婚約者
1. これは、本編よりも五年ほど前の話。 ユークリフトは頭を抱えていた。 (どうしたものか……) 父から突然、婚約者とやらの話を聞いたのはつい今朝の話だ。 「なんでまたよりにもよってぼくが……」 25にもなって独り身というのは……と父が長い間嘆いていたのは知っている。 だが、今は仕事の方が楽しいし忙しいのだ。 なんといっても、新しくユークリフトの主となったティルティス殿下とやらはひどく気難しい方だ。 ティルティス殿下が王太子として立たれたのはほんの二年前で、そのときの御年わずかに8つ。 幼い頃からびしばしと鋭い大人たちの視線の中で育てられたからか、ティルティス殿下は生気に欠ける。 ちょっと目を離すと何をするかわからない弟殿下ほどではないにしても、ティルティス殿下の言動も十分危ぶむに値する。 その上、団長がけがをして引退して、団長交代劇が行われたばかりなのだ。第二騎士団には落ち着きが戻ってきたが、まだ王城内は落ち着いていない。第一騎士団はおいておけるとしても、第三騎士団がそわそわしているのは目に余るほどだ。 人手が足りない第二騎士団が忙しくて目が回るほどのこのときに、そのようなことに気を回している余裕は、ない。ただでさえ、ユークリフトは団内で最年長なのだ。まだ若い団長を補佐しなくてはならない。また、それを前団長から頼まれている。 (どうやって断ろうかな……) ユークリフトの悩みはつきないのであった。
2. さっさと家を逃げるように飛び出したユークリフトは職場へとやってきていた。 城内を歩いていたところ、前方から歩いてくる小柄な少年と黒髪の男が見えてくる。 ユークリフトは毎日顔を突き合わせている面々と知り、手を上げた。 「団長、殿下」 その声に、黒髪の男が疲れたような顔をあげる。 「ユークリフトか」 「どうなさったんですか?朝から城内を歩いていらっしゃるのはめずらしいですね」 大人がきらいなのか、はたまた人間と接触するのがいやなのか。 幼い王太子は部屋に引きこもりがちなのをユークリフトはこの二年で学んでいる。ティルティス殿下は現王の晩餐すら、断って一人部屋で済ませてしまうことも多い。 だが、公務のときには文句もいやな顔もせずに人前に出られるところを見るため、貴族連中がただのわがまま王子と思っているのも知っている。10歳にして、ティルティスは王子としての自分を演じられるのである。それが、ユークリフトとアルベルトは心配の種でもあった。 だからか、ついユークリフトはいつも以上に笑顔をふりまいて小さな殿下に視線を落とす。 整いすぎた美貌の少年は、無感動なガラスのような碧い瞳に一抹の困惑を映してユークリフトに向けた。 「セシルが」 「セシル殿下?あのちっこい殿下がどうかなさったんですか?」 ユークリフトは聞き返す。 この王子は自分の感情を自分の中に閉じ込めてしまう傾向があるので、ユークリフトとアルベルトは騎士団員にどんなささいなことでも少々しつこいくらいに王子からはきださせることを徹底していた。 ティルティスは迷うように視線をさまよわせ、そしてユークリフトに戻した。 「私の部屋に犬を」 「犬を?」 「犬を連れ込んで、暴れているんだ」 ちらりとアルベルトに視線をやると、 「正確には、はしゃがれて、めちゃくちゃにされた。侍女たちが片づけるために我々も追い出されたということだ」 眉間にしわを寄せ、苦々しく告げた。どんなことがあってもぴしりと制服を着こなすアルベルトの制服がしわくちゃになっていて、疲れた顔をしているのはそういう理由だったらしい。 ユークリフトはちょうどいいと思い、二人を誘った。 「それは災難でしたね。では、しばらく第二騎士団の団長室に行きません?聞いてほしいこともありますし」
3. 団長室の来客用ソファーに落ち着いて、ユークリフトはやっと一息ついた。 「ふう、この部屋は静かで落ち着きますね」 「ユークリフト」 「はい?」 アルベルトが気難しい顔でユークリフトの顔を見つめていた。 「なにかあったのか?おまえが聞いてほしいことなんて、めずらしい」 「ええ。実は、父に縁談についての話を切り出されまして」 「縁談?」 ティルティス王子が小首をかしげて聞き返す。 「悪い話ではないだろう。なにか問題でもあるのか?」 アルベルトもそう問題意識を持っていない。 わかってもらえると思っていただけに、寂しく感じて、ユークリフトはつい声を荒げた。 「問題?大有りですよ!ぼくはまだ結婚するつもりはないんです。それに、この忙しいときにそんな悠長なことかましてるヒマなんてありません」 「だが、ユークリフトはもう25なんだろう?」 「まだ25です」 ティルティスの言葉にすぐさま訂正を入れる。 「早いわけではないと思うが。むしろ、遅いのではないか?」 「遅い早いの問題ではないんです。気持ちの問題です」 「なんだ、ユークリフトは結婚に夢を持っているのだな」 まだ10の王子に言われ、ユークリフトは目をむいた。 「え?!」 