視官がいた。

 監視官のぶしつけで、もの言いたげな視線に、チェルトは監視官に顔を向けた。

「なにか、言いたいことがおありですか?」

「いえ、よくお眠りだったなと思ったまでです」

 のんびりと寝ているなんて、いいご身分だと言われているようで、チェルトは居心地が悪い思いをした。

「すみません」

「いいえ、お気になさらず。別にそのことに関してはなんとも思ってはおりません。ただ……」

 監視官はちらちらとチェルトを見る。

 監視官の見ているものに気がついたが、チェルトは気づかないふりをした。

「もう、いいかげん装束を改められませんか?」

(またその話か)

 内心うんざりしながら、チェルトは視線で先をうながす。

「チェルト殿が陛下に招喚されて、すでに七年が経ちます。いいかげん陛下のお気持ちも汲まれて、リコルルの服を着られませんか?」

 監視官はチェルトの服を上から下までじろじろと見る。

 チェルトの着ている故郷の民族衣装が気に入らないのだ。

 森に住むエンフェスの民の伝統的な少し丈の長めの上着にズボン、腰のところで色鮮やかな布で結んでいる。

「これは、僕たちエンフェスの民の伝統的な服装です。失礼にあたるとは思いません」

「失礼とは申しておりませんよ、もちろん。ですが、いまのあなたは陛下の臣。陛下の意に沿うようにするのは、臣下として当然の義務です」

 いつ臣下になったのか。

 不服そうにチェルトは顔をしかめる。

 王都をはじめとした一般的なリコルルの服装とはかなりちがう、流行とはかけ離れたすがただ。

 これが田舎くさい蛮族のように見えるのだろう。

「陛下に拝謁なされることもあるでしょう。貴族の方々とお会いするときに、陛下が恥ずかしい思いをなさることになります」

「服のことはゆずっていただきました。陛下もお許しくださったはずです」

「それはそうですが、あなたはすでに王城に出入りする身なのですよ?」

 監視官の言葉に、チェルトは服をきゅっとにぎりしめる。

「そんな着古した服を着ていなくとも、陛下が恥ずかしくないものを用意してくださったでしょう。それを着てください」

「僕は、着たくありません」

 この服が恥ずかしいものだと言うのだろうか。

 新しければいいというものでもない。

 服だけが、故郷とつながるものだから。

 父母の作ってくれた、たくさんの思い出の詰まった、大切なものだから。

 監視官は大きなため息をもらした。

「まったく、強情なお方ですね」

「エンフェスの民の誇りを汚されたくありません」

「誇り、ねぇ」

 監視官は皮肉げに笑う。

 丁寧な口調をしてはいるが、一度としてこの監視官はチェルトに敬意を払ったことなどない。

 たかが蛮族と、下に見ているのは明らかだ。

「エンフェスの民とはいえ、あなたも我がリコルル王の国民でしょう。王に敬意を払うのは国民としてすべきことなのでは?」

「脅迫してむりやり王都に召しておいて、なにをいまさら……」

 小さな声でつぶやいたチェルトの声は、監視官に届くことはなかった。

 外の護衛の兵士たちの悲鳴が聞こえ、御者が馬にむち振るった。

「うわあっ!」

 監視官が驚いた声をあげて、馬車の中の騎士が警戒しながら窓を開ける。

「なにごとだ?」

「それが、奇襲されていまして」

「奇襲だと?」

「はい、何者かが我々に攻撃を仕掛けてきておりまして―――ぐああっ!

