彼女まであと


 

 窓の外で、葉を散らした木が寒そうに校庭で揺れている。

 授業中で、体育もないらしく、校庭にはだれもいない。

 教室の中に目を戻すとまじめに勉強している生徒たちのすがたが入る。黒い制服たちは先生の話を聞きながらノートを取っている。

 先生が板書するためにくるりと背を向けた。

 そのすきに、いつもの背中に目を移す。

 肩より少し長めの髪は、いつもきれいにまっすぐ伸ばされている。

 きれいなその髪がさらりと落ちて、彼女が髪をかきあげて耳にかけた。

 そんななにげない仕草に、どきりとする。

 よくあるすがたでも、やるひとがちがうとこんなにどきどきするものなんだ。彼女と会って、初めて知った。

 まっすぐな黒い髪も、白い肌も、ぱっちりした目も、好きだ。きれいなピンク色のくちびるにも、いつも目を奪われる。

 そんな自分が恥ずかしくて、そっと視線をそらす。

 彼女を汚すようで、そんな目で見たくない。そう思うのに、そんな思いとはうらはらについとなりに並べたら、とか思ってしまう。

 好きなのは顔やすがただけじゃない。

 周りから一歩引いたひかえめな様子も、穏やかな話し方も、目が合うと恥ずかしそうにすぐ目を伏せるのも、とてもかわいい。

 いつのまにか、彼女が好きになっていた。彼女が教室にいるだけでうれしくて、ちょっと声が聞こえると幸せになれる。朝、下駄箱であいさつした日は、朝からご機嫌だ。

 彼女はいつだって女友達といる。たとえ勇気を振りしぼってそのグループに話しかけられても、彼女はほとんど話さない。ひかえめな彼女は笑顔を浮かべて、周りの話を聞くだけだ。だからなかなか彼女とは話せない。

 しかし、いつまでもそんな自分ではいられない。

 そもそも、彼女は頭がいい。いつもクラスでも学年でも中ほどにしかいられないおれとはちがう。

 おれが得意なのは数学と化学。

 彼女が得意なのは国語と英語。

 来年は、クラスが変わる。そうしたら、ぜったいに同じクラスにはなれない。

 そうしたら、話すチャンスなどもう来ない。

 このまま別れたくなんてない。

 せめて、友達に。

 いや、それを越えて恋人に。

 そうなれるためには、まず、彼女に話しかけられるようにならなければならない。

 そのための調べはかんぺきだ。まずは彼女の登校する時間を調べた。そこから彼女の乗る電車の時間も乗る車両も、この二週間をかけて調べた。

 あとは、偶然をよそおっていっしょに乗るだけだ。

 昨日はたまたま彼女が遅れてやってきたようで、いっしょにはなれなかった。

 明日こそ。


 


 


 

「佑介」

 ハッと我に返って、顔を上げる。

 だいたいいっしょにいる友人の智だ。

「智、なに?」

「なにって、授業終わってんのに、まだ教科書広げたままでむずかしい顔してたらなんだろって思うだろ」

「あ……」

 いつのまにか授業も終わっていたらしい。

 教科書を閉じて、机にしまいこんだ。

「ちょっと考えごと」

「ふうん。授業終わるのにも気づかずにか」

「……真剣な考えごとだったんだ」

「真剣ね、授業聞かずに?」

 広げたままのノートには、中途半端に板書が写してある。途中からほとんど聞いていなかったから、最後の方なんてひどいものだ。

「授業よりいまのおれに大事なこと」

「ふうん?な、昨日のクイズ見た?」

「あ、わりぃ。昨日はちょっとテレビ見る余裕なくて」

 なにせ起きる時間からぜんぶ計算して行ったのだ。

 その計画をたてるのに忙しくて、テレビなんて見てなかった。

「なんだよ、けっこうおもしろかったのに。宿題でもしてたのか?」

「宿題……って、なんかあったっけ?」

「次の英語だ」

「やべ、おれ当たるんだった!智、いや、智さまー助けて」

 両手を合わせておがむと、智が腕組みをした。

「さーて、どうしようかな」

「頼むよ、サスペンダー怖いんだよ」

「たしかに、サスペンダーは怖いよな」

 英語の担当であるサスペンダーこと、中野はきびしいことで有名だ。きらいな英語にかぎって、最悪の先生にあたったものだ。

 だがチラリと、おれは彼女のすがたを教室に探す。友人の席の近くで話している彼女を見て、おれは口を引き結ぶ。

 英語は彼女の得意分野だ。

 あまりにもひどいものを見せたら、彼女にあきれられる。ただでさえバカと思われているかもしれないのに―――いや、彼女がそんなことを思うとは思わないが―――このうえかっこ悪いところは見せられない。

