「ああ、こちらにおられたんですか、セシル殿下」 ティルティスの護衛の時間になって、王太子の部屋に向かったジークは、ソファでひざを抱えているセシルを見つけた。 「ジーク、セシルになにがあったのか知っているのか?」 「え?なにも話していないんですか?」 書類から顔をあげたティルティスがまゆを寄せた。 「飛び込んできたと思ったら、ずっとだんまりだ。なにがなにやらわからん」 羽ペンを置いて、ティルティスが小さくため息をもらす。 「ジークは来たばかりだが、休けいにしよう」 チリチリと執務机に置かれた小さなベルを鳴らすと、となりの侍女部屋から見慣れた女性がやってくる。 「お呼びですか?あら、セシルさま」 「セシルでも飲めそうなものを頼む」 「わかりました。すぐにお持ちしますわ」 ティルティス付きの侍女であるフィオルが一礼して部屋を出る。 ジークはというと、執務机の上の花に目をうばわれていた。 先ほど、セシルのくれたものと同じような花束が小さな花瓶にいけられている。フィオルがやってくれたのだろう。 「ちゃんと飾ってるんだね」 ジークの視線に気づいて、ティルティスは小さく微笑んだ。 「せっかくくれたからな。フィオに頼んで、いけてもらったんだ」 セシルのくれた素朴な花束に合う、小さな真っ白い花瓶は、手編みらしいレースの花瓶置きの上に載せられている。 「わたしは前の……犬よりもこっちのほうがいいな」 「あの子、かわいかったよ?」 ぽつりと、部屋に入ってから数時間、やっとのことでセシルはもらした。 「おまえにとって、だろう。俺は迷惑しか受けていない」 思い出すのもいやだとばかりに、ティルティスは深い深いため息をもらす。 王子さまモードのわたしと素モードの俺が混ざる。 セシルに対しての態度がわからないというのはあながちうそではないらしい。 「けっきょくおまえとエサをやっていた侍女にしか慣れなかっただろう。わたしは部屋を何度めちゃくちゃにされたことか」 部屋に遊びに来るたびに、セシルは犬を連れていた。あの頃、遊んでくれるような相手のいないセシルの遊び相手はティルティスと犬しかいなかったのだ。 そして犬のにおいがどうしてもとれなくて、城の部屋にいたくないというティルティスのために離宮が造られたのだ。 とはいうものの、離宮が崩壊したいまはふたたび城の自室に戻っている。侍女たちがけんめいににおい取りを行い、花で部屋を飾りつけたため、むかしほどはひどいにおいもしない。 ソファに腰かけて、ティルティスはセシルを見やる。 「それで、どうしたんだ」 「ライが子ども扱いするんだ」 「ライから見れば、俺もおまえも子どもなんだよ」 苦笑を浮かべて言うティルティスにセシルがぶんぶんと首を振る。 「僕が子どもだから、ライは相手にしてくれない。サーフィスのライバルにもなれなくて、マリアも本気にしてくれない。どうしてもっと早く生まれてこなかったんだろう」 「……セシル」 ティルティスが言葉を失う。 なんだか知らない間に大きな問題に変わっている。そんな気が、ジークはしてならなかった。 (いや、きっとちがう) セシルは思うようにならない自分に歯がゆい思いを抱えているということだ。 セシルは抱えたひざがしらにこつんとひたいをぶつけた。 「早く大人になりたい。ライに子ども扱いされなくて、サーフィスに肩を並べられて、マリアに認められるようになりたい」 「あら、もったいないですわよ?」 めずらしくフルーツのジュースを持ってきたフィオルがにっこり笑いながら部屋に入って来る。 ティルティスが意外そうに目を丸くする。 「フィオ」 「せっかく子どもらしくいることを許されているんですのよ?それを捨ててしまうなんて、もったいない」 「でも!僕は早く大人になりたい!」 「あらまあ。では、セシルさま、ティルティス殿下のように行動するのですか?」 「え?」 セシルが目を丸くして聞き返し、ティルティスを見つめる。 「毎日毎日、使えない文官たちのために、わざわざ殿下自ら書類を書いて。頼りにならない大人たちのために呼び出された殿下が仲裁に入って。