パンと花束とジュース


 

 前編


 

 第二騎士団の小休憩室の前で、うろうろとしている赤い制服が見えた。

 華奢な後ろ姿から見て、おそらく女性だろう。

(ソールの女友達かな?)

 赤い制服といえば、第三騎士団員だ。王城をうろうろしているなら、王城警備部隊のはずだ。

 ジークは首をひねりながら近づいて行く。

 近づく足音におどろいた顔で振り返った女性はジークにも見覚えのある顔だった。

「あれ、えっと、マリアさん?」

「あなたは……」

「なにしてるんですか。うちのだれかに用ですか?」

「え、ええ……その……」

 マリアは腕に抱えた紙袋を抱えなおす。

 香ばしいにおいに視線を落とすと、袋の中にはおいしそうなパンが入っていた。

 ジークの視線に気づいて、マリアはほんのりとほおを染めた。

「休暇で実家に帰っていたので」

「そういえば、サーフィスがマリアさんの家はパン屋だと言っていましたね」

「母が、サーフに持っていけって言うので、しかたなく……」

 本当にしかたがなさそうによそおって、マリアが言う。

 しかし、ジークは覚えている。彼女のサーフィスを見つめる視線を。

 マリアの気持ちに気づいてしまったジークは苦笑を浮かべた。

「そうでしたか。あ、どうぞ。あんまりきれいじゃないですけど」

「え?あ、まって」

 ジークはマリアの横からドアをあける。

「あ、おはよう、ジークくん」

 ソファに座っていたパトリックがジークも座れるように少しずれた。

 ローテーブルにはそれぞれの前に金貨が積まれている。

 カードゲームに興じていたらしい。

 ライオットとサーフィスも顔を上げた。

「お、ジーク!おまえも来いよ。今日こそポーカー教えてやるからさ。昼飯賭けてんだ、負けたら四人分だぞ」

 ライオットが片手で手招く。

 ジークの後ろに立っていたマリアが小さなため息をもらす。

「騎士が朝から賭けごとですか、情けない」

「んだと?」

 ライオットが不機嫌そうな声をあげるのを、ジークがあわてておさえにいく。

「落ち着いて、ライ」

「あれ、マリア」

 サーフィスがまゆをひそめた。

「なんでいんの、おまえ」

「母さんがあんたのお世話になってる第二騎士団のみなさんにって」

「おばさんが?」

「そうよ。だからわざわざ届けに来たの」

 マリアは袋ごと腕を突き出す。

 サーフィスはカードを伏せてテーブルに置いた。

「そっか、わざわざ悪かったな」

「しかたないじゃない。じゃ、これで帰るわ」

 マリアがくるりと背を向ける。

 だがマリアの目の前でばしんとドアが閉まる。

 だれもふれていないのに閉まったドアに、マリアが目を見開いて立ち止まる。

 こんな芸当ができるのは、この部屋にはひとりしかいない。

 サーフィスが怒鳴った。

「ライ!」

「逃げんのかよ。騎士だろ?かかってこいよ」

 マリアが片足を引いて振り返る。

 二つの視線が交差する。

「おい、ライ」

「やめてよライ」

 サーフィスとパトリックがあわてて止める。

「騎士なのに、負けるの怖いのかよ。勝負しようぜ?」

「さっき同じ手でサーフを誘ったじゃない。まだ相手が必要なの?」

 パトリックがあきれたように額に手を当てる。

 ジークはこそこそとパトリックの横に移動して、

「どうしちゃったんですか、ライ」

「休暇中に酒場の賭け事で大敗したんだって。それが悔しくて、ここんとこひまさえあればずっとこれだよ」

 パトリックが疲れたように首を振った。

「どうしても腕をあげたいんだって」

「給料がすっからかんなんだ!オレの死活問題だ!」

「それはおめぇのせいだろ」

 サーフィスもあきれたようにつぶやく。

(そういえば、だから僕にも聞いたのか)

