雪に願いを
―――みやこでは、星にねがいごとをすると、お星さまがかなえてくれるんだって ―――でも、この町じゃいつも雪がふってるから、星なんて見えないよ ―――うん。星見えないね。だから、雪にねがうんだよ ―――雪に? ―――そう。みやこじゃ雪なんてほとんどふらないでしょ?でも、ここは雪ならたくさんふるもん。きっと星よりもたっくさんふるよ。つまり、雪におねがいしたら、雪のほうがおねがいをいっぱいかなえてくれるよ!
暗い空から白いかけらがちらほら舞っている。 白い息をはき出しながら空を見上げて、巻いたマフラーをコートの下から引っ張って空気をふくめさせる。 いつもの場所へと急いで、雪道を走ると、小気味よくきゅきゅっと雪を踏みながらメルは息をはずませて小さなドアを開けた。 「ジョン!」 いつものあぶらくさいにおいが暖房のもわんとした空気とあいまって鼻をつく。 絵の具に汚れた服を着た青年が振り返る。 「メル?」 絵の具のついた手でこすったのだろうか、ほおにも絵の具の青がついていた。 メルは腰に手を当てて青年を軽くにらんだ。 「もう!ちゃんと片づけてって言ったのに。せっかくあたしが片づけたのにまぁた汚れてるじゃない」 「ご、ごめん」 困ったように頭をかいた青年を見ながら、メルはため息をもらす。 言ったって聞かないのはいまにはじまったわけじゃない。 描いている間は、すべてが遠い世界になってしまうのもわかってる。 食事や睡眠すら忘れて絵に没頭するどうしようもないやつだ。 それでも、メルが大好きなひとだ。 きれいな薄茶色の髪なのにいつもぼさぼさ、すぐ汚れるからと服もいいかげんで絵の具があっちこっちついているジョンは、アトリエ兼家にいるときがいちばんみっともない。 メルもそれは知っている。 けれど、そんなすがたがいちばんジョンらしくて、ダサいけどカッコいい。そう思っているのは秘密で、いつも辛らつに言ってしまう。 「あいっかわらずきったないわね。部屋もあんたも!」 「あははは」 ジョンは困ったように笑っていちおうメルの言葉を気にしているのか、はねた髪をなでつけた。 でも本気では気になんかしていなくて、言っても言っても聞いてくれないのも知ってる。 ジョンは絵が好きで、メルのことはべつになんとも思ってないのだから。 メルはジョンの前に置かれたキャンバスを見て、 「もうできたの?」 ドアから離れて歩み寄る。 「ああ、もう少しかな」 ジョンはキャンバスに視線を戻して筆をおいた。 ジョンは若いけれど、絵の才能はあるらしく、死後に売れ出す画家が多い中でもすでに顧客を持っている。ときには自分で描く絵ではなく、客から頼まれて絵を描いたりもする。 今度の絵は、有名な伯爵から頼まれたものらしい。町でもうわさになっていた。 愛らしい白いフードつきのコートを着た雪の妖精が粉雪の舞う夜の街で舞い遊ぶ絵らしい。なにを願っているのか、雪の妖精は空を飛びながら両手を合わせている。雪の妖精と雪と夜の街を照らす明かりが暗い夜空に妙にマッチした絵だ。 「絵はいつ見てもすてきよね。もうちょっとなんだ」 「うん……」 ジョンは絵に視線を戻すと、気乗りしない返事を返す。 メルは首をかしげた。 絵を愛してやまないジョンがこんなことを言うのはめずらしい。 「あんまり気に入ってないの?」 「そうじゃないんだ」 「じゃあどうしたの」 「実は、描き直そうかと思ってるんだ」 メルはもう一度絵に視線を戻す。 メルの目からは特におかしな点も見られないため、ジョンが気に入らない理由が思い当たらなかった。 「どこか不満なの?」 「……そう、かな」 「とってもいい出来だと思うけどなぁ」 「うん、ぼくもそう思うんだ」 「は?」 メルは呆れ声で聞き返す。 いい出来だと思っているのに、なぜ書き直したいのかわからない。 「ねえ、なにを言ってるか、自分でわかってる?」 「もちろんだよ」 「じゃあ、どういうこと?いい出来なのに、書き直すの?」 「いい出来だから、売りたくないんだ」 ますますメルはわからなくて首をかしげる。 ジョンの絵に対する情熱は尋常じゃない。 気に入らなければ自ら絵をめちゃくちゃにしてしまったことも一度や二度ではないし、気に入る出来になるまで何年もかかった絵もあった。その依頼人がたとえ王侯貴族や富豪の商人だとしても、妥協などしない。それが許されてきたのも、ひ とえにその才能ゆえだ。 何度もその富豪や貴族たちがジョンを抱えようとしたにもかかわらずそれを断ってきたのも、環境を変えたくないというジョンの固い意志ゆえだ。 会えなくなるのは悲しいけれど、ジョンの才能をこんな小さな雪の町にうずめてしまうのはあまりにももったいない。 そう自分に言い聞かせて、メルも何度もすすめたのに、ジョンは頑として首をたてには振らなかった。 しかたないとあきらめたのか、最近はそうした申し出もないし、メルもすすめたりはしなくなった。 