彼女まであと 2
「ゆーすけ」
机に突っ伏していたら、友人の智が前の席に勝手に座っておれを見下ろしていた。
「智……」
「朝から元気ないじゃん。遅刻したわけでもないのに。どうしたんだよ」
「ほっといてくれ……おれはとりあえず今月分の恥をかいてきたんだ」
「は?」
智が妙な顔をする。
まあ、ふつうは意味わかんないよな。
おれもとつぜんこんなこと言われたら、いまの智と同じ顔すると思う。
今朝、おれはついに念入りにたててきた計画を実行に移そうとした。
つまり、おれの気になる彼女と仲良くなる計画だ。全貌はこうだ、まずは偶然をよそおって、彼女と同じ電車に毎日乗って彼女とあたりさわりのない会話ができる関係になる。うまくいけば、毎朝いっしょに登校できるようになる。それならさらにいい。
だいぶ打ちとけて、彼女がふつうに話せるくらいに仲良くなったら、おれは彼女に告白しようと思っていた。
だが彼女は超がつく恥ずかしがり屋だ。彼女に警戒されないために、自然に見えなければならない。
これは計画の第一段階だ。ここをなんとかうまくやり遂げなければ、すべては水の泡。それどころか、クラス替えが行われて、ただでさえ遠い彼女との接点はなくなってしまう。
二年のときのクラスメイトなんて、忘却のかなたにポイ、だろう。クラス会なんてよほど奇特なやつがいないと行われない。そうしたら彼女とは離れて行く一方だ。
だからおれはこれから三か月分くらいの勇気でもって、彼女に近づくための一歩を踏み出そうとした。
けど、肝心なところで失敗するおれの悪いクセが出た。
よりにもよって、大事な日に寝坊したのだ。しかも、おれの目の前で電車のドアが閉まって、彼女の目の前でおれはかっこ悪いすがたをさらした。
恥ずかしさのあまり、いっそ線路に飛び出していきたい気分だった。
つまりは、そういうことだ。
「ゆーすけ、ゆーちゃん」
ぼんやりしていたおれを、つつきながら智が呼ぶ。
「ゆーちゃん言うな」
「クラスの女子には呼ばれてるじゃん」
「あれは、美紀が言うからだ」
ふてくされておれはつぶやく。
美紀は幼稚園からの幼なじみ、いわゆる腐れ縁だ。小、中学校が同じになるのはわかる。けど高校まで同じにしなくてもよかったのに。
けど、彼女は美紀と仲がいい。美紀をダシ
に話しに行けるのは、ゆいいつ美紀に感謝してもいいと思えるところか。
「おふくろが呼ぶから、美紀までまねして呼ぶんだ」
「いけない?」
美紀がにやにやしながら近づいてくる。
いつから聞いてたんだ。
おれはふてくされたまま、ふんと顔をそむけた。
「当たり前だ。いくつだと思ってるんだ」
「いいじゃない。むかしっからそう呼んでるんだし」
「いいわけないだろ」
「悪くないよね。ね?水野くん」
美紀はわずかに首をかしげて智に言う。
智を抱き込む作戦か。
見慣れたおれは気にもならないが、美紀はそれなりに愛らしいタイプらしい。クラスだけでなく、他クラスにも美紀を気にしている男子がいると聞いた。
みんな、あっさり外見にだまされやがって。
「智、美紀につくなら今後数学があたっても教えてやんないから」
「えー、それはないだろ」
智が眉間にしわを寄せる。
「あったりまえだろ。おれを見捨てるなんて許さん。美紀もだ、ゆーちゃんなんて呼ぶなよ」
「かっこつけちゃってさ。呼び方なんてなんでもいい、くらいの余裕を見せなさいよ」
いいじゃないか。こういうところしかかっこつけられないんだから、せめて呼び方くらい選ばせろよ。
チャイムが聞こえてきて、おれは教科書を取り出す。
「さーて授業授業。美紀、帰れば?」
「冷たーい」
美紀が不満そうにうめく。
ひとをからかって遊ぶやつにやる思いやりなどない。
「中学校のときは夫婦って言われた仲なのに」
美紀は両手で目をおおって、しくしくと泣きまねをする。
そんなむかしの話、出すなよ。いまさら恥ずかしがるような話でもない。ただ、なんとなく疲れる、それだけだ。
おれはあきれてためいきをもらした。
「え、そうなのか?」
智が興味を持って机に乗り出してくる。
「むかしの話だって。ほら、中学くらいだと女子と仲良くすると、すぐそういうからかいが飛ぶだろ。こいつ、周りを気にしないから」
「あんたが遅刻しまくってたから、学級委員として先生にあんたを見てくれって頼まれただけよ」
「だいたいさ、おまえだっていやがってただろ」
「それはあんただっていっしょでしょ!」
「おまえのほうが顔真っ赤にして怒ってただろ。だからしかたなくおれが冷静かつ的確にそのうわさの芽をつぶして回ってやったじゃん」
あのときは大変だった。
おもしろがってやめようとしないクラスのやつらをなんとか止めようと、おれはあのときたぶん中学校三年間分くらい働いた気がする。
活動しているのかしていないのか、よくわからない中学生徒会とはちがい、おれはあのときもうこれ以上ないくらいはたらいた。
「そ、それはそうだったけどさ」
美紀がもごもごと口ごもる。
「感謝されこそすれ、いまさらそんな話持ち出されてもな」
冷静な声音で言いながら、内心おれは心臓バクバクだった。恥ずかしがればよけいにからかわれる。興味ない顔をしなければ。
だいたい、そんな大きな声で言うなよ。彼女に聞こえちゃうだろ!