 話していた騎手がなにか鋭いもので切られたような傷を腕に受け、馬から転がり落ちる。

 外では、さらにうわあっという声と馬から落ちる音が聞こえる。

 突然の襲撃に怖がる御者が馬をむち打って逃げようとする。

「こ、この馬車は陛下のものの一つなのですから大きいのですよ?そんなにスピードを出したら、倒れてしまうでしょう!」

 監視官が御者席の小窓から御者に対して文句を言うが、混乱している御者にはその言葉は届いていなさそうだ。

 がたんがたんと揺れる馬車の中、監視官も身を振るわせる。

 チェルトもまったく状況がつかめなくて、不安そうに瞳を揺らして御者窓を見つめる。

 ガッという鈍い音に「うわああぁ」長い悲鳴をあげて御者が転げ落ちる。

 運転手を失った馬車は、転がっていた石にかたむいてそのまま倒れこむ。

 馬車が倒れた拍子に手綱の切れた馬は、馬蹄で大地を踏み鳴らして森の奥へと逃げていった。

 大きな音をたてて倒れこんだ馬車の周りを、なんとか守ろうと残っている兵士たちが囲む。

 頭を強く打って、監視官は意識を手放す。

 チェルトは隣に座っていた騎士に守られて、傷一つ負うことなくすんだ。

 気絶した監視官を見て、騎士はちっと舌打ちをした。

「使えないやつだ。おい」

 監視官を揺さぶるが、起きる気配がない。

 もう一度、騎士は舌打ちをした。

「まあいい。後で回収しよう。積荷さえ守れればいい」

 騎士は監視官のとなりに置かれていた小さな箱を小脇に抱える。

「来い」

 チェルトの腕をぐいっと引いて、立ち上がらせる。

 チェルトは痛みに顔をしかめる。

「いたいです。そんなに引っ張らなくても、僕は立てます」

「文句を言うな。いいから来い」

 無理やり引っ張って、騎士が真上についた扉に手をかけると、力任せに押し開ける。

 開いた扉から自身が出ると、周りを見回す。

「くそっ、それほど残っていないか」

 毒づいて、騎士がチェルトを振り返る。

 見上げるチェルトに、持っていた小箱を押しつけた。

「いいか、出てくるなよ。この場ではおまえは足手まといだ」

「は、はい……」

「片がついたら、引っ張り出してやる。だから、それまでこれを持ってここにいろ」

 ゆがんだ馬車のドアをかぶせるようにしてしめる。

 ひどく不安そうな揺れる金色の瞳が、印象的だった。


 


 


 