アルベルトがちらりとティルティスに視線を送る。 それには気づかずに、ティルティスは小さくうなずく。 「まあ、それは個人の自由だろう。いいんじゃないか?」 ユークリフトは思わずアルベルトに視線を向ける。 ティルティスは大国エセルヴァーナの第一王子だ。だから恋や結婚といったものを、自分の意思で行うのは難しいだろう。だが、これではあまりにも――― 二人の考えには気づかず、ティルティスはユークリフトの悩みの原因をけんめいに考えている。 「気持ちの問題ということは、相手が問題なのか?」 「え?」 「えって、なんだ?」 ティルティスがいぶかしむようにユークリフトを見上げる。 ユークリフトは眉根を寄せ、うーんとうなった。 「そういえば、だれか聞いてませんでした」 アルベルトとティルティスが示し合わせたように同時にはあっとため息をもらした。
4.
(そうか、肝心の相手を知らないと、断るにも理由を作りづらいなぁ) いまさらながらそのことに気づいたユークリフトは、腕組みしながらうなっていた。 あきれ果てた殿下と団長のいる部屋をあとにして、廊下を歩きながら考え込む。 (とはいえ、いまさら聞きに行くのはしゃくだなぁ) 聞かねばならないことはわかっているが、自分から聞きに言ったらまるでとても興味があるみたいにみえる。 乗り気であるなどと勘違いされては困るのだ。 まだまだ気楽な独り身でいようと思っていたのに。 「おや、ウェラキッシュ殿。このたびはおめでとう」 あまりめでたくなさそうな声をかけられて、考え事に没頭していたユークリフトは我に返る。 言うだけ言って満足したのか、すたすたと歩いていってしまっている財務卿テルフィルドがいた。 「あ、え?!もしかしてライサス殿はぼくの婚約者についてご存知なんですか?!」 あわてて聞きにいくと、振り返ったテルフィルド卿は小さくうなずいた。 「もちろん。お父上はあなたが身を固めることになるのがよほどうれしかったと見えて、あちこちで吹聴してらっしゃいますから」 (ちょっと待て!!それって逃げ道をなくすためじゃないのか?!!) ユークリフトを追いやって断るに断れない状況を作り出そうとしているとしか思えなかった。 ずんずんと進んでいって、ライサス卿の両肩をがしっとつかんで真剣なまなざしで告げた。 「そのことについて、知っていることをくわしーく教えてください!!」
5.
王城の中庭のベンチに無理やり座らせて、ユークリフトはライサス卿に真剣な顔を向けた。 「それで、ライサス殿は父からなにをお聞きになったんですか?」 「なにをと言われても困るが。婚約することになったんだと、あなたのお父上が語っていらしたので興味深いと思って私も拝聴させていただいただけだ」 あまり興味のなさそうな声音でテルフィルドは言った。 「いったいどこのだれと?!」 「ご自分の婚約者なのにご存じないんですか?」 「ぼくは婚約するつもりはないんです!」 気楽な独り身生活をもう少し満喫してからでも結婚は遅くはない。 「だいたい、ぼくには手のかかる人がいるんです。とてもほかのことに時間も手間もかけていられません」 ティルティス殿下というちゃんと見ていないとどうしても不安になる不安要素満載の主がすでにいる。 それだけでなく第二騎士団はただでさえ問題が多いとあちこちから指摘されている部署だ。いろいろと考えなくてはならないことが山積みなのだ。 「だいたいなぜ突然父が婚約などと言い出したのかもわからないのに」 「え、祖父の代からの約束だと聞きましたが」 聞いてないよ、オヤジ殿。 ユークリフトは額に手を当てた。 「祖父の代の約束?」 「ええ。ですが祖父君の子はどちらも男子で、かなわなかったとか。そこで孫の代に白羽の矢が」 「勝手におし進めてるんですか」 だいたい、いつの約束だ、とユークリフトは叫びだしたかった。 そもそも亡き祖父だってそんなことはひと言も口にしなかった。そんな口約束、無効だろうと言いたい。 「やはりここは、その女性に会ってともに父上たちを説得するために戦ってもらわなくてはなりませんよね」 「お会いしたいんですか?」 興味があるからじゃない。 ただ、この婚約を断るためにはやはり双方の孫たちが否と大きな声で叫ぶしかないだろう。 (たとえ父上や相手方が泣き落としに来ようと脅しに来ようとも跳ね返さなければ) なにせ結婚する気など爪の先ほどもない。 ふふふと低く笑い出したユークリフトをへんなものでも見るような目でライサスが見つめる。 「あ、副長!」 とたとたと走ってくる小柄な少年を見て、ユークリフトは目を丸くする。 「ライ?」 「殿下が呼んでたぞ!なんでも、火急の用件って」 「え?!」 火急の用件ってなんだ? またセシル・ちっこい殿下が暴れたのだろうか。 それとも今度は無理難題を押し付ける陛下の方だろうか。 はたまた困る殿下を見てよろこぶミズ・サディスト・妃殿下だろうか。 ユークリフトはさっと顔色を変えて立ち上がった。 大事な主を助けなくては!