セシルさまもそんな生活がなさりたいと?」 「フィオ」 ティルティスがたしなめるように名を呼ぶ。 だがフィオルは聞こえないフリをした。 「子どもだから許されることもありますわ」 セシルは不満げにくちびるをとがらせてひざを抱えなおす。 フィオルはそれぞれの前にグラスを置いて、トレイを胸に抱えるとジークを向いた。 「それで、セシルさまがこんなことを思い出したのはなぜなんですか?」 「え、ええと、ライがカードにはまっていて、賭け事だから関わるなって言って。サーフィスもそれに参加していて、マリアさんはサーフィスを巻き込まないことを条件にポーカーに加わられて」 「ポーカーですか。なるほど。休暇のときに負けたというあれですか」 「さ、さすがフィオルさん」 「フィオでけっこうですよ、ジークさま」 にっこりと笑いながら、フィオルはセシルに優しい目を向けた。 「セシルさま。いい案がありますわ」 「え?」 セシルが怪訝な顔でフィオルを見上げる。 「まずはそれでのどをうるおしてからにしましょう。わたくしもお供いたしますから、外で運動いたしましょう」 「運動?」 「ええ。運動はいい気分転換になりますわ。最近は部屋にこもりっきりで、殿下もちょうど運動不足でしょうから」 「俺もか?」 ぼんやりと聞いていたティルティスが自分も数に入れられていることにおどろいた声をあげる。 「もちろんですわ。殿下がいなければ話になりませんもの」 「仕事を放ってか?」 「あら。弟君のほうが大切でしょう?」 小首をかしげるフィオルとともに、セシルもティルティスと同じ碧い目で兄を見上げる。 いまひとつ接し方がわからなくても、大事な弟に変わりはない。 ため息をついて観念し、 「運動って、なにをやるんだ」 ティルティスが不安げに訊ねる。 (なんだかんだいって、ティルトもセシルさまのこと、大事にしてんだよね) 扱いがわからないというわりには、それなりに大事にしている。 ジークは外見だけは瓜二つな兄弟を見ながら笑顔をこぼす。 「役に立つ貴族の運動といえば、剣術と馬術ですわ」 「馬がいい」 即答するティルティスの理由は、しごく簡単だ。 つまり、剣が使えないのだ。 セシルが部屋に来て初めて小さく笑みを浮かべた。 「兄上、剣がきらいだもんね」 「セシルさまは学ばれているのでしょう?」 フィオルが確認すると、こっくりとうなずいた。 「うん。僕は術なんて使えないしね。勉強もあんまりだし、ほかにとりえないもん」 「そんなことありませんわ。では、せっかくですから、セシルさまが兄上にお教えしてはいかがです?」 「うっ?」 「あ、そっか」 いやそうな声をあげたティルティスと対照的に、セシルはうれしそうに手を合わせた。 「兄上、教えてあげるよ?」 ティルティスは苦虫をかみつぶしたような顔をしていたが、さっさとジュースを飲み終えたセシルがソファから立ち上がる。ティルティスの手を取って立たせると、 「兄上、行こう!」 ぱたぱたと走り出す。 「ほら、元気になった」 自信満々な声音でフィオルが言った。 「あの方は、かまってほしいんですよ。マリアさんか、殿下に」 「フィオルさん」 「殿下とセシルさまをお願いします。わたくし、一仕事してからまいりますわ」 「え?片づけですか?」 「いいえぇ。おいたの過ぎる困った方々に、ちょっと」 フィオルの意図がわからなくて、ジークは首をひねった。 「さ。殿下たちをお願いしますね」 「あ、はい」 フィオルにうながされて、ジークはあわてて部屋を飛び出した。
しばらくすると、城中に「セシル殿下にすげなく当たった騎士がいると泣きついてきた弟のために、ティルティス殿下が仕事を放棄した」といううわさがまたたくまに広がった。 そのうわさを聞いた第二騎士団長が重い腰を上げて、副長が笑顔でしばきに来るのはもう少し後の話だ。 三人で楽しく身体を動かしながら過ごしたあと、血相を変えた第二騎士団員とマリアが来ることになるのは、まだだれも知らない。
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