プロローグ
「おやめください!」
「陛下に逆らうつもりか?」
階下から聞こえてくる怒鳴り声と悲痛な声に、チェルトは顔を上げた。
「父さん」
いすをけり倒して立ち上がる。
ばさりと読んでいた本が床に落ちた。
そんなことには目もくれず、チェルトは身をひるがえすとばたばたと階段を下りる。
「私たちのことは放っておいてくださるという約束だったではありませんか」
「状況は変わるのだ」
「そんな……」
「陛下がお召しなのだ。陛下に逆らうことは許さん」
「父さん!」
「チェルト!」
白い髪の混じり始めた父親が王の遣わした兵にしがみついていて、母親は床に座り込んでいた。
下りてきたチェルトに気づき、母親がバッと顔をあげる。
「上にいなさい!」
「母さん」
チェルトは母親に走りよると、母の背に手を回す。
「いったい……」
「チェルト」
こつりと音を立てて、チェルトの前に立った男の影に、チェルトと母がおおわれる。
チェルトは男を見上げると、大きく金色の瞳を瞠った。
「フィリップ……」
「我が陛下の命により、あなたを王都に招喚します」
「この子には、もう手を出さないと約束なさったのに!」
目に涙を浮かべて叫ぶ母親はチェルトをかき抱く。きっちりと軍服を着こなすフィリップをにらみつけた。
ちらりと母親に冷たい視線を向けると、フィリップが片膝をついてかがみこむ。
母親に抱きつかれているチェルトの耳に口を寄せ何事かささやいた。
チェルトの目が、こぼれんばかりに大きく見開かれた。
このままでは、父母だけでなく、村にまで被害がおよぶ。それは防がなければ。
震える手で、チェルトは母の腕をつかむとゆっくりと外した。
「チェルト?」
母がチェルトの顔をのぞきこんでくる。
うつむくチェルトの顔色は、うかがえなかった。
「母さん、僕、行かなくちゃ」
「チェルト!」
父親の悲痛な声が耳を打つ。
だが、耳を貸すわけにはいかない。
全ては、大切な人たちを守るために。
チェルトは顔をそむけたまま答えた。
「父さん、ごめんなさい」
ふらりと立ち上がったチェルトをうながして、フィリップが後に続く。
父のすがりついていた兵士の横をすり抜けるとき、
「後は陛下の仰せのように」
「御意」
小さく告げて、フィリップは家の外へと出る。
まだ茫然自失のチェルトの肩に、なぐさめるようにぽんっと手を置いた。
「さあ、参りましょう。陛下がお待ちです」
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