6.
「殿下!ご無事ですか!!」 勢いよくドアを開けはなって部屋に入ったユークリフトは困り顔の主を見つけた。 麗しの主の前には、年齢不詳の美貌を誇って王の寵愛を独占する妃殿下の姿があった。 「あら、副長。ゆっくりしてらしたのね」 優雅な手つきで紅茶に口をつけながら、妃殿下は笑顔を向けた。 (三番!) ユークリフトはこの主の母は苦手だった。 (この年齢不詳のところが人間離れしてて怖い) 主の妃殿下譲りの人間離れした美貌のことは棚に上げて、ユークリフトは心の底からそう思っていた。 「妃殿下、どうなさったのですか?」 「あら、あたくしがあたくしの息子の顔を見に来るのに理由など必要かしら?」 「いえ、お忙しい御身の上だと存じまして」 「忙しくても愛しい我が子のご機嫌をうかがいに来る時間くらいあってよ。ねえ、ティルト」 「はあ……」 かろうじてあいづちをうったティルティスを見て、心外とばかりに妃殿下はきれいな碧い目をみはった。 「んまあ、なぜそんないやそうな顔をなさっているの?あたくしのことがお嫌いなの?」 「いえ、そんなことは……」 すっかり内心を押し隠して、ティルティスは表情の見えない無表情になってしまう。 「そんなことを言って、お顔は正直ですわよ」 ほほほほほ、とコロコロと笑い出す。 たしかに無表情の中にかすかに困惑が混ざっているのが見える。 (すごい、これがわかるなんて。たぶん殿下の表情がわかるのはぼくとアルベルトとライと陛下たちだけなんだろうな) さすがは妃殿下、ティルティスの母だ。 「そうそう、今日はあなたに会いに来たのです、ウェラキッシュ卿のご子息」 「え?」 そこはかとなく、いやな予感がした。 「あなたがお会いしたがっているだろうと思いまして、こうしてお誘いいたしましたの。さ、どうぞ」 妃殿下の横で圧倒されていた小さな顔がひょこりとのぞかせた。
7.