おれは涼しい顔を保つのに、必死だった。
現代語の先生の朗読する声が聞こえる。
現代語って、読んで意味はわかっているはずなのに、なんで理解できないんだろう。
あくびをかみころして、おれはいつもの席に視線を移す。
ノートに書いている彼女は、あいかわらずいつもまじめに授業を受けている。ときどきうつらうつらしているおれとはやっぱりちがう。
きれいだな。
授業に興味を失って、おれはほおづえをつきながら彼女を見つめる。
彼女は愛らしいだけじゃない、きれいなんだ。
周りを気遣いすぎて、流されているように見える彼女だけど、意外と自分をしっかり持っている。譲れるところと譲れないところを、しっかり分けているのだ。だからただ流されるだけじゃない。
そういうところも、尊敬できる。
周りに合わせられるけど、ちゃんと自分も持っているのだ。
なんとなく周りに合わせて、自分はまあいいやと思っちゃうおれとはおおちがいだ。それで結局、あの呼び名だってちゃんとやめさせられない。けど女子相手にむきになってやめさせるのも、どうかと思ってる自分がいるんだよなぁ。
もっと彼女と近づければいいのに。
おれはため息をもらした。
やる気なさそうに掃除をしていたおれはいつのまにかもうみんな終わらせているのに気づかなかった。
というか、動いてるの、男だけじゃねえの。女子はどこに行ったよ、女子。
教室を見回すと、ぺちゃくちゃと机の間でしゃべっている。
いつ終わったんだよ。まだやってるやつだっているのに。
適当に動かしていたほうきをちゃんとゴミを集めながら、おれは教室の後ろに向かって行く。
まあたまにはちゃんと掃除した方がいいよな。
教室の後ろには、集められたゴミを見つめている男たちが集まっている。
缶やパックが落ちてる。自分でこれくらい捨てておけよ。なんでジュース缶やジュースパックが落ちてるんだよ。
なんか疲れてきた。
「これだけ拾って終わるか」
「は?待てよ、これ集めた意味ないじゃん」
班のやつの言葉におれは思わず反論する。
「けどめんどくさいし。明日は別の班がやるんだから、そいつらがやるだろ」
そういう問題じゃねえじゃん。
そう思ったけど、言えなかった。
さっさと缶とペットだけゴミ入れに捨てて、集めたはずのゴミを足でぱぱっと広げる。ゴミを目立たないようにした班のやつらも掃除を終える。
ゴミを見下ろして、おれはため息をもらす。
べつに潔癖症じゃない、と思う。多少ゴミが落ちてたって、おれもどちらかといえば気にならない、いいかげんなタイプだ。
けど、おれさ、やるときにはいいかげんに終わらすのいやなんだよ。やろうと決めたときにまでいいかげんだったら、いつやるんだよ。
だれかが、って、いつそのだれかって出てくるんだ?こういうのは気になるんだよな。
やつらが広げたゴミをおれは集めて、掃除道具箱に向かおうとする。
そんなおれの前に、彼女が立っていた。
「あ……」
「私、手伝うよ」
ちりとりを持っていた彼女はそれを持って床にひざを着いた。
「私もこういうの、気になるんだ。なんか、これまでやったことに意味がなくなっちゃうようで、いやだよね」
感動のあまり固まっていたおれは、無言で彼女の前に立ち尽くす。
だって、彼女が。
なんで?
掃除の係でもないのに。
おれに不審に思ったのか、彼女が顔を上げる。さらさらの髪がさらりとこぼれた。
「沢井くん?」
おれの名前、知ってたんだ。
自分でも間抜けな顔をしているだろう。
おれはほうきを立てかけると、しゃがんで彼女の持っていたちりとりをそっと彼女の手から取り上げる。
「ゴミ、入れてくれる?ちりとり持ってると、斉藤さんの服、汚れるから」
彼女はわずかに目をみはった。
「でも、沢井くんだって同じだよ?」
「おれはどうせ汚れてるし。男は多少汚れてても気になんないけど、女の子はやっぱり気になるかもしれないから」
「ありがとう」
はにかむように笑って、彼女は立ち上がるとほうきを手にする。
ああ、ものすごくかわいい。
思わずにやけそうになるのを、必死でおれはまじめな顔をとりつくろった。
「なるべくゴミがかからないようにするね?」
そんなことを言いながら、彼女はそろそろとちりとりにゴミを入れていく。
こういうところが、やさしいんだよな。
おれはちりとりを見つめたまま思った。
「いつも、あのくらいの電車に乗るの?」
おれは今朝のあのかっこ悪い姿を思い出す。
話の種になるなら、今朝の傷にふれるくらいなんてことない。
「寝坊しちゃってさ。次でもよかったけど、間に合いそうなときって、走りたくなるから」
思ってもいないことをおれはぺらぺらとしゃべる。
おお、おれにはこんな特技もあったのか。
クスクスと笑い声が上がった。
「それはわかるかも。なんとなく、走っちゃうよね」
かわいい。
今日の分の恥、かいて損はなかった。
ずっと話せればいいのに。
そうは思っても、ゴミなんてすぐ集められる。
おれは立ち上がると彼女からほうきを受け取った。
「手伝ってくれてありがとう。助かったよ」
「みんなの教室だから」
彼女がにこりと笑う。
もう限界だ。
おれはついくるりと背を向けた。
「返してくる」
これ以上彼女を見ていたら、まちがいなく顔がにやける。
(無心無心)
彼女でもなんでもないのに、にやにやしていたらおかしいだろう。
でも、今日はあの朝のおかげで、彼女と話せたのかもしれない。
次はやっぱり電車で。
明日こそ、同じ電車に乗るぞ。
それで、まずは彼女がふつうに話せる友人に。
おれはスキップしたくなるのを抑えて、ゴミを捨てて掃除道具箱に向かった。
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