王都からの手紙


 

 戸を開けて居間に入ると、微笑みを浮かべた父がソファに腰をすえていた。

 セージは久々に見る父のそんな顔に、首をかしげた。

「父上、何かいいことでもあったのですか?」

「セージか」

 ゼオライト伯爵が目を細めて顔を上げる。

 ゼオライト伯爵の手の中にあった紙がかさりと音をたてた。

 セージはそれに目を落とす。

「手紙、ですか」

「ああ。ジークからだ」

「ジークから?!」

 セージは思わず声を裏返す。

 突然届いた王都からの手紙のおかげで、かわいがってきた弟が王都に発ってしまったのはすでに一月近く前の話だ。

 父といっしょに何度も止めたのに、変なところだけ頑固な弟は何を言っても聞かなくて結局出て行ってしまった。

「父上、僕にも見せてください」

 ずかずかと近寄ると、ゼオライト伯爵はもったいぶるようにそれを後ろに隠した。

「待て。まだ私も読んでいる途中なんだ」

「ずるいですよ、父上。一緒に読ませてくださってもいいじゃないですか」

「時間はあるだろう、急いで読むこともあるまい」

「そんなことおっしゃらなくてもいいじゃないですか。僕だってジークのことは心配していたんですよ」

 セージが手を伸ばすが、伯爵はすかさず立ち上がってセージの手から逃げる。

「私が読んでからだ!」

「けちくさいことを言わずに見せてくださいよ!」

「あて名は私なんだぞ!私が優先されるべきだろう!」

「父上をはじめとした、僕たち家族にあてられているんですから、僕にも見る権利はありますよ!」

 部屋の中を逃げる伯爵をセージが追う。

「別に減るものではないんだ、私が先に見たっていいじゃないか!」

「僕だって何も先に見せろなんて言っていませんよ!ただ、一緒に見せてくださいって言ってるんです!何をそんなにもったいぶっているんですか!」

「いい大人が何をしているんですか、あなたたちは!」

 突然割り込んできた声に、伯爵とセージは伯爵がぴたりとその場に立ち止まる。伯爵が持ち上げた手紙を、セージが取ろうと手を伸ばした姿勢で二人は固まっている。

「おまえ」

「母上」

 ばつが悪そうに伯爵とセージが顔をしかめる。

 肩口で切りそろえた髪を揺らして、戸口に仁王立ちで立つ女性こそ、ゼオライト家の影の権力者、セージとジークの母エマである。

「メイドたちが困っていましたよ。恥ずかしいと思いなさいませ!」

 口を開きかけて、伯爵が口を引き結ぶ。

「母上、これは父上が悪いんですよ」

 セージは不満げに口を開いた。

「セージ、あなたもいっしょになってやっていたのでしょう?お父さまだけのせいにはできませんよ」

「父上がジークからの手紙を隠そうとするから、いけないんですよ」

「ジークからの手紙?」

 エマが伯爵を見ると、伯爵は持っていた手紙をさりげなく下ろして隠す。

 長年伯爵と過ごしてきたエマはそれに気づいて伯爵に近寄る。

「ジークからの手紙、本当ですか?」

「あ、ああ」

 国王陛下だけでなく王都の貴族すら恐れさせる東の獅子も、妻には弱かった。

 エマに弱い伯爵はしぶしぶうなずく。

「そうですか」

 ひょいと伯爵が隠していた手紙をあっさりと奪い取ってエマはソファに腰かける。

 セージと伯爵がその横にそれぞれ座った。

「あの子が行ってしまって、もう一月もたつのですね」

 エマが感慨深げにつぶやいて、封筒をなでる。

 封筒には丁寧な懐かしい文字で伯爵の名が刻まれている。それがちょっぴり妬けてしまう。

「同じ王都からの手紙でも、受ける気持ちは全然ちがいますね」

 もう一枚の王都からの手紙のことを思い出して、エマがつぶやいた。


 


 


 