この自分の衝撃を、どのように表したらいいのだろう。 ユークリフトは突然石になってしまったように固まった。 ティルティス王子殿下に瓜二つの王妃の横には、ティルティス殿下くらいの幼い顔立ちの小さな姫君が座っていた。 背中に流れた髪はまっすぐなクセのない黒い色をしている。 きれいな黒い目がユークリフトをとらえている。 ほおに紅を差したような、愛らしい少女だった。 いずれはきっと、美人になることだろう。 だが、ユークリフトと比べるとあまりにも小さかった。 「え……?」 「紹介しますわね、ウェラキッシュ卿のご子息。こちら、エレン・キースバーグ嬢。キースバーグ子爵のご令嬢よ」 王妃殿下の紹介に預かり、小さなレディは座ったままぺこりと頭を下げた。 「え……?ええっ?!」 思いもしない展開にさすがのユークリフトも目をむくばかりだ。 婚約者の話は父に聞いていた。 テルフィルド卿に詳しく聞きもした。 けれど、これほど小さなお嬢さんだとは思いもしなかった。 いくらなんでも年が離れすぎていないだろうか。 ユークリフトはどうがんばっても青年だろうが、エレン嬢はどう見ても少女だ。 (これはいくらなんでも無理があるだろう) 祖父の約束と、能天気にもあっさりと承諾した父が恨めしかった。 妃殿下はなにがそんなにおもしろいのか、というくらいに笑顔を振りまいている。 「なにをそんな間抜けな顔をなさっているの?いやですわね」 「え……というか、あっさりと受け入れている妃殿下にもおどろいていますが」 「まあ。大事な息子の大事な騎士のことですから、こう見えてもあたくしはとてもよろこんでいてよ。ねえ、ティルト。あなたも自分の騎士のことですもの、うれしく思っているわよね?」 突然振られてもティルティスは母親の言葉に流されはしなかった。 「よほどのことでないかぎり、騎士の私生活にまでは干渉しないことにしています。私の承諾や祝福は求められていないと考えていますが」 「困った子ねぇ。主の祝福を受けてうれしくない者がいますか。あなたがことほがないで、だれがするのです」 妃殿下の矛先はティルティス殿下に変わった。 ティルティスがすいっとユークリフトに視線を移す。 それでティルティスの考えに思い至って、ユークリフトはさっと立ち上がった。 「あ、ええと、せっかくですから、ぼくらは席をはずしましょう。ねえ、エレン嬢」 「え?」 少々強引だったが、エレンを立たせてユークリフトはそそくさとティルティスの部屋を後にした。 「お待ちなさい。まだあたくしの話は終わっていなくてよ?」 という妃殿下の言葉は聞こえなかったことにした。
8.
外に出たユークリフトはため息をついた。 まったく、みんな、なにを考えているのだろう。 「あ、あの……」 子ども子どもした、愛らしい少女が声を発する。 思い出したようにユークリフトは振り返る。 「ああ、すみません。連れ出してしまって」 ユークリフトはあらためて、まじまじと少女を見つめる。 少女はどう見積もっても、十五はいっていなさそうだ。つまりは一回りはユークリフトとちがうということになる。 実にかわいらしいが、ユークリフトと少女では、年が離れすぎている。 王妃殿下のじょうだんだと思いたかった。 ハッとして、それはいい考えだとユークリフトは思う。 そうだ、王妃殿下のじょうだんにちがいない。 あのひとは、いつだってひとをからかうのをたちの悪い趣味にしていたではないか。 「王妃殿下にきつく言われて、あの場にいらっしゃったのですか?」 「いいえ。ちがいますわ」 あれ? ユークリフトはなんとか笑顔を維持した。 「では、その、王妃殿下といっしょに僕をからかっていらっしゃったのですか?」 「ユークリフトさま、私は会ってみたかったのです。父の言っていた、婚約者に」 「え?」 「祖父の代であなたのウェラキッシュ家と約束を交わしたのは、我がキースバーグ家です。我が家には女子は私しかおりません。つまり、私が、あなたの婚約者になりますわ」 騎士だというのに、情けないことに気が遠くなりそうだった。 意外としっかりしているが、この少女はティルティスと婚約するのだと言われたほうがずっとしっくりくる。 ユークリフトとエレンと、ふたりして、からかわれているのだろうか。 キースバーグという名にたしかに聞き覚えはある。父も懇意にしている家だ。ときおり家を行き来してはふたりして飲み交わしているのも何度も見ている。 けれどキースバーグ家がそれほど困窮しているという話も聞かないのに、なぜ結婚を急いでいるのか。 (いや、僕のためか?) いやしかし! ユークリフトは考え直す。 むしろこれこそ、断る最高の理由にならないだろうか。 まだ結婚などしたくないのだ。 そして、この小さな少女だってきっとまだ結婚なんて早すぎるはずだ。 「エレン嬢、いっしょに戦いましょう」
9.