 ここ数日はまとめて休暇をもらってクレアについていた。だからこんなことになっているとは知らなかった。

 クレアの元から帰った夜「おまえ、ポーカーできる?」と聞かれたとき、すぐさま首を振った。

 賭けのきらいな母がぜったいに手を出させなかったため、ジークはそういった類のことは知らない。

「だからって、ぼくらを巻き込まないでよ」

「そうだぞ。おまえの都合なんか知るか」

「オレに負けるのがいやだから、そんなこと言うんだろ?」

「なんだと!」

 あっさり挑発に乗ったサーフィスがいきりたつ。

 この調子なんだ、とパトリックがうなだれる。

「えっと、団長と副団長は?」

「付き合ってられん、が団長で、仕事に支障が出ないようにね、が副団長のセリフだったよ」

「あー……止める気ないんだ」

 ライオットのことはほったらかしらしい。

 今回はなにかを壊しているとか、第二騎士団が迷惑をこうむっているわけではない。だから団長たちとしては、ふれないつもりなんだろう。

「乗った勝負をおりたりしないだろ?」

「おれはな。でもマリアは関係ねえだろ」

「サーフ……」

 マリアが言葉を失う。

 ライオットはソファのひじかけにほおづえをついて、バカにするようにニヤリと笑った。

「ふうん。ま、女じゃ相手になんねぇか」

「なんですって?」

 マリアの目に険が宿る。

 ライオットは片手をあげてひらひらと手を振った。

「いやいや、ムリすることねぇよ。誘ったオレがまちがってたわ。いいよいいよ、どうぞ帰って」

 ライオットの手の動きに、ドアが勝手に開いた。

「ライ!」

 あおるような言い方のライオットに、ジークが眉間にしわを寄せた。

 マリアはライオットたちの遊んでいるローテーブルにだんっと手をついた。

「いいでしょう、相手になってさしあげます。そのかわり、私が勝ったらもうサーフを巻き込まないでください」

「いいだろう、受けて立ってやるぜ」

 ライオットはマリアに身を乗り出す。

「あー、もうライ〜」

 パトリックが頭を抱える。

 ジークもどうしていいかわからず、途方にくれた。

「ジーク!」

 開いたドアの向こう、廊下をパタパタと走って、小柄な少女が寄ってくる。

 だが実際はやんちゃなさかりの少年だ。

 男の子にしてはちょっと長めの肩口までの髪を一つに束ねている。ティルティスと同じ金色の髪がリボンのしたにちょろんとのぞいた。

「セシル殿下」

「見て見て!これ!母上に教えてもらいながら、僕が育てたんだ!」

 セシルが持っていたのは小さな花束だった。

 赤や黄色、白など色あざやかな花が束ねられている。

 ジークはやさしく目を細めた。

「へえ、殿下がお育てになったんですか?」

「うん。母上が教えてくれたんだ。前に犬を飼わせてもらったんだけど、兄上に迷惑かけてルートにとられちゃって」

「団長に?」

「うん。だから母上が迷惑かけないものを育てましょうって。それで花にしようってなったの。兄上にも持っていたんだ」

「殿下はよろこんでくれましたか?」

「うん!!」

 にっこりと、満足げに笑ってセシルがうなずいた。

「よかったですね、殿下」

「うん!ジークたちにもあげる!」

 セシルは無邪気に笑いながら花束を差し出す。

 ジークはセシルのくれた花束を受け取る。

「ありがとうございます」

 ジークに気をとられていたセシルはふと視線をめぐらせてマリアのすがたに気づく。

「あ、マリア!」

「殿下?」

 マリアがまゆをひそめた。

 セシルはマリアの周りをうろちょろしながら目をかがやかせる。

「マリア、もう休暇は終わったの?」

「ええ。今朝戻ってきました」

「そうだったんだ。知ってたらマリアにいちばんに持って行ったのに」

「いえ、いただいても手入れができません。花がかわいそうですからけっこうです」

「切り花はそんなにもたないから、水を入れ替えるだけだよ」

 セシルは苦笑して部屋の面々に視線を向ける。

「で、なにしてるの?」

「カードゲームだ。けど、チビはダメー」

「チビじゃない!」

 ライオットがニヤニヤしながら言うと、セシルが怒鳴る。

「お子さまはダメダメ。お子さまを賭け事に巻き込んだらオレが怒られるしな」

「賭け事?」

「そ。オレらは昼飯、こいつはだーいじな小うるさい先輩のために」

 ライオットは親指でマリアを指す。

 セシルの碧い目がマリアとサーフィスに移る。

 碧い目は不快げに細められた。

「仕事サボってまでやることなんだ。ふーん」

 まじめなマリアがピクリと身じろぐ。

 ライオットはなれたもので肩をすくめた。

「今日はデスクワーク任されてねぇもーん。ここで待機してるんだもーん」

「ライ……」

 いまに始まったことじゃないが、子ども相手になんて大人気ないんだろう。

 パトリックがあきれた声音でつぶやく。

 セシルは不機嫌丸出しで眉間にしわを寄せていたが、

「帰る」

 くるりときびすを返して部屋を出る。

「あ、セシルさま」

 ジークが名を呼ぶが、セシルは振り返らずに来たときと同じようにぱたぱたと走っていく。

(あー……まずいんじゃ……)

 あわててジークは部屋を飛び出してセシルを追う。このままひとりにしてはかわいそうだ。

 だが足が速かったのか、それとも複雑な道順に振り回されたからか、セシルのすがたは視界からは消えていた。

 ジークは情けない顔で立ち尽くしていた。

 

          

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