 王都から手紙が届いたのはジークの手紙が届けられるのから一月と一週間前だった。

 それを手にした伯爵はぎりぎりと奥歯を鳴らした。

 手紙には簡潔に短い文が書かれていた。

 要するに、エッディフトからの人質としてジークを差し出せと、遠まわしに書かれていたのだ。

「バカにしくさって」

 伯爵はぐしゃぐしゃとそれを丸めてゴミ箱にぽいと捨てた。

 辺境ほど王都からの支配が弱まるのはわからないでもない。特に、このエッディフトは王都から遠いだけでなく隣国とも接している。

 隣国と通じられて、内部から反乱を起こされてはたまらないと考えるのももっともだろう。

 理解はできても納得できるものでもない。

「父上、どうなさったのですか?」

 たまたま休暇で家に戻ってきていたジークが廊下を歩いていたらしくひょこっと顔をのぞかせた。

「ああ、ジークか」

「機嫌が悪そうですが、どうかなさいましたか?」

「いや、ちょっと、な。つまらんものを見てしまった」

「そう、ですか」

 いまひとつ要領を得ない伯爵の物言いにジークが首をかしげる。

「エッディフトから、人質を差し出せと言って来たのだ」

「人質、ですか」

「こんなばかげたもの、のめるものか。私はすぐに返事を書く準備をしよう。メイドに言って私の部屋に来るように伝えてくれ」

 不愉快だ、と伯爵は部屋を出て行く。

「父上?」

 その背をぼんやりと見ていたジークは、ゴミ箱に視線を移す。

 のそのそと歩いていって、それに手を伸ばした。

 くしゃくしゃに丸められた紙を丁寧に広げて、ジークはそれを読む。

 視線を上下させていくにつれ、ジークの顔がこわばっていく。

「これは……」

 手紙を持つ手に、自然に力が入った。


 


 


 