そこまで才能を認められており、本人もまたその情熱を傾ける絵が出来がいいから売りたくないと言うのはメルにとってははじめてのことだった。 「ジョンが出来がいいって言うなら、伯爵さまよろこぶんじゃないの?なんで売りたくないの?」 「ねえメル、これ見てなにか思わない?」 ジョンが示した絵をメルはつぶさに観察する。 濃い紺色と青みの強い藍色の空に、白い粉雪がちりばめられ、夜の街の街灯や家々の明かりがきらきらとかがやく夜景だけでもじゅうぶん見るに値する。そんな中に、白いフードのついたコートに身をつつみ、きれいな茶色の髪を白いボンボンで二つに結び、そろいのような白いスカートと白い靴をはいている。 そんな愛らしい妖精が目を閉じてなにかを願っているのか、祈るように小さな両手を合わせている。 とても可愛らしい絵だと、メルも思う。 だが、ジョンらしい絵かどうかは別として、これといって思うところはない。 「なにかわかんないけど」 「ねえ、この子、メルに似てない?」 「あたし?」 メルは絵の少女に視線を落とす。 メルはきれいな栗色の髪をいつも二つに結っている。今日もいつもの髪型をして、赤いリボンで結んでいる。 言われてみれば、メルを小さくしたような少女だ。だが、絵の少女はそんなことを言われなければ雪の妖精に見える。 しかし、メルはどう見ても雪の妖精には見えない。 「あたし、じゃないよ」 「いや、メルだよ。絵が雪の妖精じゃなくなっちゃったから、売りたくないの」 その言葉は、メルは雪の妖精と呼べるようなものではないと言われたようで、悲しかった。 メルはぎゅっとこぶしをにぎった。 「どうせあたしは雪の妖精なんかにはなれないわよ!」 叫んでメルはジョンの家を飛び出した。 ひどい。 いくらなんでも、そんなふうに言わなくてもいいのに。 いつの間にか雪は成長し、大きなぼたん雪が降りしきっていた。 まるで、メルに好きなだけ泣けと言っているようだ。 「メル!」 ジョンの声がしたが、メルは振り返らなかった。 「メルって!」 ジョンが意外な運動能力を発揮したのか、それともメルがショックのあまりろくに足を動かせていなかったのか、あっという間に二人の距離は縮んでメルはジョンに腕をつかまれていた。 「放してよ!」 「メル、ちがうんだ」 「なにがちがうのよ!」 「あの絵は、途中まではたしかに『雪の妖精』を描いていたんだ。だけど、あの『雪の妖精』を書いている途中で、メルに似てるって思ったら手元に残しておきたくなってきて」 「え……」 メルは涙ににじんだ目をしばたたく。 髪と同じ栗色のまつげの先から涙が小さなつぶとなって飛んだ。 「『雪の妖精』じゃない。あの絵は、ぼくにとって『雪に願いを』なんだ。メルはいつも言ってただろう?この雪国では、星は見えないからって」 メルは小さなころのことを思い出す。 父と行商で王都に行った姉が土産とともに、教えてくれた。 王都では星に願いごとをするのだと。 でも雪に閉ざされたこの町では、星など見たことない。 それを言ったら、姉はだったら雪に願えばいいじゃないと言った。雪のほうが星よりも多いから積もる。だから、きっと雪に願った方がご利益があるって。 それを聞いたおさないメルは、ジョンにも教えに行った。 それで願ったのは――― 「メルとずっといっしょにいられますようにって、約束したじゃないか」 メルはぽろりと涙を流す。 そう、ジョンと指切りして、さらに雪に願った。 ジョンとずっといっしょにいられますようにって。 そんな約束、覚えているのは自分だけだと思っていた。 「ジョン……」 「たとえ絵でも、メルを他の人にあげるの、いやなんだ。だから、伯爵さまに売る絵は、描き直すことにした。あの絵は、うちに飾っておきたい。メルがいないときでも、メルがいるような気がするだろ?」 「あたしは、いつだってジョンの家にいりびたってるじゃん」 「まあね、本物に会えるのは、ぼくの毎日の楽しみだから。だから、メルが来るまで、あの絵を見ながら絵を描くよ」 にっこりと笑うジョンを見て、メルはさらにぽろぽろと泣き出す。 「泣くなよ」 「だって、ジョンがジョンらしくないこと言うから……」 泣いているメルの頭をよしよしとなでていたジョンが大きなくしゃみを連発する。 メルが顔をあげると、鼻をこすってジョンが笑った。 「ごめん、薄着だったかな」 よくよく見ると、上着も着ずに追いかけてきていたらしい。小さな村だから、村人たちもまたやっているとばかりに、苦笑して通り過ぎていくだけだ。 メルは泣き笑いをして、ジョンの腕を引いた。 「帰ろっか」 「そうだね。あの絵、完成させなきゃ」 「うん!」 今日も雪が降る。 降りしきる雪の下、メルはもう一度雪に願った。 これからも、ずっとジョンといられますように。
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