 自力でやってカッコいいところを見せたいが、時間がない。

「パン?」

「ペットだな」

「えー、百五十円もするじゃないか」

「ほー、英語のできるこのおれに、パンで見せてもらおうと?」

「あー、そういやおまえ、英語得意なんだっけ」

「英語はな。このクラスでおれに勝てるやつなんて、斉藤くらいだろ」

 彼女の名前が出て、おれはどきりと鼓動を早める。

 顔に出ないように、小さく笑った。

「そっか。じゃ、おまえはクラスで二番か」

「斉藤が英語ができすぎるんだろ。俺の唯一のとりえだってのに」

「しょうがないな。じゃ、ペットで」

「いいだろう。写させてやろう」

「それより智、早くノート!まにあわなくなる!」

「ったく、調子のいいやつだな」

 智はため息をもらしながら席に戻る。

 おれは英語のノートを取り出した。


 


 


 

「やばっ!」

 飛び起きたおれは、洗面所に向かう。

 その途中おふくろとすれちがった。

「なんで起こしてくれなかったんだよ!」

「起こしに行ったわよ?でも佑ちゃん自分で時計止めてたから」

 おれは、寝たまま時計を止められる。ついでに言えば、記憶になくても起きているかのごとく返事もできる。

 役に立たない特技だ。

 朝食をあきらめて、顔を洗い歯をみがき、手早く寝ぐせを直すとおれはあわてて家を飛び出た。

 せっかく、せっかく用意周到に準備したのに。

 肝心なところで寝坊するとは。

 全力で駅に向かって定期を見せると、おれはホーム向かう。すでにベルが聞こえていた。急がないと間に合わない。おれは階段を駆け上がる。

 むかし、彼女に気づくまでは遅刻魔だった。でも彼女にかっこ悪いところは見せたくない。それだけのために、おれは遅刻グセを直した。

 恋って偉大だ。 

 サラリーマンにも負けない見事な足運びを見せて、おれはホームに躍り出る。走って彼女のいつも乗る車両に向かった。

 この時間帯、座りたいらしいサラリーマンやOL、学生が次の電車を待つためにうろうろしている。ほんっとにじゃまだ。うろちょろするんじゃねえよ。気が立って、おれはつい心の中で乱暴にののしる。

 車両が見えてきて、手すりを持った彼女が見えた。おれに気づいてくれたのか、わずかに首をかたむける。おれのこと、クラスメイトだと覚えていてくれていたらしい。それにひそかにおれは感動した。

 おれは飛び乗ろうとしたが、無情にもおれの手が届く前にとびらがしまった。

 うそだろ!

 走ってる人間が見えてるだろ、車掌さんよ。

 そういうときは気を利かせてもう一度ドアをあけるくらいの寛大さを見せてくれよ!

 そう思ったが、朝は車掌も電車も時間がないらしい。遅れるとたしか運転手や車掌は怒られるんだよな。電車はドアをあけることなく、ゆっくりと動き出す。おれは肩で息をしながら、呆然としていた。

 ガラス越しに、彼女と目が合った。

 かっこ悪い。

 情けない。

 しかも、ものすごく恥ずかしい。

 おれは恥ずかしくて彼女に笑いかけた。

 いや、もう笑うしかなかった。

 なにか言いたそうに、彼女が口を開きかける。

 だが彼女を乗せたまま、電車が走り去って行く。

 遠ざかって行く彼女を見ながら、おれはひざに手をついてため息をもらした。

 あれだけ準備したのに。

 きっと彼女はあきれてしまっただろう。

 かっこ悪い。

 むかしから、肝心なところで失敗する。

 やっぱり適当なところで乗ればよかっただろうか。いや、それじゃ意味がない。彼女に話しかけられるように、この電車に乗ろうと思ったのだ。

 追いつけない距離に、おれはもう一度ため息をもらす。

 彼女はおれから遠すぎて。

 並みのおれと、優等生な彼女はちがいすぎて。

 不覚にも涙が出そうだった。

 彼女まで、あとどれくらいあるんだろう。

 くちびるをかんで、おれは顔をあげる。

 いや、こんなのわかっていたことだ。

 ぜったいあきらめない。

 どうせすでに恥なんてかきまくってる。

 いままでにだって、恥ずかしいことなんていくらでもあった。

 もう一度だ。

 あきれているほかの人間なんてどうでもいい。大事なのは、おれと彼女だ。

 はっきり彼女に断られたわけじゃない。

 まだがんばれる。

 おれは深呼吸して、列の後ろに並んだ。

 次こそは、彼女だけと話してやる。明日は寝坊しないよう、おれは今夜のことを考え始めた。

 

モドル ススム

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