 伯爵は不機嫌もあらわにずかずかと廊下を歩いて行く。

 エッディフトの第四騎士団の騎士寮に現れた領主の姿に騎士たちはおどろくとともに忘れずに礼をする。

 だがそんなものも目に入らないくらいに伯爵は厳しい表情で通路をずんずん歩いて行く。

 目的の部屋について、ノックもせずに戸を開けた。

「どういうことだ、ジーク!」

 予想通り部屋にいたジークは突然の父の来訪にもおどろかずにゆっくりと振り返った。

「ああ、父上。どうなさいました?」

 あのときのようにのんびりと訊ねるジークの様子に、伯爵の怒りはどんどん増していく。

「ジーク!これはどういうことだ!」

 伯爵はジークの面前に紙を突き出す。

 王都から風術便で届いた手紙には、伯爵の手紙を受理したという旨と、ジークの着任予定日が記載されていた。

 それをぱちぱちとまばたいて見ていたジークがわずかに首をかしげた。

「これが?」

「私は手紙など出してはおらんぞ」

「僕が出したんです」

 予想通りの答えに、伯爵は眉をつり上げる。

「私は引き受けるつもりなどなかった!勝手なまねをしおって!」

「父上」

 激昂する伯爵を前にしながら、ジークは穏やかさを失わない。

 あくまでも静かに、ジークは告げる。

「今回の話、断れるようなものではないのでしょう?」

「そんなことはない!」

 伯爵は言い切った。

「いいえ。知っています。受け入れられることを前提に、書かれていました」

「やつらはもともと勝手なのだ。ああいう書き方とて日常茶飯事だ」

「父上、王都を、国王陛下を敵に回すわけにはまいりません」

「敵にはならん。私の意見は、やつらとて無視できぬ」

「無視できなくとも、確執が生まれるでしょう。僕は、最善の策だと思いました」

「おまえを差し出すことがか?!」

「はい」

 ジークがあまりにも穏やかにうなずいたので、毒気を抜かれて伯爵は言葉に詰まる。

「こんなことで、領民の生活をおびやかすわけにはいきませんし、僕は父上や母上、兄上の足を引っ張りたくはありません」

「何を言うのだ、引っ張ってなど……」

 思いがけないジークの言葉に伯爵はうろたえる。

 ジークはゆるゆると首を振った。

「父上。僕は、父上と母上、兄上、それにこのエッディフトの民が僕のことを守ってきてくれたように、僕もみんなを守りたいんです」

 ジークの瞳は、まっすぐに伯爵を見つめる。

 そのかげりのない瞳に伯爵は言葉を失う。

「父上。僕もみんなの役に立ちたいんです。やっと、僕が役に立てるときがきたのではないでしょうか」

「だが、王都に行けば帰ってこられるかどうかもわからんのだぞ」

 それどころか、生きていられるかどうかもあやうい。

 そんなところに、大事な息子を出したくはない。

 伯爵は苦しげにつぶやく。

「セージなら、おまえの兄なら王都でもおそらくやっていけるだろう」

 伯爵の似なくていいところだけを、セージは受け継いでいる。

 だが、ジークはそうではない。

 王都にはびこる貴族的考え方の人間たちにとても太刀打ちできるとは思えなかった。

「おまえは……」

「父上。兄上はエッディフトに必要な方です。兄上をエッディフトから失うわけにはいかない」

 伯爵は聞きたくないとでも言うように頭を振る。

 そんなことはわかっている。

 家族一緒に、この土地で暮らしていくことしか頭にはなかったのだから。

 伯爵がぽつりとつぶやく。

「私は、私はおまえに陽だまりの道を歩いてほしい」

 未来への希望の光にあふれた道を歩いてほしい。

 伯爵の血を引くとも、武術を得意とするウェンド族の血を引くとも思えない、素直で穏やかなジーク。この辺境でのびのびと育っていくさまを見守っていくつもりだった。

 中央の、表向きには飾っているのに腹のそこでは何を考えているのかわかったものではないようなタヌキやキツネとかかわらせるつもりは毛頭なかった。

 化かし合いなど、自分だけでたくさんだ。

「どろどろした場所に、自分から足を突っ込む必要はない。おまえはそんなことをしなくていいんだ」

 ジークはゆっくりと首を振った。

「父上、僕はもう決めたのです。それに、心配なさらなくても、大丈夫です。僕も父上の子ですから」

 不安もあるものの、ジークはそれほど心配はしていなかった。

 ジークは辺境の獅子、ゼオライト伯爵の子だ。

「父上や兄上のようにはできなくても、遠くても父上が守ってくださいます」

 父の威光は遠く離れた王都にまで及ぶと聞く。

 だから、不安はあっても心配はしていない。

「僕にはいつも、家族がついています」

「ジーク……」

 伯爵は今度こそ言葉を失った。

 穏やかなのに芯は強いジークは、一度決めたら曲げたりしない。

 言い出したら聞かないのは、二人の息子に共通するところだ。

 伯爵は口を引き結び、ぐっと歯に力をこめた。

「私は認めないぞ」

「父上」

「こんな勝手など、断じて認めないぞ、ジーク」

 眉を寄せたジークがふっとさみしそうに笑った。

 伯爵とセージの説得もむなしく、その二日後、ジークはエッディフトを出た。

 親不孝な息子を許してほしい。

 いってきます、と書かれた一枚の手紙を残して―――

 その顔は、あれから伯爵の頭から離れない。

 ふとするごとに、伯爵の脳裏をよぎる。

 一日たりとも、ジークのことを考えない日はなかった。

「ジーク、楽しそうですのね」

 エマの声に伯爵は我に返る。

 手紙をのぞくエマとセージの顔にも微笑がのぼっている。

 久々に見る、家族の笑みだった。

 そこで初めて、伯爵はこの一月、家族の間がぎこちなかったことに気づいた。

「こんなに心配していたのに、ジークはよろしくやっているのですね」

 セージも苦笑しながらジークの手紙を見つめている。

「殿下にお会いしたとか、団長も先輩も優しい良い方だとか、僕たちの心配も知らずにのんきなものですね」

「あら、良いことではないの。この上ジークがつらいばかりなのではそれこそ心配が絶えないもの」

「そのときは、僕と父上で何が何でも連れ戻しますよ」

 にやりと笑うセージの姿に伯爵を重ねたエマは困ったようにもらす。

「まったく、あなたはお父さまに似すぎです」

「父上の子ですから」

 セージも悪びれずに答えた。

 伯爵にとがめてほしそうな視線を向けるが、伯爵は肩をすくめるだけだった。

「さて。私はジークに返事を書こうと思うのだが」

「あ、僕も書きたいです」

「私のも入れてくださいませ」

 母子がすかさず伯爵に告げる。

 伯爵はにっこりと笑ってメイドにペンを持ってこさせる。

 何を書こうかとか、ついでに何か送ろうかと考え込んでいる母子をほほえましく見つめて、伯爵は窓の外に視線を移した。

 晴れた青空は、遠い地で今日も過ごす息子の空とつながっている。

 大切なもう一人の息子は、今日も楽しく過ごすことだろう。

 

 

 

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