「あなたはこの婚約、おとなしく受ける気なんですか?」 エレンはぱちぱちとまばたいている。 「あなたから見たら、僕はまあ、おじさんでしょうね」 自分で言うのは悲しいが、そう見えても仕方がない。 エレンはあわてて両手を振って否定する。 「そ、そんなことは……」 「いいえ。事実でしょうからわかっています。まあ、いろいろ不都合がみえてきたわけじゃないですか。父をやりこめるのにいい理由ができたというわけです」 「は、はあ」 「あなただって一回りもちがう男との婚約なんて受けたくないでしょう?ここはひとつ、僕といっしょに双方の親を説得するしかなさそうではありませんか?」 小さくても女性に恥をかかせるわけにはいかない。ここはユークリフトを気に入らなかったとエレンにしてもらうのがいちばんだ。 「つまり、僕が気に入らないとあなたのお父上に言っていただければ、いくら約束なんてモノがあったとしても、娘の気持ちの方が―――」 「まあ、ユークリフトさま。私のせいで、この婚約が流れたことになさるおつもりなんですか?」 心外とばかりに、エレンは目を見開く。 「え?で、ですが、あなたを気に入らないと僕が言うのも、あなたにとって不名誉だと思うんですが」 「私は、おじいさまにこの約束の話を何度もお聞きしてきました。おじいさまは、一日も早くこの約束が果たされる日を待っておられるのです」 (キースバーグのご隠居はまだ健在なのか?) 亡き祖父とほとんど年も変わらないというのに、まだ元気らしい。いいことといえばもちろんいいことなんだが、これを老害といわずしてなにを言うべきか。 (だからやたらとこの約束を進めたがっているのか) ユークリフトの祖父が亡くなってからずいぶん経っている。せめてキースバーグ家の前当主が健在のうちに、という流れにでもなっているのだろう。 「エレンさんはいいんですか?こんないいかげんな約束の上になっているうえに、まったく知らない相手と婚約するなんて」 「なにがきっかけであったとしても、縁があったのだと思います。それに、これからいくらでも知っていく機会もあるでしょう」 (思ったよりも大人だな) 子どもなのは、むしろユークリフトのほうなんだろうか。 (だが―――) だからといって、一回りも年のちがう婚約者などなにを言われるかわからない。 (どうする、僕?!) 笑顔を浮かべた少女を前に、ユークリフトはくちびるをかんだ。
10.
「それで、わしを訪ねてきたというわけか」 目の前の老人は腕組みをしながらユークリフトを見つめる。 制服ではなく、私服で訪れたユークリフトは出された紅茶に手もつけず、老人―――隠居しているキースバーグ卿を見すえる。 「あなたと我が祖父の思いつきで、お孫さんを犠牲にする気ですか?」 「痛いところをついてくるな」 キースバーグ卿はふうっと小さくため息をもらす。 「たしかに、約束を交わしたのはわしたちだ」 「でしょう?だったら―――」 「だが、あの約束の履行を言い出したのはあれだぞ?」 「あれ?」 「エレンだ」 「ええっ?!」 あの小さなお嬢さんが言い出した張本人? 「なんですって?」 「約束をしておきながらそれを破棄するなんて、キースバーグ家の名折れだ、と。言い出したのはあの子だ」 「そんな……」 個々人の口約束までは責任など持てない。その人物が責任を持つべきだろう。 (家の名誉のため言い出したあの子と、ぼくがいつまでたっても身を固めないことにしびれを切らした父の利害が一致したから?) だから今回のこの婚約なんて話になっているのだろうか。 「わしらのヒマゴに、なんて話になったら、また約束を延ばすことになる。それに、ウェラキッシュ卿の子息は貴殿だけ。子ができるのはいつになるのやら、と貴殿の父君がおっしゃっておられたからな」 「それで、お孫さんはその気に?」 やっぱり父の陰謀だったか。 ユークリフトは疲れきったようにため息をもらした。 「すみません、父がお孫さんをそそのかしたようなものですね」 「だがわしは、悪い話ではないと思っておる」 「はい?」 「でしょう、おじいさま」 ドアの向こうから高い声がして、部屋にエレンが入って来る。 いつから聞いていたんだろう。ユークリフトは目をみはった。 「エレン嬢」 「私も少しはあなたについて調べましたのよ?べつにすぐに結婚しようなんて言っていませんわ。ただ、お互いを知る期間をもうけましょうと、言っているだけです」 「まさかあなたも仕掛け人のひとりだったとは……」 わざわざ王妃殿下といっしょにいたのも、あのうわさ好きな王妃殿下の口から広めてもらうためだろう。 エレンはキースバーグ卿の横に立って、にっこりと笑った。 「くえないあなたには、私くらいがちょうどいいんですわ」 「言ってくれますね」 「うふふ。これで反対しているのは、いまのところあなただけですわね。どうなさいます?」 エレンはにこにこしながら訊ねてくる。 本当に気に入られているのだろうか。新たないじめのような気がしてならない。 うんざりしたようなユークリフトの顔を見て、 「困った孫娘ですが、あなたを気に入っているのは本当です。どうか、邪険にせずにひとつよろしく頼みます」 キースバーグ卿が座ったまま頭を下げる。 負けそうな気がひしひしとするのは、きっと気のせいではない。 ユークリフトはいずれ腹をくくらねばならないかもしれないと、すでに弱気になっていた。
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