 馬車が倒れたのを見て、剣を投げたかっこうのままエリアはほくそ笑んだ。

「ヒット」

「すごい、エリア!いつ見ても見事だね!」

 となりでその様子を見ていたリズリアが緑色の瞳をかがやかせる。

 長い黒髪を、エリアはばさりとかきあげた。

「それほどでもあるわ」

「投げるものは百発百中だもんね」

「それだけじゃないわ。占いもよ」

 不思議なあでやかさをもつ黒髪の少女はくすりと微笑む。

 となりに立つルカとリズリアの顔を交互に見つめた。

「次はあなたたちの番ね」

「ああ、任せな」

 ルカがぱしりと右手を左手で受け止める。

「エリアのカードで馬からころころ落ちてくれるから、楽しみが減っちまったな」

「あら、その分楽になるでしょう?」

 エリアが愛らしく小首をかしげる。

「まあね。でも、もの足りないね」

「でも危険も減るんだから、いいことずくめだわ。さ、ルカ、エリアに負けないように私たちもがんばろっか」

「はいはい」

 ルカとリズリアは馬車の周りに展開する兵士たちに向かって走り出す。

「私はサポートに回るわ」

 しゅたっと手を上げてエリアが言う。

 すばやく近づいて、ルカが近くにいた兵士の腹にボディーブローをかます。

「うらっ!」

 声もなく悶絶する男を見下ろしてニヤリと笑うと、ルカは次の標的に移動する。

 ルカに気づいた兵士たちがあわてて叫ぶ。

「て、敵だ!」

「遅いよ!」

 近くにいた兵士には首筋に手刀を落として、次の男には高く飛び上がって回し蹴りで蹴り飛ばす。

 舞うようなルカの動きに、兵士たちは目を奪われる。

 次々にやられていく味方にあせったのか、一人が剣を引き抜いてルカに迫る。

 いち早く気づいたリズリアは凛とした声で叫んだ。

「我が敵を吹き飛ばせ、ウインドジェム!」

 リズリアが人差し指と中指ではさんだ黄緑色の宝石がカッと強い光を放つ。

 突風が男をさらって、背後の大木に叩きつける。

 そのままぐったりとする男に兵士たちが恐れをなしたようにたじろぐ。

「な、ジェムマスターだと?」

「そんな、こんなところに?」

「なんで……」

 ルカがあきれたように碧い目を細めた。

「あんなの、アタシ一人でなんとかできるのに」

「だって、いいとこ全部ルカにもっていかれちゃいそうだったもん。そしたら、私なにもしてなかったってなっちゃうでしょ?」

「なるほど。そうだね」

「そゆこと」

 ニコッとリズリアは笑う。

 女性にしては長身のルカは威圧するようにあごを上げ、兵士たちを見下ろした。

「で、アタシたちにまだ挑む?」

 兵士たちがひっと息をのむ。

 今にも逃げ出しそうな雰囲気の兵士たちに、

「おまえたち、それでも栄えあるリコルルの兵か!」

 一喝する声が森にひびく。

 兵士たちがびくりと身を震わせる。

 横倒しになった馬車の扉から出てきた騎士が、馬車からひょいと降り立つ。

「相手は女、軍人である貴様らが遅れを取ってどうする!」

「それ、女性差別!」

 リズリアが声を上げるが、騎士はさっくり無視した。

「我らが陛下のため、軍人の底力を見せてやるぞ」

 騎士の声に、兵士たちは意気を取り戻して、おおっと声をあげる。

 ばらばらだった意識がまとまり、連携らしいものが取られていく。

 ルカが眉をひそめた。

「ちっ、こうなる前に、さっさと倒そうと思ったんだけどね」

 リズリアが苦笑して肩をすくめた。

「しかたないよ、まさか王城つきの近衛である騎士まで出てきてるとは思わなかったもん」

「でも、その分、例のうわさが本当だっていう証拠になるのかもね」

 ルカの言葉に、リズリアはお茶目に片目を閉じて答える。

「そゆこと」

「リズ、あの騎士はアタシがやる、って言いたいとこだけど、アンタに任せた」

 的確に場を判断して、ルカが騎士を指差して言った。

「ザコはアタシがやるから、アンタであの男をやっちまいな」

「りょうか〜い」

 言い終わると同時に、ルカが兵士に走り寄って、こぶしを繰り出す。

 リズリアは剣をかまえたまま、馬車の近くから動こうとしない騎士に、身体を向ける。

(確認できる位置には、エリアはいないけど、たぶんどっかで見てるんだろうから、いつも通りでいいわね)

 リズリアはエリアをまねて、嫣然と微笑んだ。

「動かないの?騎士サマ?」

「何が目的だ?この馬車がだれのものか、わかっていないということはなかろう」

 上を向いている馬車の側面には、大きくリコルル王家の紋章が描かれている。

 リズリアは人差し指をくちびるにあてる。

「そうねぇ。王サマの持ちものだわ」

「王家に弓引く者に、未来はないぞ」

「あら、そうかしら?それは、私たちの腕と、あなたの腕にかかっているのではなくて?騎士サマ?」

 リズリアは挑戦的に笑うと、ふところからもう一つジェムを出して、さらに薬指にはさむ。

「さ、どちらが強いか、勝負しましょう」

「のぞむところだ!」

 騎士が剣をかまえて詰め寄る。

 リズリアは不敵に笑うと、

「ルカ!エリア!いつものいくよ!」

 大声で叫ぶ。

 二人の返事を待たずに右手をつき出す。

「我に太陽を、ライトジェム!」

 薬指にはさんだ透明なジェムが、

 かっ!

 強い光を炸裂させる。

「うわぁっ!」

「な、なんだ!」

「め、目がぁ」

「な、なにも見えない」

 兵士たちが目をおさえて立ち尽くす。

「くそっ」

 騎士がいらいらして毒づく。

 目を閉じていてもこのざまだ。

 強い光が目を焼いて、目がくらんでなにも見えない。

「っとに、唐突なんだから」

 ルカが文句を言うが、いつものことなので準備はばっちりだ。

 この攻撃対策の特注のサングラスをかけて、ルカは眉をひそめた。

「あら、先手必勝でしょ。ジェムマスターは、ふところに飛び込まれたら不利だし」

 リズリアはなんでもないことのように言うと、ニッコリ笑う。

「じゃ、ルカに任せた」

「ったく、アンタはねぇ」

 ため息をつきながらも、ルカは全ての兵士を気絶させる。

 そして、騎士のもとに歩み寄る。

 人の来る気配に、騎士が、見えてない目を必死に開いてきょろきょろと周りを見回す。

「こんなことして、ただで済むと思うな」

「ああそうかい」

「陛下のものに手を出したのだ。陛下のお怒りを、その身に―――

「はいはい」

 ルカはうんざりとばかりに、手刀で騎士を黙らせる。

 ぐっとくぐもった声を出して、騎士は倒れこんだ。

「これで片付いたかな」

 リズリアは腰に手をあてて、馬車の周囲を見回す。

 馬車の周りは剣を手に倒れている兵士たちばかりだった。

 

           

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